日本の多言語社会
真田信治・庄司博史(編)『日本の多言語社会』(岩波書店, 2005)が出ました。
わたしの「役割語」の項目も含まれています(282-284頁)。
日本語に関わる社会言語学的な知識が網羅されていて、大変ありがたい本です。役割語の研究の際にも、つねに座右に置いておきたい本だと思います。
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真田信治・庄司博史(編)『日本の多言語社会』(岩波書店, 2005)が出ました。
わたしの「役割語」の項目も含まれています(282-284頁)。
日本語に関わる社会言語学的な知識が網羅されていて、大変ありがたい本です。役割語の研究の際にも、つねに座右に置いておきたい本だと思います。
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と学会(著)『と学会年鑑Rose』(楽工社, 2005)読みました。
今回は、民田直氏「進研ゼミで、もっとステキなわたしになれるか?」
がおもしろかったです。
進研ゼミのDMに必ず入っている、入会勧誘のためのマンガがいかにワンパターンかということが書いてあります。つまり、「進研ゼミに入れば勉強も恋愛も部活も全部うまくいって超ハッピー♪」(本書86頁)というやつですね。
男子向けと女子向けで内容が微妙に違ったりするのですが、女子向けはかならず恋愛がらみ、という指摘も興味深いです。
この話題、「エンタの神様」で芸人の「あるあるネタ」にもなってましたね(芸人さんの名前は忘れました)。
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トリビア関連の話題です。T大のT先生からいただいたメールの転載です。
念のため、イニシャル・トークにしておきます。
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ところで、C大の院生から聞いたのですが、Y先生に「トリビアの泉」から出演依頼があり、それによれば著名な国語学者を集めてしりとりをさせ、どこで行き詰まるか実験したいとのこと、同先生は勿論お断りになりましたが、よほどお怒りと見えて授業で話しまくったとのことでした。
問題は他に誰に声を掛けたのか、また、最終的にこの企画が実現するか否かですが、O氏に話したところ、暫く前に自分にも依頼があったが勿論断ったと仰せでした。さて、どうなりますか。
何十時間も続くか、それとも語頭のラ行音が続出してすぐに行き詰まるか、興味深いのですが。
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きのう(2005年10月22日)、梅田で中学校の同窓会がありました(北稜中学校第23期生)。
2時から1次会、6時から2次会、そのあとカラオケで3次会でした。
なんせ、30年ぶりで出会う人もいて、見た目が随分変わっていたりして、最初はちょっとぎくしゃくした感じで始まりましたが、酒も十分はいるとうち解けていって、カラオケに突入する頃にはもう全曲全員で大合唱の大騒ぎです。
今回の同窓会のキャッチフレーズは、「○十歳前の最後の同窓会、みんな中学生にもどってはじけましょう」といったものでしたが、確かに中学生に戻るという部分もあるけど、どうもそれだけではない、というか、それ以上のはじけ方という気がします。酒が入っているということに加えて、やっぱりおっちゃん、おばちゃんになると、なんというか恥じらいやはにかみも簡単にぶっとんでしまうのですね。
楽しかったけど、「中学生には戻れないよなあ」という一抹の寂しさが、心をよぎった次第です。
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2004年の学科旅行のパンフレットに寄稿した文章です。
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最近テレビで、60~80年代の曲をよく耳にします。それらは大抵、古い唄を今どきの歌手が「カバー」しているものです。恐らく、作り手の30代、40代の人間にとってなつかしく、また若者にとって新鮮な楽曲ということで、企画の安直さが透けて見えますね。
例えば、モーニング娘。から分かれた``W''(ダブル・ユー)というユニットが今年出したマキシ・シングル「恋のバカンス」ですが、タイトル曲は1963(昭和38)年にザ・ピーナッツが歌ってヒットしたものです。このディスクには他に、「月影のナポリ」「悲しき16才」といういずれも60年代のヒットソングが収められています。
何回も、歌手を変えて繰り返しカバーされてきた曲もあって、例えば「コーヒー・ルンバ」などが思い出されます。原曲はベネズエラのもので、1961(昭和36年)に西田佐知子(関口宏の奥さん)が歌い、ヒットしました。こんな歌詞です。
「昔アラブの 偉いお坊さんが/
恋を忘れた あわれな男に/
しびれるような 香りいっぱいの/
琥珀色した 飲み物を/
