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2006年2月

2006年2月26日 (日)

日本語の性差を教える

2月24日に引用させていただいた、「た」さんのコメントに関連して、少し書いておきます。

一つの問題は

  • 日本語教育において、日本語の表現に現れる性差をどう教えるか

ということなのだろうと思います。初級の段階だと、「です・ます」体だけで性差があまり出ないので、さして問題はないのですが、中級に入ると、プライベートな対話が入ってくるし、終助詞も使うようになるので、いろいろ問題が起きてくると思います。代名詞の問題ももちろんあって、男性の場合は、「ぼく・おれ」問題が発生することになりますが(この記事参照)。

困るのは、

  • メディアに現れる表現と、現実の対話の間に、大きな乖離がある

ことです。即ち、「今日は雨だわ」「あら、すてきな指輪ね」それに「これ、いただいてもいいかしら」といった女性特有表現は、日常的にテレビやら読み物やらに現れているわけですが、現実にこういった話し方をする人は、少数派になりつつあるのですね。不正確な直感ですが、東京方言圏でも、40代と30代の間あたりに、大きな溝がありそうです。年配の人でも、いつも使うわけでなく、また人によってよく使う人、使わない人、さまざまです。

ですから、若い学生が「このティッシュ、使ってもいいかしら」というと、大変滑稽に聞こえる。ところが、受容のための知識としては、まだまだ必要だと思います。つまり「ダブル・スタンダード」状態になっているのです。

ソウルの大学で現役で日本語を教えていらっしゃる、40代の女性に聞いた話では、教材を作るときに「今日は雨だわ」的な表現を入れるか入れないかで、同僚の30代の教師ともめたそうです。その40代の先生は、「絶対入れるべき」と主張されたのですが、30代の教師に「『だわ』はやめてよ~」と強く抵抗されたのだとか。

性差を示す表現以外にも、場に合わせて適切なスタイルを使い分けるというのは、かなり微妙な感覚が必要で、教科書的に整理するというのは素人考えでは極めて難しいことに思われます。一昨年、ゼミ旅行に行ったとき、女子学生同士で雑談している中で、中国から来た留学生が

「さあ皆さん、お茶の時間にしましょう!」

と言ったら、そこにいた日本人学生たち全員が笑ってしまったそうです。この留学生は日本語が大変上手だし、この表現自体、文法的・意味的にパーフェクトなのですが、会話の雰囲気の中では、すごく浮いて聞こえてしまうのですね。関西方言コミュニティーであったというせいもあるのでしょうが。

もちろん、上の表現でも、それにふさわしい場が与えられれば不自然でなくなるでしょう。会話場面のカジュアルさ、フォーマルさをどのように見積もるか、またそのカジュアルな度合いによって、どのようなスタイルを使うか、ノン・ネイティブに教えるのはすごく難しい気がします。あるいは「どのスタイル」という風に分類すること自体が可能なのかどうか、私にはよく分かりません。

というわけで、結局、「た」さんのご質問には、まともに答えられないわけです。ごめんなさい。日本語教師の方、いっぱい悩んでね。

なお、「た」さんが指摘している「『役割語』の意図的な『習得』または『利用』」の問題については、後日書きます。

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2006年2月25日 (土)

胴切り

大阪大学と朝日カルチャーセンターが共同で実施している、「Handai-Asahi 中之島塾」の世話役を仰せつかっています。今日は、中川桂講師による「ライブ・おもしろ上方落語」という題目で、講師紹介をしたついでに、講義を聴かせていただきました。

中川さんは大阪大学大学院文学研究科を出られ、演劇学で博士号をお取りになっています。ご専門は、近世上方落語の歴史で、大阪大学でも授業を担当していただいています。ご自身でも落語をなさるということで、若手研究者ながら、たいへん巧みな話術をお持ちです。

そしてこの講座のお楽しみは、なんと、中川さんの実弟で本物の落語家、林家染左さんの実演がついているということです。会場の大阪大学・中之島センターの講義室には、即席の高座がしつらえられました。

