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2005年11月

2005年11月28日 (月)

流行歌・県名ランキング

2000年『能登・金沢方面研究室旅行パンフレット』所載のエッセーの再録です。

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恒例によって、といっても、別に待っている人もいないと思いますけど、いい埋め草になるので、また『あのうたこのうた5555』(塚本忠夫(編集・発行)、ソニー・マガジンズ、1996)のCD-ROMでご当地の歌を検索してみました。

金沢って、けっこう雰囲気があるから歌謡曲もざくざくあるかと思ったら、2曲だけでした。「加賀の女」(北島三郎、1969)と「金沢の雨」(城之内早苗、1987)です。「加賀」というキーワードもあるな、と思って引いてみると、4曲。次に「能登」で引くと、3曲。これには、大ヒット曲「能登半島」(石川さゆり、1977)が含まれています。

ここで、ふと、「全国の都道府県庁所在地が歌い込まれている歌謡曲って、どれくらいあるんだろう」という疑問が浮かんできました。都市ごとに検索して合計すると、これは延べ238曲ありました(1曲で複数の都市が歌われている場合もあります)。ここで都市別のランキングも分かった訳ですが、なるほどと思う面もあり、意外な面もあり、なかなか興味深いものがありました。

それでは、クイズです。
Q1. ランキング第1位はどこでしょう?

Q2. ベスト10を順位とともに予測して下さい。

紙幅もないので、さっさと解答に行きます。第1位は、ぶっちぎりで「{\bf 東京}」でした。110曲、つまり、半分近くが東京を歌ったものだったんですね。2位以下、順次発表します。2位「大阪」(24)、3位「京都」「長崎」(14)、5位「札幌」(13)、6位「横浜」(10)、7位「神戸」(9)、8位「名古屋」「新潟」(5)、9位「青森」「高知」「仙台」(3)という具合でした。当たりましたか?

ついでに、2曲が「秋田」「岩手」「鹿児島」「金沢」「高松」「千葉」「福岡」「水戸」、
1曲が「浦和」「熊本」「津」「富山」「長野」「松江」「松山」「宮崎」「山形」、残りは残念ながら0曲です。

これって、もちろん人口や一般的な知名度がもちろん関与していると思いますが、都市が持つ詩的イメージの喚起力みたいなものも、当然関わっているのでしょうね。だから、かえって都道府県庁所在地名でなく、旧国名や街道名のような地名のほうがよく歌われたりもします。例えば、思い付くままに検索してみると、「なにわ(浪速・浪花)」(21)、「 津軽」(19)、「瀬戸」(8)、「越後」(6)、「土佐」(5)「加賀」(4)、「越前」(3)、「能登」(3)、「飛騨」(3)といったところです。それから、「福岡」(2)よりも「博多」(8)の方が勝っていたりします。「日本海」(7)もけっこう多いですね(ちなみに「太平洋」は2曲)。これって、ある面で「日本人の好きな地名ランキング」みたいなところがありますね。「現代の歌枕」とでも言いますか。それにしても、「東京」のダントツぶりは意外でした。

(以上)

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新浦安

s_12010070IMG1 N語文法学会で、千葉県浦安市にある明海大学に行ってきました。

この大学には、15年前のK語学会で伺ったことがあるのですが、当時の思い出として、とにかく周囲に何にもないということが印象的でした。

今回、JR新浦安の駅に降りてみたら、いや、にぎやかなこと、にぎやかなこと。駅ビルと、ダイエーを中心とする巨大ショッピングモールがならんでいて、人がいっぱい。大学の周辺にも、ディズニーランド目当ての巨大ホテルやら、イトーヨーカドーやら、建物が林立していて、どこもにぎわってました。

都心からの便はいいし、結果として、明海大学はいい場所を確保したな、と感じた次第。

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2005年11月26日 (土)

またズージャ語

こういうのって、あとからいろいろ思い出しますね。

これ>レコ  金髪>パツキン

小指をたてながら、「あいつのレコはパツキンのナオンだぜ」なんて風に使うようです。「これ」が「レーコ」にならないのは少し例外的です。

旅>ビータ  足>シーア

旅とは営業旅行のこと、足とは足代、つまり旅費ですね。食事代は「シーメ(飯)」です。「こんどのビータは、シーアとシーメ合わせてゲーマンだって」という風に使います。「ゲーマン」というのは「G万」で、「C」=ドを1として、「5万円」のことです。

タモリが言ってように覚えていますが、ジャズマン同士でしょっちゅうズージャ語を使ってると、どっちが正しいか分からなくなってきて、「ヒーコ、ミーノしよう(コーヒー飲もう)」を「コーヒ、ノーミしよう」と言ってしまったりするとか。