教えて あげました」(中沢 清二 訳詞)
その後、荻野目洋子が1992(平成4)年に歌い(アルバム「流行歌手」所収)、さらに井上陽水が「UNITED COVER」という全編カバー曲からなるアルバムの中で、歌ってるんですね。荻野目洋子のや陽水のものは、学生の皆さんも耳にされたことがあるでしょう。私としては、やっぱり西田バージョンのスカスカな感じのアレンジが一番耳に心地よいです。
ちなみに、この曲には「クスリ・ルンバ」というバージョン(1971〈昭和46〉年、歌:アントニオ古賀)もあって、これはメロディに載せてひたすらクスリの名前を並べ立てるというコミック・ソングです。歌詞はこんな感じ。
「アリナミン エスカップ オロナイン パンビタン/
オロナミン グロンサン ルピット チオクタン/
アスパラ サモンポリック ロイヤルゼリ/
リポビタン ルル エースパンシロン マミアン ベンザ」
で、この「カバー」ということばはごく最近使われるようになったもので、一昔前には、「リバイバル」と呼んでたんですね。実は結構古くから、リバイバル・ヒットというのはあるようです。例えば「人生劇場」(作詞:佐藤惣之助、作曲:古賀政男)。尾崎士郎原作「人生劇場」が1938(昭和13)年に映画化される際、主題歌として作られた歌で、オリジナルは楠木繁夫が歌いました。「やると思えば どこまでやるさ/それが男の 魂じゃないか」というあれです。これを1959(昭和34)年に、村田英雄が歌って大ヒットしました。
もう一つ、「君恋し」(作詞:時雨音羽、作曲:佐々紅華)を挙げておきましょう。
「宵闇せまれば 悩みは崖(はて)なし/
みだるる心に うつるは誰が影/
君恋し 唇あせねど/
涙はあふれて 今宵も更け行く」。
フランク永井が歌い、1961(昭和36)年度の第3回日本レコード大賞を受賞しています。実はこの歌、1929(昭和4)年に二村定一が歌ったのが最初です。作詞の佐々紅華(さっさこうか)(1886〈明治19〉~1961〈昭和36〉)は、「カフェーの夜」の大当たりを始め、大正時代の浅草オペラの隆盛を支えた作家で、お伽歌劇「茶目子の一日」の作詞作曲や、「祇園小唄」の作詞でもよく知られています。またグラフィック・デザイナーとしての仕事もあって、大変な才人でした。歌手二村定一は、佐々紅華とのコンビで多くの歌を歌っています。佐々の没年を見て分かるように、フランク永井が「君恋し」を歌った年に亡くなっており、このリバイバル・ヒットを喜んでいたそうです。大戦をまたいで甦った名曲であり、作者の感慨もひとしおであったでしょう。
(終わり)
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国語学にこにこ日記から転載です。
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2004年12月22日、研究室で仕事をしていたら、電話が掛かってきました。フジテレビの下請けの制作会社のようで、「トリビアの泉」への出演依頼でした。
「トリビア」に出て「はい、その通りです」という役をやって欲しい、との依頼でした。普段から「トリビアに出たい出たい」と公言してはばからない私ではありましたが、結局断りました。
私が出演依頼されたネタは、次の通りです。
「ズボンは、ズボンとはくから、ズボンと言う」
電話を掛けてきた人は、『言葉の泉』に典拠がある、と言ってました。ぼくが、「その説は信じられない」というと、「でも、『言葉の泉』的にどうなんでしょうね」とか「先生的にはきついですかねえ」などとよく分からないことを言うので、「ええ、きついです」と答えて、それで
交渉が終わりました。
私としては「名を惜しんだ」つもりですが、どうでしょうかね。
「ズボンはズボンとはくからズボン」というのは、尾上圭介先生が酔っぱらうとよく言っていたので、尾上圭介先生にふればよかったと、あとで思いました。
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後日譚です。
本日(1月26日)、「ズボンはズボンと履くからズボン」が放送されていました。服飾専門学校の先生が解説していて、とても恥ずかしいことをさせられていたので、「出なくてよかった」と思いました。服飾界では、「jupon説は誤り」ということになっているそうです。
でもこのネタ、「へえ」第1位、金の脳をもらっていました
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9月29日から10月2日まで、韓国・高麗大学に行ってきました。乾さん、岡崎さん、パクさん、深澤さんというメンバーです。30日に研究会をし、1日には昌徳宮、宗廟などを見学しました。イ・ハンソプ先生、ヤン・チャンスさん、オンヅカ先生はじめ現地のみなさまに大変お世話になりました。ありがとうございました。マイフォトに写真をアップしています。
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