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2006年1月

2006年1月31日 (火)

N. J. P.

ビデオアートの先駆者と言われる、ナム・ジュン・パイク氏が29日に亡くなりました。

以前、パイク氏のパフォーマンスをテレビで見たことがあります。「おしっこをするロボット」というものでした。人を食った作風で、おもしろかったです。

ナム・ジュン・パイクは坂本龍一とも親交があり、坂本の1984年のソロ・アルバム「音楽図鑑」の9曲目に A Tribute to N. J. P. という曲が入っています。サキソフォンの長いソロで始まるゆったりした変拍子の曲ですが、中間部でナム・ジュン・パイク氏の談笑する声が重ねられています。日本語で話していました(パイク氏は東大で学び、奥さんは日本人)。私の好きな曲で、メロディーを採譜したこともあります。

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2006年1月30日 (月)

ゲルギエフ

4170611313_20050803163808 ここで予告していたように、1月29日、兵庫県立芸術文化センターでゲルギエフ/マリインスキー歌劇場管弦楽団(旧称:キーロフ歌劇場管弦楽団)のコンサートを聴いてきました。

第1部
ワーグナー《ニーベルングの指環》より
  《ラインの黄金》より「ワルハラへの神々の入城」
  《ワルキューレ》より「ワルキューレの騎行」
  《ワルキューレ》より「魔の炎の音楽」
  《ジークフリート》より「森のささやき」

第2部
マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調

席はZ1の31番、1階の後ろの方でした。チケットは完売、ほぼ満席状態です。

最初、弦のきざみが鳴り始めたとき、「少し固いな」という印象を持ちました。全体に、音の減衰が早く、響きがやせて聞こえる印象がありました。その音の固さは、第1部の間中気になりました。

しかしマーラーが始まると、オケが温まってきたせいか、響きがとてもまろやかでダイナミックになってきて、あまりホールの特徴が気にならなくなってきました。演奏の迫力がまさったということでしょうか。ブラスの甘くて力強いハーモニーが独特で、とても甘美で魅惑的なマーラーになっていました。ゲルギエフの指揮は、絶えず細かいニュアンスを体の動きでオーケストラに伝えているのですが、クライマックスでも案外振りが変わらず、淡々といってもいいような印象を受けました。ちなみに指揮棒は持ってました。指揮台は使わず、床に直接立っていました。

ところで、オーケストラの楽器の配置ですが、ビオラを前に出してチェロを中に入れるのはよくあるスタイルですけど、コントラバスが下手、セカンドバイオリンの後ろに配置されていたのは少し驚きました。こんな配置は始めて見ました。Lionbassさんに聞いてみたいところです。

ゲルギエフとオーケストラは、翌日は鹿児島でコンサート。西宮のコンサートがはねると、大型バス3台で、楽団員はそそくさと旅立っていきました。

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2006年1月29日 (日)

替え歌

息子と母親が試験範囲について話し合っているのを聞いて、ふと思いつきました。「与作」の節で歌ってください。

♪1対2対ルート5だよ~
  三平方~ (三平方~)

  3対4対5でもいい~
  三平方~ (三平方~)

受験にお役立てください。

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辞書にないことば

同僚のO先生が、来年度の演習に「辞書にないことば」をテーマとして選ばれたことに興味を引かれました。学生に探させるそうですが、どんなことばが集まるか楽しみです。

私もネタを一つ提供します。最近マスコミでよく目にすることばに「真逆(まぎゃく)」というのがあります。私の使用語彙にはなかったので、気になっていました。私なら「正反対」というところでしょう。「正反対」は純然たる漢語ですが、「真逆」の「ま」は和語、「逆」は漢語ですから、「湯桶読み」ということになりますね。