古い例としては、「ドサ回り」のドサは「佐渡」のこと、「ドヤ街」の「ドヤ」は「宿」のことですね。ジャズマンが使い出したのはおそらく大正から昭和にかけてのころではないかと想像します(証拠はない)が、その起源はもっと古い役者ことばなどにあったのかもしれません。

一応これを、「トラバ返し返し」ということで。

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2005年11月25日 (金)

ズージャ語

トラックバックの練習を兼ねて。

空山さんのブログで、「キッズケータイはNTTコドモにすればいいのに、あるいはジャズ用語風にNTTドモコか」という話題が出ています。

「子どもコドモ>ドモコ」のような、1~2モーラ単位の転倒による符丁の作成を、空山さんは「ジャズ用語風」とおっしゃっていますが、音韻学者、形態論学者は「ズージャ語」と読んでいるようです。

久薗晴夫 (2002) 『新語はこうして作られる』(岩波書店、ISBN4-00-006821-0)の46-47頁に「「ズージャ語」と呼ばれるジャズ音楽家たちのことば遊び」として取り上げられていますが、要点を整理すると次の通りです。

  • (4モーラの語の場合)単語の最後の2モーラを最初の2モーラと結合して新しい語を作り出す。
    例:抜群>グンバツ  おっぱい>パイオツ  そっくり>クリソツ  いけばな>バナイケ
  • (4モーラ以上の場合の例)
    マネージャー>ジャーマネ
  • 単語が短い場合には、最後の部分と最初の部分を組み合わせて3~4モーラの長さの新語が造られる。
    例:ジャズ>ズージャ  飯>シーメ  キー>イーキ

元の語が3モーラの場合、「女>ナオン」という例を聞いたことがあります。*1

私がテレビで聞いた例では、「コーヒーを飲む」は「ヒーコ、ミーノする」、「すしを食う」は「シース、イークする」となるらしいです。

タモリがズージャ語のことを話しているのを聞いたことがありますが、彼は山下洋介など、ジャズ音楽家と親交があるので、その影響で使い出したのでしょう。そもそもタモリという芸名は、「森田一義」という本名の「もりた」をズージャ化したものです。

こういったモーラ転倒は江戸時代からあるようで、「だらしがない」とうのは「しだらがない」から転倒によって生じた語、と説明されます。

以上、ことばの一口豆知識でした。

*1 一つ、大事な例を忘れてました。「うまい>マイウー」

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青空文庫

同僚のO先生に、野口英司(2005)『インターネット図書館 青空文庫』(はる書房、ISBN4-89984-072-1)をいただきました。

青空文庫は、著者の死後50年立って著作権の切れた作品を、ボランティアが入力・校正し、インターネット上に公開していこうという運動を展開しているサイトの名前です。

この本では、青空文庫の生い立ちと成長を記録し、また青空文庫に関わった人たちの思い、著作権の問題点などについて触れた記録・エッセー集です。O先生も実は、青空文庫の創設のきっかけを作った人物の一人で、本書の中にもインタビュー記事が出ています。

本書の目玉は、青空文庫に2005年9月15日現在で収録されている4,843作品その他を収めた、DVD-ROMが附録でついています。1,500円の定価で4,800作品以上も読めるなんて、お得ですね!

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小公子

鴻巣友季子(2005)『明治大正翻訳ワンダーランド』(新潮新書、ISBN4-10-610138-6)を読みました。

鴻巣さんはプロの翻訳家で、自分自身の経験を生かしながら、日本の西洋文学翻訳の黎明期に焦点をあて、作品紹介をしています。

新書という性質上、作品の取り上げ方が散発的で体系性が感じられなかったのが物足りない点ですが、いろいろな手がかりを得るにはいい本だと思います。

もう一ついいところは、鴻巣さんは全集などではなく、国会図書館に通って原典をしっかり読んでいる点です。ある意味、行き当たりばったり的な調査であったらしいことはご本人も書いていますが、調べる楽しさが伝わってくる点もいいと思います。

役割語の点からいえば、若松賤子訳『小公子』(明治23~25)がやっぱり圧倒的におもしろそうです。少し私も調べたことがありますが、また見直してみたいところです。

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とび

DSC02639 11月20日昼過ぎ、四条河原町から京大会館に向かうため、鴨川沿いを歩いておりました。

天気が良くて、観光客や、ご近所の方のお散歩など、人通りも多かったのですが、鳥もたくさん見ることができました。

スズメ、ハト、カラスはもちろんですが、ユリカモメ、チュウサギ、コサギ、カルガモ、マガモなどが観察できました。そんななかで目についたのが、上空を悠然と飛び回る、トビの大群です。

