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2005年11月13日 (日)

わしは役割語を研究しておるのじゃ

金水 敏 2005 3 15 「わしは役割語を研究しておるのじゃ」『文藝春秋』(第83巻第4号、特別版、3月臨時増刊号 118-119頁 文藝春秋)より再録です。
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 次のセリフを話している人は、いったいどんな人物であろうか。

「わしは、心からあんたが好(す)きじゃ。だがそのあんたにしても、この広い世間(せけん)からみれば、ほんの小さな平凡(へいぼん)なひとりにすぎんのだからなあ!」

 この本を読んだことのある人にはピンとくるところがあるだろうが、そうでなくても、何となく「年寄り」というイメージはつかめるだろう。男性か女性かといえば、間違いなく男性だと考えることと思う。「正解」は、「ガンダルフ」という魔法使いで、白く長い髭を生やした老人の男性である。映画「ロード・オブ・ザ・リング」にも出ていた、あのガンダルフである。このセリフの典拠はトールキン作・瀬田貞二訳『ホビットの冒険・下』で、「ロード……」はその続編『指輪物語』を映画化したものである。

 ガンダルフを知っている人は、このセリフの話し方が「ぴったりだ」と思うだろうし、知らない人でも、白髪・白髭の魔法使いと言われれば、「なるほど」と思うだろう。なぜなのだろうか。その手がかりは、このセリフの言葉遣いの中にあることは間違いない。例えば、「わし」「あんた」という代名詞。「好きだ」ではなく「好きじゃ」といい、また「ひとりにすぎない」ではなく「ひとりにすぎん」という、語法。こういったところに、老人の男性を彷彿させる特徴が現れている。

 このように、特定の人物像と密接に結びついた言葉遣いのことを、私は「役割語」と呼んでいる(『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』岩波書店、二〇〇三)。とくに、このガンダルフのようなしゃべり方を私は〈老人語〉と規定しているが、役割語は〈老人語〉だけでなく、〈お嬢様語〉〈社長・部長語〉〈サムライ語〉〈少年語〉等、いくらでもある。例えば「あら、よろしくってよ、先にお召し上がり遊ばせ…」などというセリフを聞けば、たちまちきどった上流階級の婦人を思い浮かべることであろう。

 役割語は、社会心理学で「ステレオタイプ」と呼ばれる、思いこみ・紋切り型知識の一種である。ステレオタイプの一部は幼少期の環境の中で植え付けられると言われるが、役割語も人々が幼少期に出会う、絵本、漫画、アニメ、映画、読み物等のポピュラーカルチャー作品を介して受け継がれ、広まっていく。つまりまさしく、『ホビットの冒険』や「ロード・オブ・ザ・リング」が〈老人語〉を媒介していくのである。

 役割語の中には、現実に人々が話している言葉遣いに近いものもあるが、現実から遠いものも多い。例えば先の〈老人語〉のように話す老人は、(西日本の方言話者を除いて)現実にはほとんど存在しない。

 現実とはほど遠い場合でも、作者にとっては便利なので、ついつい役割語に頼ってしまう。そんな小説家の悩みを、清水義範は『日本語必勝講座』(講談社、二〇〇〇)の中でこう吐露している。

現実には、会社で上司が部下に仕事を頼む時に、「今日中にやっといてくれたまえ」とは言っていない。調べてみればすぐわかる。「それ、今日中にね」だったりする。「今日中にやってくれるかな」だったりもする。時には「今日中にやってちょうだいね」だったりすることさえある。しかし小説の中の上司の台紙(せりふ)としては、現実の会話をそのままテープ起こししたような、「やってちょうだいね」とは書けないのだ。(中略)小説の中の会話は、小説用に再構成された虚構のことばである。私などは、なるべくそういう型としてのことばではなく、リアルなことばを書きたいと思っているのだが、それでも完全にそう書けるわけではない。(清水義範『日本語必笑講座』より)

 ことは創作の場面だけではない、報道記者でさえもがそうなのだ。例えば沢木耕太郎はエッセイ「奇妙なワシ」(『バーボン・ストリート』新潮社、一九八四)の中で、特定のスポーツ選手の談話記事に「わし」という一人称代名詞を使わせる虚構について指摘している。つまり、スポーツ記者は、記事の不正確さを糊塗(こと)したり、不充分さを補ったりするために、「わし」をスポーツ選手に使わせ、「らしさ」を演出しているのである。

彼ら(ボクシング・チャンピオンの輪島と横綱の輪島。引用者注)にワシと言わせれば、いかにも横綱らしく、いかにも根性のチャンピオンらしく聞こえる。しかし、その「らしさ」はあくまでも偽物(にせもの)にすぎなかった。(沢木耕太郎「奇妙なワシ」より)

 私の現在の考えでは、役割語はあらゆる言語に存在するが、日本語は私の知っている言語の中でも、比較的役割語が現れやすい言語であるらしいことが分かってきた。言語の仕組みの中で、話し手のカテゴリーを示しやすい道具がふんだんにそろっているのである。その最たるものが、「わし」「おれ」「ぼく」「わたし」のような代名詞、そして「行くよ・行くぞ・行くぜ・行くわ」のような文末の形式である。例えば英語を例にとると、一人称の代名詞は〃I〃一語だけだし、文末にはほとんど何も付けることができない。別の方法で話し手の属性が匂わせられることもあるのだが、日本語ほどあからさまなマークはあまりない。

 今私は、さまざまな役割語のヴァリエーションやその起源、外国語との比較、またマンガの絵柄と役割語との関係などに興味を持って調べている。例えば、流行歌で「ぼく」が使われるか「おれ」が使われるかという違いが、歌の内容・世界と密接に関連していることも分かってきた。今後はそんな成果を『役割語辞典』『役割語練習帳』などのような形で公表していきたいと思っている。あ、『声に出して読みたい役割語』なんてのも、いいかもしれませんね。どうぞ、お楽しみにお待ち下さい。

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