いつ頃誰が使い始めたのか調べようと思ってググってみたら、こんなサイトが見つかりました。同じような興味を持っている人っているもんです。

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サロン・ド・K

先日、「サロン・ド・K」というサークルに招かれて、「言語のステレオタイプ:役割語研究の展開」という講演をしてきました。平日の夕刻、梅田の真ん真ん中にある小ホールに集まった皆さんとともに和気藹々と楽しくお話を進めることができました。この雰囲気は、主催者のK先生のご人徳による部分がすこぶる大きいのであろうと感じました。『懐徳堂記念会 記念会だより』No. 73にK先生がサロンのことについて書いていらっしゃいますので引用します。

 私はS41年に大阪大学医学部を卒業し、その後は大阪府職員として臨床医→研究者→教師と変貌し、最後は短大部の運営責任者として勤めてきた。このうち、一番長く楽しかったのは研究者時代であったが、その最中にふと研究室と家の往復しかしない自分に気が付き、社会的な視野狭窄に陥る不安を覚えた。そこでワイフと1984年1月に始めたのが“サロン・ド・K”と称する種々の分野の専門家の話を仲間とともに聞く会である。“知るは喜び”を主たるコンセプトとし、ここでの“知”や“学”は直接仕事に役立つ訳ではないが、視野を広め人生を豊かにすると考えている。メンバーは種々の職業の約60人(例会参加者は平均30人)例会は10回/年、友人達の賛同・協力のおかげで現在22年間続いている。テーマは何でも良く、“南極越冬体験”や“オペラ”などの文化・芸術から“TVの構造”や“遺伝子組み換え”などの科学まで広範囲に及ぶ。

このすばらしい知的なサロンが末永く続いていくよう心よりお祈り致します。

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2006年1月24日 (火)

Kinsu

1月11日に、Kinsuiというミュージシャンを見つけたと書きました。

HMVで買ってみたら、何とKinsuiではなくて、Kinsuだった。

ちょっとがっかり。でもここには、Kinsuiと書いてあるのに。

音楽は、Hip Hopでした。特におもしろいということもありません。ジャケットは、やたらとエロい。

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2006年1月21日 (土)

ウ音便

愛新覚羅溥傑の娘、福永コ生(コは表外字)さんが父の生涯をたどる旅をするというドキュメンタリー番組を見ました。コ生さんの母は嵯峨侯爵家の娘、浩(ひろ)で、、コ生さんは東京生まれですが五歳の時に母とともに新京に渡り、七歳のときに日本に戻り、以後学習院に入学し、成人し、東京で結婚していらっしゃいます。ところが談話を聞いていると、アワ行五段動詞が促音便ではなく、ウ音便になっていることに気がつきました。「言うておりました」というような感じです。これは、西日本方言の特徴なんですね。あとは、きれいで上品な共通語だったんで、少し不思議な感じがしました。お母さんの影響でしょうか。華族の方々はそんな風に話したのでしょうか。

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2006年1月20日 (金)

ちょん切る

教師が、学生の答案を笑いのネタにするのは、決して趣味のいいことではないのですが、時々、思いがけない解答に脱力してしまうこともあるのです。

問題は、こんなんです。

やがて女歌舞伎が風紀上の理由から禁止され、男性による(18)歌舞伎へと取って代わり、これも同様の理由で禁止された。一六五三年(承応二)には役者の(19)を切ること、「(20)狂言づくし」をやることを条件に歌舞伎を許され、(21)歌舞伎となった。

答えは、18「若衆」、19「前髪」、20「物真似」、21「野良(野郎)」です。それで、ある答案の19の答えに、くっきりと力強く、

性器

と書かれていました。……司馬遷とか、カストラートとかを思い出したんでしょうか。歌舞伎を、ニューハーフ・ショーみたいなものと思っているのか……しばらく、ぷるぷる笑ってしまいました。

(ちなみに、同じ答えが二人いました。二人とも女子)

一応解説しておきますと、前髪を付けた少年による「若衆歌舞伎」は、当時「衆道」と呼ばれた同性愛の売春と結びつきがちであったので禁止され、役者は前髪を落とし、成人男性であることを示す必要があった訳です。だから「野良(やろう)歌舞伎」と呼ばれたのですね。

この答案を書いたキミ、一生懸命チエを振り絞って答案を書いた努力は認めますが、ちゃんと授業中に説明したし、プリントにも書いてあるからね!