都会の真ん中で、こんなたくさんのトビを目にすることができるというのは、日本でもめずらしいような気がします。確かに、東山が近いので、そこをねぐらとしているのでしょうが、えさはなんだろうか、どこで繁殖しているのか、など気になります。

トビというと、「東海道四谷怪談」の「隠亡堀」の場面で、民谷伊右衛門が、戸板に打ち付けられたお岩と小仏小平を堀に突き返しながら

「鳶や烏の餌食となり、業が尽きたら、仏となれ」

と言い放つ場面を思い出します。川辺にはやはりえさが多いので、トビの集まる場所ではあるのでしょう。

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2005年11月16日 (水)

人間ドック

ほぼ一年ぶりの人間ドックに、夫婦そろっていってまいりました。ここ10年ほど、毎年欠かさず行くようにしてます。

詳しい結果は2週間後ですが、今のところ、コレステロール値と血圧がちょい高くらいで、まずまず異常はなさそうです。間食と自動車通勤を控え、せいぜい歩くことといたしましょう。

さて、毎年、人間ドックで「胃透視検査」を受けてますが、つまりこれはバリウムを飲んでレントゲン写真を撮るわけです。バリウムは固まりやすいので、検査後は下剤を飲み、24時間以内にバリウムを排出するよう努めますが、ここで困ったことが起こります。バリウムは金属なので、

すこぶる重い

のです。つまり、排出されたとして、通常のトイレの排水では、なかなか流れてくれない訳です。ここに詳しくは書けませぬが、毎年このバリウム便の排水にたいそう苦慮しておるのです。

よそのお宅では、どのようになさっているのでしょうねえ?

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宮武外骨

ずっと通勤時間に読んでいた『宮武外骨』(吉野孝雄、河出文庫、1985、ISBN4-309-40108-2)を、人間ドックの待ち時間に読み終えました。総319頁で、資料や年表も充実した、重厚な伝記読み物でした。宮武外骨の生い立ちと生涯、思想信条、そして時代背景、世相・政情などがよく分かりました。私が知らないだけでしたが、博報堂創始者の瀬木博尚、阪急を大きく育てた小林一三、南方熊楠、吉野作造など一流の実業家、学者、政治家と交流があったこと、また晩年は東大法学部の明治新聞雑誌文庫を創始、その主任として東大に奉職したことなど、意外な経歴に驚かされました。

多くの雑誌、新聞を自ら編輯・刊行し、滑稽・猥雑に紛らわしながら為政者・権力者に鋭い批判を浴びせ続けた操觚者としての姿勢にとても共感を覚えました。その生き方故かもしれませんが、家庭的な幸を終に得られなかったのはお気の毒です。

自分はとても外骨のようには生きられませんが、外骨の生き方は、とても

かっこいい

と思います。

(なお、この文庫本、同僚のOさんが古本屋で拾い上げたのを横流ししていただいたものです。)

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2005年11月13日 (日)

欠席

いろいろな事情で(一番の理由は、体力の衰えか)、T北大学でやっているK点語学会、N語学会を休みました。残念です。牡蠣とか、牛タン焼きとかで学会の皆さんと1杯やりたかった。温泉もついでに行きたかった。あ、もちろん学会発表も聞きたかったです。

来週の、H島大学でやる、日本G語学会にも行けません。しくしく。牡蠣とか、穴子とかでいっぱいやりたかった。あ、もちろん発表も、って、もういいか。

次の週の日本B法学会と、その次の週の日本G用論学会は、発表があるので休めません。それはそれでプレッシャーですけど。

学会を休んだ分、仕事がはかどりました、といいたいけど、なかなか……

学会の模様は「くうざん本を見る」(リンク参照)でキャッチしてます。

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清原

唐沢俊一『ダメな人のための名言集』(幻冬舎文庫、2005/8/5、幻冬舎)に、次のような項目がありました。

新聞に載るオレのコメントな、一人称が『オレ』って言うてんのに、なんで『ワシ』になってんねん。          清原和博

唐沢氏は次のようにコメントしている。「それは“ワシ”と言わない清原は、たとえホンモノの清原であっても、全国のファンが望む清原ではないからである。ジャイアント馬場は“アポー”などと言わなかったし、具志堅は“ちょっちゅね”などと言わないが、あくまで全国のファンは、そういうキャラクターとして彼らを認識している」(185頁)

この本は、「名言」の出典をかなり細かく記載しているのですが、この項目にはそれがありません。インタビューか何かで聞き覚えていたせりふを唐沢氏が再構成したものかもしれませんね。

ところでこの本の別の項目には、

私たちは、大学で高い学問をしてゆけるだけの頭があるかどうかを試すため問題を出すのであって、低能児のテストをやるのではない。  小西甚一『古文研究法』前書き

というのもあって(89頁)、同業者として興味を引かれました。『古文研究法』には、「(日本語は日本人である限り)だいたいは理解できる。ばかでない限りは」という文章もあるそうです。

こういう高飛車な感じ、少なくとも表向きは、今の大学にはすっかりなくなってしまいました。

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わしは役割語を研究しておるのじゃ

金水 敏 2005 3 15 「わしは役割語を研究しておるのじゃ」『文藝春秋』(第83巻第4号、特別版、3月臨時増刊号 118-119頁 文藝春秋)より再録です。
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 次のセリフを話している人は、いったいどんな人物であろうか。

「わしは、心からあんたが好(す)きじゃ。だがそのあんたにしても、この広い世間(せけん)からみれば、ほんの小さな平凡(へいぼん)なひとりにすぎんのだからなあ!」

 この本を読んだことのある人にはピンとくるところがあるだろうが、そうでなくても、何となく「年寄り」というイメージはつかめるだろう。男性か女性かといえば、間違いなく男性だと考えることと思う。「正解」は、「ガンダルフ」という魔法使いで、白く長い髭を生やした老人の男性である。映画「ロード・オブ・ザ・リング」にも出ていた、あのガンダルフである。このセリフの典拠はトールキン作・瀬田貞二訳『ホビットの冒険・下』で、「ロード……」はその続編『指輪物語』を映画化したものである。

 ガンダルフを知っている人は、このセリフの話し方が「ぴったりだ」と思うだろうし、知らない人でも、白髪・白髭の魔法使いと言われれば、「なるほど」と思うだろう。なぜなのだろうか。その手がかりは、このセリフの言葉遣いの中にあることは間違いない。例えば、「わし」「あんた」という代名詞。「好きだ」ではなく「好きじゃ」といい、また「ひとりにすぎない」ではなく「ひとりにすぎん」という、語法。こういったところに、老人の男性を彷彿させる特徴が現れている。

 このように、特定の人物像と密接に結びついた言葉遣いのことを、私は「役割語」と呼んでいる(『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』岩波書店、二〇〇三)。とくに、このガンダルフのようなしゃべり方を私は〈老人語〉と規定しているが、役割語は〈老人語〉だけでなく、〈お嬢様語〉〈社長・部長語〉〈サムライ語〉〈少年語〉等、いくらでもある。例えば「あら、よろしくってよ、先にお召し上がり遊ばせ…」などというセリフを聞けば、たちまちきどった上流階級の婦人を思い浮かべることであろう。

 役割語は、社会心理学で「ステレオタイプ」と呼ばれる、思いこみ・紋切り型知識の一種である。ステレオタイプの一部は幼少期の環境の中で植え付けられると言われるが、役割語も人々が幼少期に出会う、絵本、漫画、アニメ、映画、読み物等のポピュラーカルチャー作品を介して受け継がれ、広まっていく。つまりまさしく、『ホビットの冒険』や「ロード・オブ・ザ・リング」が〈老人語〉を媒介していくのである。

 役割語の中には、現実に人々が話している言葉遣いに近いものもあるが、現実から遠いものも多い。例えば先の〈老人語〉のように話す老人は、(西日本の方言話者を除いて)現実にはほとんど存在しない。

 現実とはほど遠い場合でも、作者にとっては便利なので、ついつい役割語に頼ってしまう。そんな小説家の悩みを、清水義範は『日本語必勝講座』(講談社、二〇〇〇)の中でこう吐露している。

現実には、会社で上司が部下に仕事を頼む時に、「今日中にやっといてくれたまえ」とは言っていない。調べてみればすぐわかる。「それ、今日中にね」だったりする。「今日中にやってくれるかな」だったりもする。時には「今日中にやってちょうだいね」だったりすることさえある。しかし小説の中の上司の台紙(せりふ)としては、現実の会話をそのままテープ起こししたような、「やってちょうだいね」とは書けないのだ。(中略)小説の中の会話は、小説用に再構成された虚構のことばである。私などは、なるべくそういう型としてのことばではなく、リアルなことばを書きたいと思っているのだが、それでも完全にそう書けるわけではない。(清水義範『日本語必笑講座』より)

 ことは創作の場面だけではない、報道記者でさえもがそうなのだ。例えば沢木耕太郎はエッセイ「奇妙なワシ」(『バーボン・ストリート』新潮社、一九八四)の中で、特定のスポーツ選手の談話記事に「わし」という一人称代名詞を使わせる虚構について指摘している。つまり、スポーツ記者は、記事の不正確さを糊塗(こと)したり、不充分さを補ったりするために、「わし」をスポーツ選手に使わせ、「らしさ」を演出しているのである。