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〈アルヨことば〉メモ

cha-wonray東映アニメーション制作「金色のガッシュベル」に出てくる、リィエンというチャイナ少女が、〈アルヨことば〉を話しているらしいことを発見。原作はまだ調べてません。一応、心覚えのために。詳しい情報お持ちの方、教えてください。(画像は http://www.toei-anim.co.jp/tv/GB/ から借用しました)

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2006年1月19日 (木)

「者」を「しゃ」と読むこと

私が勤めています、某国立なにわ大学で、事務方の人々が変わった言葉遣いをしているのが気になっています。それは、「者」という語を「しゃ」と読むことです。例えば学内規定の設置や改訂について議論しているとき、

第三条 委員は次の者をもって構成する。

のような文面を、「いいんは つぎのシャをもって こうせいする」と発音するわけです。口頭でいろいろ説明する場合でも「このシャは、三ヶ月学費を滞納しておりまして」などと使われています。(関西なんで、「このシャーは」という風に長音化されることが多いです)

最初、うちの学部の事務員さんの、個人的な読み癖なのかな、と思っていたらそうではなくて、本部をはじめ全学で使われているようです。教員ではあんまり使う人はいませんが、事務員さんと会議をしているときは、話を合わせて「しゃ」という場合もあります(わたしもついそうしてしまいました)。

正直言って気持ち悪いのですが、そういうスタンダードができてしまっているので、文句をいうのも大人げない気がします。「もの」は多義なので、聞き誤りを防ぐためにそういう習慣ができたのかも知れません。知りたいのは、この読み癖がどの程度広まっているのか、という点です。

  • うちの大学の中だけのことなのか。
  • 他大学でもそうなのか。ひょっとして、文科省あたりで使われているのがうつった?
  • それとも法務関係の専門用語?
  • 一般企業その他で使われることがあるのか?

もし、情報をお持ちの方があったら、教えてください。

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ストックキャラクター

Wikipediaで、おもしろい項目を発見しました。ここです。「ストックキャラクター」って概念、始めて知りました。おもしろいですね。

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2006年1月18日 (水)

ちんたら

今日、テレビで知った知識。「ちんたら」は、ちんちん火をおこして、たらたらと焼酎を造る、旧式の焼酎の蒸留装置から来ているとのこと。「ちんたら蒸留器」と呼ばれていたそうです。

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2006年1月13日 (金)

役割音楽

細馬宏通さんの日記(20060104)に、カートゥーンの音楽の機能についての分析がありました。役割語の類推で「役割音楽」という概念をたてていらっしゃるのがおもしろかったです。勉強になりました。

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2006年1月11日 (水)

ミュージシャン

ちょっと思い立って、kinsuiでググって見たら、Kinsuiというミュージシャンがいることが判明。

欲しい!

あと、「近畿大学吹奏楽部」の略称が「キンスイ」であることが分かりました。URLをごらんください。http://www.d1.dion.ne.jp/~kinsui/

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2006年1月 9日 (月)

清原その2

ここで、清原の一人称が勝手に「わし」にされる話を書きましたが、最近彼が出ているパチスロのCM(Fields 「俺の空」)では、

「ワイの空」

になってましたね。

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方言詩

浜本純逸先生から、浜本純逸(編)『現代若者方言詩集 けっぱれ、ちゅら日本語』(大修館書店, 2005.12.5, 4469221759)を頂戴しました。

ぱらぱら見ているだけで楽しいです。二つだけ引いておきます。まず、青森県。あえて、注無し。

けやぐ
                                    坂本 未樹

めごいけやぐ
大切なけやぐ
いつもとなりにいるけやぐ
離れていてもけやぐ

ほんずねんわが
めえやぐかげるけやぐ

そんな契約なくても
助けてくれるけやぐ
ままより大事なけやぐ
かちゃましくて
ほいどで
びっきな自分ば
きまげでけるけやぐ
けやぐのとなりはあずましい

「けやぐ」は、「親友」のことですが、「契約」が語源なんでしょうか。

次は、国語学者としておもしろかった詩。福島県です。

私の言語感覚
                  井上夏美

ある日先生が言った
「学校へ行く」
「学校に行く」
「違いは何だろう?」
「国語学のゼミの人はわかるでしょ?」
「………………」
視点が一点に集まる
私のことか………………

そんなこと私にきかないで
だって私、「へ」も「に」も使わない
どっちも間違いでねぇのか?
私は「学校さ行ぐ」だ
考えすぎたら、病気さなっちまう
だから「わがんねぇ」

こんどはぜひ、現地の方(できれば、作者)による朗読CDを付けて売り出して欲しいです。

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カウント・ダウン

pic_lhall やや旧聞に属しますが、2005年の大晦日、兵庫県立西宮芸術文化センターに、「ジルヴェスター・ガラ・コンサート」を聞きに行きました。同センターは、去年の10月にできたばかりの新しいホールで、木目調を基調にした大変立派で美しい建物です。家の近所に、こんな立派なホールができて、とてもうれしく思っていました。

このコンサートは、年またぎのカウント・ダウン・コンサートで、桂三枝、佐渡裕、宮川彬良らが出演していました。オペラあり、ミュージカルあり、アンサンブルあり、落語あり、ショートコントありで、大変盛りだくさんで楽しかったです。

ただし、「大ホールは音が出ない」という噂を聞いていて、「確かにそうかもしれない」と思いました。オーケストラはピットに入っていたので、余計そうだったのかもしれません。今度、1月29日にゲルギエフ/マリインスキー歌劇場管弦楽団でマーラー5番を聞きに行くので、オケが舞台に上がったらどんな響きになるか、楽しみに待ちたいと思います。

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MIDI遊び

以前、Windowsのシーケンサ・ソフトで、遊びで打ち込んだ曲です。あまり高級なソフトではないので、強弱もニュアンスも一切付けられません。ブランデンブルク協奏曲の方は、ちょっと昔の「スウィッチト・オン・バッハ」のような響きがあります。

  1. W.A. モーツァルト 弦楽四重奏曲 ハ長調 K. 157 第1楽章 (ピアノの音色で)
  2. J.S. バッハ ブランデンブルク協奏曲 第6番 変ロ長調 BWV1051 第1楽章

(左クリックして演奏が始まらない時は、右クリックで「対象をファイルに保存」したあとで、お楽しみ下さい)

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アルヨ言葉

お正月に酒も飲まずに書いていた論文が一応脱稿。「はじめに」と「まとめ」だけアップしておきます。

=====

役割語としてのピジン日本語の歴史素描

金水 敏

1 はじめに
 主にポピュラーカルチャー作品の中で中国人を表現する際に、「わたし、知ってるあるよ」「早く食べるよろし」等の、独特な話し方がよく用いられる。これは現実の描写ではなく、一種の役割語 (金水2003:第6 章) であり、現在の日本でこのような話し方をする中国人はまず存在しない。本稿は、このような話し方をピジン日本語の一種と位置づけ、役割語としてのピジン日本語の歴史的な背景を探ることを目的とする。問題となるのは次の諸点である。