彼ら(ボクシング・チャンピオンの輪島と横綱の輪島。引用者注)にワシと言わせれば、いかにも横綱らしく、いかにも根性のチャンピオンらしく聞こえる。しかし、その「らしさ」はあくまでも偽物(にせもの)にすぎなかった。(沢木耕太郎「奇妙なワシ」より)

 私の現在の考えでは、役割語はあらゆる言語に存在するが、日本語は私の知っている言語の中でも、比較的役割語が現れやすい言語であるらしいことが分かってきた。言語の仕組みの中で、話し手のカテゴリーを示しやすい道具がふんだんにそろっているのである。その最たるものが、「わし」「おれ」「ぼく」「わたし」のような代名詞、そして「行くよ・行くぞ・行くぜ・行くわ」のような文末の形式である。例えば英語を例にとると、一人称の代名詞は〃I〃一語だけだし、文末にはほとんど何も付けることができない。別の方法で話し手の属性が匂わせられることもあるのだが、日本語ほどあからさまなマークはあまりない。

 今私は、さまざまな役割語のヴァリエーションやその起源、外国語との比較、またマンガの絵柄と役割語との関係などに興味を持って調べている。例えば、流行歌で「ぼく」が使われるか「おれ」が使われるかという違いが、歌の内容・世界と密接に関連していることも分かってきた。今後はそんな成果を『役割語辞典』『役割語練習帳』などのような形で公表していきたいと思っている。あ、『声に出して読みたい役割語』なんてのも、いいかもしれませんね。どうぞ、お楽しみにお待ち下さい。

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ソウルで買った本

DSC02633 2005年9月末にソウルを訪問したとき、仁寺洞(インサドン)の古書店で『京電ハイキングコース 第四輯 唐人里』という薄いブックレットを見つけました。50,000ウォン(5千円)でした。「これ」って言ったら、店の人は「これはページが切り取られている。無傷のがある」と言って別のを出してきました。値段は100,000ウォンでした。とりあえず、最初の50,000ウォンの方を買って帰りました。DSC02634

DSC02638 サイズは128mm×187mm、表紙を除いて56頁、カラー図版一枚を含む写真や地図などが入っています。奥書は以下の通りです。

昭和十二年十月廿七日 印刷
昭和十二年十月三十日 発行 (実費 二十銭)
編輯兼発行人 佐脇 精 京城府南大門通二ノ五
印刷人 眞山一治 京城府蓬莱町三ノ六二
印刷所 朝鮮印刷株式会社 京城府蓬莱町三ノ六二
発行所 京城電気株式会社 京城府南大門通二ノ五

DSC02637 「京電」とは「京城電気株式会社」ですが、電鉄会社であるのかどうか、内容を読んでもよく分かりません(電車の話は出てこない)。ハイキングコースは次のように書かれています。

(西大門)赤十字病院前→金華山→鞍山→泰元寺→新村→落々長松→西江駅→廣興倉址→唐人里発電所→蠶頭峯・柳花渡→外人墓地→放送所→汽車・貸し切りバス

DSC02635 この地域を現在の地図で確かめると、ソウル市麻浦区の漢江沿岸地域、汝矣島(ヨイド)の対岸に当たる所です。図版や本文の内容を見ると、のんびりとした田園地帯で、梨花女子専門学校(現在の梨花女子大学)の図版が載っているのを見ると、畑と林のただ中にある感じ。この辺り、車に乗せてもらって走りましたが、今では完全に都会の真ん中で、まったく面影がありません。

DSC02636 本屋の人が言っていたように、この本は図版が切り取られています。数えてみると六カ所切られていました。残ったキャプションを見ると、どうも放送所や発電所の写真のようです。なぜ切り取られたかというと、同僚のH先生の意見では、検閲ではないかということです。表紙に押された「削除済」というゴム印が、それを示しているという訳です。おそらくそうなのでしょう。朝鮮総督府による検閲か、自主規制か、その辺りはよく分かりません。なお、本文にも「×××」による伏せ字の箇所があります。

このブックレットが発行された年には廬溝橋事件や南京虐殺事件が起こり、また前年には二・二六事件が起こっている訳で、国際的には大変緊迫した時期であると言えます。当時のソウルの状況がどのようであったか、これを見ていると、いろいろ知りたくなってきます。

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2005年11月 8日 (火)

山本弘・皆神龍太郎・志水一夫『トンデモUFO入門』洋泉社、2005

この本に、テレビ・シリーズ「アウター・リミッツ」の一エピソード、「宇宙へのかけ橋」のことが載っていて、感激しました。このシリーズ、異様に恐くて、今でも鮮明に記憶に残っています。