1. この種のピジン日本語は、どこでどのように生じたか。

2. 発生後、どのような場所で、いつまで使用されたか。

3. ピジン日本語の中に、変異や変化は見られるか。

4. マスメディアにどのようにピジン日本語が取り上げられ、どのように現在まで生き残ったか。またその歴史的・社会的な背景はどのようなものであるか。

 本稿の最も重要な目的は4 であるが、それを明らかにするためには、1~3 の使用実態の考察も欠かせない。ただし未だ資料が十分ではなく、完全な記述には遠いというのが実情である。本格的な考察は今後のこととして、本稿では、とりあえず素描を試みるものである。
 なお、本稿の執筆に当たっては、筆者もそのメンバーの一人である科学研究費「文献に現れた述語形式と国語史の不整合性について」(2003~2004 年度科学研究費補助金基盤研究(c) 研究成果報告書, 課題番号: 15520290, 研究代表者: 蜂矢真郷) の研究、とりわけ岡島昭浩氏の資料収集 (岡島2005) に多くを負っている。また、前田均氏、屋名池誠氏にも重要なご教示を賜ったことを記しておく。

(中略)

9 まとめ
 19 世紀後半、横浜開港場を中心に、日本人、西洋人、華僑たちの相互のコミュニケーションのために、日本語ベースのピジンが生まれた。横浜ダイアレクト、Yokohamaese 、横浜ことばなどと呼ばれる言語である。またExercises in the Yokohama Dialect の中でNankinized-Nippon と呼ばれるピジン日本語も同じ頃生じたようで、こちらは専ら中国人系話者と日本人との会話に用いられたようである。前者はアリマス型、後者はアル型で、起源的にはいとこ同士のような関係にあると言える。
 明治10 年代くらいまでは、横浜ダイアレクトに似たアリマス型のピジン日本語が創作的作品に多く用いられており、その話者は西洋人、中国人ともに見られた。明治20 年代以降、外国人(中国人を含む)のステレオタイプ的な表現として、アリマス型のピジン日本語が引き続き用いられていったが、昭和10 年代に入ると、日本人入植地における現地人とのコミュニケーションを反映し、アル型ピジン日本語が創作的作品にしばしば登場するようになる。
 現在の多くのポピュラーカルチャー作品に見られるアル型ピジン日本語は、この昭和10 年代以降に現れた状況を受け継ぐものであろう。また現在、西洋語なまりの日本語を表現する際、「ソレ、チガイマース、ワタクシ、ソンナコト、イッテマセーン」のように必ず丁寧体になる点は、アリマス型ピジン日本語の特徴を一部受け継いでいるのかもしれない。
なお、終戦後、アジアの政治的・社会的状況が一変したにもかかわらず、この種のピジンが作品に残り続ける点には、金水(2003) に示した〈老人語〉〈女性語〉の歴史と同様に、役割語の独立性・永続性がはっきりと現れていると言えるだろう。

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2006年1月 8日 (日)

謎の年賀状

職業柄、たくさんの年賀状をいただきます。大別すれば、

  • 同業者
  • 学生
  • 友人・知人・親戚等
  • 業者(出版社)

といった方々になります。ことし、びっくりしたのが、K田一H穂さんから年賀状が届いたことです。K田一さんと言えば、昨年の日本語ブームの寵児といいますか牽引者といいますか、テレビに出まくっていらっしゃいましたよね。「ジャポニカ・ロゴス」とか「芸能人なまりナントカ」とかいった番組です。芸能人に、実家に電話をかけさせて、訛が出るたんびにかねをチンチン鳴らしていた先生です。

年賀状は、印刷した文面に、自筆(とおぼしき)ご署名がありました。

もちろんK田一さんは日本語学者ですから、同業者ということになるのですが、とにかく面識がない。一度もお会いしたこともなければメールや手紙をやりとりしたこともない。知り合いの知り合いというような、接点もないんですね。学会でお見かけしたことすらない。

普通、年賀状といえば、少しでもおつきあいのある方同士でやりとりするものと思っていたのですが。申し訳ないけど、K田一さんの意図がなぞです。なんだか、普段テレビで見ているタレントさんから、突然自筆の年賀状をいただいたような気分です。

「なんで年賀状くれたんですか?」って、聞くわけにもいかないしねえ。

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2006年1月 3日 (火)

備忘のために

くうざんさんの「博士語」のご報告がありましたので、記録しておきます。『恐怖の存在』自体は未見。

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