ところで、「サンダーバード」「スタートレック」「宇宙家族ロビンソン」など、古いSFドラマがつぎつぎ復刊されたりリメークされたりしています。そんなことをつらつら思い出していたら、ふと、

原潜シービュー号

という名前が脳裏に浮かんできました。美しい船体がとても印象的でした。プラモデルも作りました。60年代、ぼくらは本当にSFに夢中だったんだなあと思います。

ちなみに、「シービュー号」のことを確かめたくてGoogle searchしてみたら、出るわ、出るわ……おなかいっぱいになりました。

UFOと関係ない、思い出話でした。

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2005年11月 7日 (月)

友愛?

DSC02632 西宮市民に無料で配布される情報誌『宮っ子』の表紙に、興味深い写真が載せられていました。本誌の説明文を引用します。

大社小学校の運動場北側花壇には、「子どもの像」が設置されています。この像は、昭和38年度の卒業記念として、当時大社小学校に在職していた図工の先生が作ったもので、(中略)平成12年にPTAによる公募で「どすこい像」という愛称がつけられ、(中略)愛称が示すように一見相撲をとっているように見えますが、本来は子どもの友愛の姿を表したものです。(『宮っ子』平成17年11月号、1頁)

写真を見ると、顔が恐いし、思いっきり突っ張ってるし、あんまり「友愛」って感じではないんですけどねえ……。ずっと見てると、愛着が湧いてくるんでしょうか。

(ところでこの広報誌、以前「読者のたより」欄に「財政難の折から、このような広報誌はむだではないか」というお便りが載せられていて、苦笑させられました。私はわりと愛読していますが、まあ、なくてもいいかも、という気もします)

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2005年11月 6日 (日)

Oxfordの食事

朝食は、毎朝、Hertford Collegeの寮であるWarnock Houseの食堂でいただきました。カフェテリア方式ですが、トースト、ベーコン、ポテト、ソーセージ、大豆の煮物等、イングリッシュ・ブレックファストがいただけます。

昼食に2度、夕食に1度、Hertford Collegeのダイニング・ホールでいただきましたが、ここの料理は伝統的なイギリス料理なのだろうと思います。金曜日の昼には、フィッシュ・アンドチップスをいただきました。

着いた日の夜は寮のそばのパブHead of the Riverで、ビーフステーキとアイル・パイというものをいただきましたが、ステーキというよりシチューという感じの料理でした。

あと、「えだまめ」という店で野菜炒め定食をいただきました。また、Bjarke先生夫妻とお昼をいただいたときはマレーシア料理でした。おいしかったです。最後の夜はみんなでレバノン料理をいただきました。レバノン料理はあまり辛くなく、ヴァリエーションも豊富で食べやすかったです(アトラクションとして、ベリー・ダンスもやってます)。土曜日、バスで発つ前に、尾崎さんの行きつけの中華料理やで焼きそばをいただきました。バス・ターミナルのそばですが、おいしかったです。

イギリス料理は悪くないですが、一般に大味で、日本人には量が多いです。アジア料理のほうが馴れているせいもありますが、やはり食べやすかったです。

一人で「えだまめ」に行ったのと、寮での朝ご飯以外で連れがいないときは、一人でレストランに入るのが好きではないので、街中でサンドイッチやピザなどをかって食べました。

一般に、食費は高い気がします。例えば「えだまめ」の野菜炒め定食は、肉なし野菜炒めとみそ汁とご飯で7ポンド、すなわち1400円になります。日本はいくら物価が高いとは言え、1400円出せば立派な高級ランチが食べられます。

アメリカと比べると、たぶん2倍はいくでしょう。食費に関しては、1ポンド=1ドルと言えばだいたい当たるのではないでしょうか。

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日本語教育能力検定試験

DSC02630 先月、10月16日に実施された「平成17年度日本語教育能力検定試験」(財団法人 日本国際教育支援協会)の問題に、『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』が使用されました。

光栄なことですが、設問に若干疑問があります。問い2では、どうも「超うざい。」というのは役割語ではないと解釈させたいようなのですが、私から見ればこれも立派な役割語です。ひょっとしたら、「超うざい、」は現実に存在するから役割語ではないと、設問者は考えていらっしゃるのかもしれません。

私は本にも書いているように、現実に似ているかどうかではなく、データを現実の発話として見るか、心理的・社会的な知識として見るかという、ものの見方として「役割語」を定義しているのですけどねえ。

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2005年11月 5日 (土)

キリシタン資料を見る

DSC02575 Hertford Collogeの真向かいにあるボドリアン図書館は、イギリスで2番目に大きい図書館ですが、キリシタン資料が収められていることで国語学者に知られています。

Bjarke先生に図書館を案内してもらったとき、「キリシタン資料がありますよね」と言ったら、「見たいなら手続きしてあげます」ということになりました。

準備として、月曜日、一週間有効な利用者カードを作ってもらいました。「本を持ち出さない、汚さない、火気を持ち込まない」という趣旨の宣誓を、その場でさせられました。宣誓は母国語でやるのが原則だそうで、ちゃんと日本語の宣誓文が用意されてありました。

火曜日の午後、貴重書の閲覧室にBjarke先生といっしょに行きました。先生はすでに申し込みをされていて、すぐに『日本大文典』と『日葡辞書』が出てきました。貴重書専用の、ウレタンで出来た書見台に載せ、パチンコ玉のようなものを布で編み込んで数珠のようにした文鎮を置いて読みます。

両方とも、思ったより小ぶりな本であることにまず驚きました。読むといっても、ローマ字の部分しか理解できませんが、ページをめくっているといろいろな感慨がわいてきます。紙の質が優れていて、薄くて強いことに感心しました。印刷機と一緒に、上質の紙を船でかなり大量に運び込んだのでしょう。およそ400年前の本なのに、いまでも完璧に読めます。不揃いの活字が、かえって、極東の地で1頁1頁組んでは手作業で印刷していった、キリシタンたちの苦労を思い起こさせます。

1時間ほどの閲覧でしたが、非常な充実感が得られました。土井忠生先生もこの図書館に通って翻訳作業をされたということで、時の流れを越えてことばを探求する人々とつながっていくような思いがしました。

(写真はもちろん撮れないので、画像なしです)

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Oxfordで出会った人々

DSC02619 Bjarke先生のリクエストで、先生が指導している二人の大学院生と研究についての相談をしました。彼らは、非常に熱心に研究を進められているだけでなく、人生経験が豊富で、人格者で、滞在中に私もいろんな面で助けていただきました。

一人はLars Larmさんというスウェーデン人の方で、日本語のモダリティについて研究しています。大変日本語がよく出来ますが、若いとき、日本に長く住んで、精肉会社のアルバイトを何年もしたそうです。早稲田、国士舘、東大などに所属していたこともあるそうです。大変ほがらかで、ウィットに富んだお人柄です。私の金曜日の講演の時には、ディスカッションの通訳を大変見事にしてくださいました。

もうお一人は、尾崎宗人さんで、東大法学部を出てからILOに長らく勤められたあと、思い立って学問の道に入られたとのことです。朝鮮語・日本語の文法的成分の比較をなさっています。自宅はジュネーブにあり、奥さんはスペイン人のお医者さんでWHOのご関係とのことで、お子さんも世界中に散らばっていて、大変国際的に幅広いご家族です。人生経験が豊富な方ですが、とても若々しくて謙虚で真摯で、気持ちのよい方です。

Bjarke先生もデンマーク人で奥さんが日本人で、とてもワールドワイドな人脈が出来ているのがおもしろかったです。

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Oxfordのカレッジ

DSC02548 Oxfordには45のカレッジがあり、それぞれにいろいろな専門分野の先生がいて、学生が所属しています。組織としてはそれぞれのカレッジは独立しています。一方で、Oxford Universityという組織が、すべてのカレッジや、Oriental Instituteなどの機構を束ねています。入学と卒業の管理はOxford Universityが受け持ち、教育や研究の実質はカレッジが受け持つということのようです。Bjarke先生は、Hertford CollegeとOxford Universityの両方から給料をもらっているとのことです。

カレッジにも新旧があって、古い伝統的なところと新しいところとではしきたりなども違うようですが、Hertford Collegeは比較的古い伝統を保っているようです。Hertford Collegeの敷地の中に、先生のOfficeがあり、教室があり、学生の居室があり、教会が入っています。また大きくて立派なダイニング・ホールがあります。専用の厨房もあって、学生や先生のために食事を作っています。

食事のしきたりもきっちりと決まっています。ダイニング・ホールの一番奥に、一段高くなったHige Tableというテーブルが一列あって、ここは先生とそのお客さんしか座ることはできません。低い方のテーブルでは、学生が食べています。食べ物やサービスの内容なども、学生と先生ではまったく違っています。

先生とお客様のために、正式なディナーが毎日のように行われていて、ドレスコードも曜日によって違うそうです。私が招待されたのは水曜日の講演の後でしたが、まず先生専用のコモン・ルーム(ここで普段は先生がお茶を飲んでいる)に通され、食前酒をいただきます。次にダイニング・ホールのハイ・テーブルに案内されますが、ホールは明かりが落とされ、ぼんやりと飾られた絵画が照らし出されて、大変厳粛な雰囲気です。先生方はスーツの上に、ガウンを羽織ることが要求されているようです。みんながそろって各席の後ろに立ち並んだところで、学長が木槌をコンとうち、ラテン語でなにかつぶやいて、食事が始まります。食事は完全なフルコース料理で、ボーイさんが全てサービスしてくれます。

食事のあと、別室に案内され、そこにはトロピカル・フルーツや食後酒が用意されていました。そこで先生方は知的な(ある意味、スノビッシュな)会話を楽しみます。最後に、私たち言語学関係者は、コモン・ルームでお茶をいただきながら言語学談義をしました。(これらのディナーの様子は、写真を撮れるような雰囲気ではなかったので、残念ながらお見せできません。映画のHarry Potterの食事シーンを思い出していただければだいたい同じです。あの映画では、クライスト・チャーチのダイニング・ホールが撮影に使われたそうです。)

Oxford、Cambridge、Edinburghなどの大学ではこれらのしきたりが守られているとのことで、こういった大学では、卒業試験や卒業式など、礼服・ガウンの着用が義務づけられているそうです。

このように、伝統と格式の中で教育・研究が行われている様子に、びっくりさせられました。世界の大学をいくつか見てきましたが、やはり独特です。カレッジとは、衣食住・信仰と教育・研究が一体となった共同体ということのようです。

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2005年11月 4日 (金)

Oxfordの街

DSC02609 Oxfordはもちろん大学町で、新旧のカレッジが45も集まっています。建物や町並みはどこもかしこも古くて威厳と気品があります。

ただし中心部はごく小さくまとまっているので、2,3時間も歩けば、街の主要な部分は見て回ることができます。カレッジそのものが観光名所になっていて、どのカレッジもとてもきれいです。カレッジとは何かということは、なかなか難しく、理解しにくいところがあります。別の記事で書いてみることにします。

DSC02600 数あるカレッジのなかでも、クライスト・チャーチというカレッジはもっとも規模が大きく、歴代首相を何人も出していたり、ルイス・キャロルが教えていたこともあるなど、名門中の名門です。建物はたいそう立派で、また裏側にクライスト・チャーチ・メドウズという牧草地があり、散歩にはとてもいいところです。

また私がもっとも気に入ったところとして、自然史博物館があります。めずらしい動物、昆虫、恐竜等の標本や模型が多数飾ってあります。天井が高く、ガラス張りになっていて、なかなかいい雰囲気です。アリスに登場するドードー鳥の標本もあります。DSC02585

天気は、たいてい曇っていて、時折風も強く吹きます。今日はめずらしく、朝から晴れ上がってとてもいい天気です。

カーファックス・タワーという古い塔を中心とする辺りが街の繁華街で、毎日、大勢の人が歩いています。お店やレストランもだいたいこのあたりに密集しています。DSC02561 また、カーファックス・タワーのそばにあるカヴァード・マーケットという市場は、庶民的な雰囲気があって、店を見て回るだけで楽しめます。

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今回のOxford旅行

Bjarke Frellesvig(ビヤルケ・フレレスヴィーク)先生に招かれて、Oxford大学のHertford Collegeに来ました。10月30日に日本を発ち、11月5日に現地を出て6日に帰国の予定です。

今は6日め、こちらで11月4日金曜日の朝です。

Bjarke先生は、日本語の形態・音韻論の歴史的変化や日本語・朝鮮語の比較言語学のお仕事をしています。私とは1996年にUCLAで開かれたJapanese/Korean Linguistic Conferenceで初めてお会いしました。その後、主にJ/Kで何度かお会いし、先月には来日された際、阪大で講演をお願いしました。今回はBjarke先生が予算を獲得して私を招いてくださった次第です。

私は、滞在中、講演を二つやったり、大学院の学生さんお二人と、それぞれ研究についてお話をしたりする合間に、町を歩き回って観光しています。今日の午後、二つめの講演があり、レセプションがあって、明日帰ります。

滞在している宿舎は、町のはずれ、テムズ川のほとりにある、Hertoford CollegeのGraduate Centreという学生寮の一室です。窓からテムズ川と、Head of the Riverというパブが見えます。DSC02542

Bjarkeさんのご厚意で、ボドリアン図書館のキリシタン資料を閲覧させていただいたり、教員の正式なディナーに招待してもらったりなど、めったに体験できないことも体験できて、大変充実しています。

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2005年11月 2日 (水)

オクスフォードから

今、オクスフォードから投稿しています。撮った写真をアルバムにアップしました。まだ増えます。

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