染左さんは、林家染丸師匠のお弟子さんで、染左さんも阪大のご出身。なお、染左さんの兄弟弟子の染雀さんがやはり阪大出身、竹丸さんが神戸大出身と、実に高学歴の一門です。染左さんは、長身で実にイケメンの若者で、着物に着替える前にご挨拶した時は、「何かのアスリートか」と思ったくらいです。そして、お声がまた、よく通るいい声でした。

中川さんの講義は、笑話の祖・安楽庵策伝から始まり、露の五郎兵衛、米沢彦八と、落語がまだ大道芸だったころの歴史を、文献を丁寧に読みながら説明してくださいました。染左さんの実演コーナーでは、露の五郎兵衛のネタが現在に受け継がれた「胴切り」を披露してくださったのですが、その前に、上方落語の特徴である、見台とはり扇を使った芸として、「東の旅 発端」を聞かせてくださいました。噺家の入門の時に、口さばきの練習としてこの「東の旅 発端」を習うのだそうですが、高座や放送ではめったに演じられることがないものです。私も初めて聞きました。

(ちなみに、私の講座の学生の一人が、笑福亭福笑師匠のお嬢さんなのですが、彼女の記憶によれば福笑師匠はこの「東の旅 発端」のたたき技は習っていないそうです)

上方落語のお勉強と実演が両方楽しめる、大変充実した講座でありました。

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2006年2月24日 (金)

いただいてもいいかしら?

2月20日の記事に、「た」さんがコメントを付けてくださいました。大変興味深い問題で、実は同じようなご質問を、何人もの日本語教育に携わる方々からいただいています。私の考え(というほどまとまっていませんが)は後日改めてお示しすることとして、まず「た」さんのコメントをここに再掲いたします。皆さんも考えてみてくださいね。

 メールにて失礼致します。いつも広いジャンルに渡る話題を興味深く拝読させていただいております。私は現在中国人に日本語を教える者ですが、昨日、私には『難しい質問』を受けました。是非先生にご相談したく、メールさせていただきました。
 受けた質問は、日本語会話のテキストにあった下記の例文に関するものです。
  ◇女A「このティッシュいただいてもいいかしら」
 質問者は大学2年生で、日常的な応対ならだいたいできるレベルです。まず、「~かしら」のニュアンスについて聞いてきました。私が大ざっぱに「女の人が、考えながら話している様子。ちょっと上品な感じ」などということを答えると、彼女が「では、私もこれからはそのように言うべきですね?」と言ったのです。私が「う~ん、普通の人はあまり言わないかなあ」などと言うと、彼女は「私も女です。上品な話し方をしたいです≪熱いまなざし≫」と言いました。
 私の答え方が中途半端であったことは否めないと思います。終助詞に関しては、非常に質問が多いので、私自身がもう少し的確な回答ができるようにしなければならないと思います。しかし、その問題とは別で、これは<役割語>の問題でもあると思います。私はそういう方向からの説明もしたかったのですが、理解が不十分なので、生半可なことは言えませんでした。
 先生は、ご本の冒頭に外国人の役割語に対する理解の問題を挙げられています。私はご本を拝読した時から、外国人・日本人を問わず、役割語の「理解」に加え、『意図的な』「習得」または「利用」に関して、興味を持っていました。
 彼女にどう答えてあげたらいいか、また、今後こういう問題を広くどのように考えたらいいか、教えていただけませんでしょうか。
(長くなり、大変失礼致しました。)

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よかったね

荒川、村主と演技を見ていて、涙が出そうになりました。

あら可愛い(荒川)優り(村主)た演技やりとげて
メダルも取りの(トリノ)ほっと安堵う(安藤)

字を金色にしてみました。おそまつさま。

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2006年2月22日 (水)

梅原日本学?

梅原猛氏の「反時代的密語」(朝日新聞2006.2.21, 15頁)という連載エッセイに、「金田一理論の光と影」という見出しが上がっていたので、つい読んでしまいました。「金田一」という姓には、つい反応してしまいます。

今まで梅原氏の書いたものは一切読んだことがなかったのですが、いやはや、驚きました。「日本語はアイヌ語の祖先たる縄文語と、渡来した弥生人が使っていた言語の混合語である」という仮説のもと、現代日本語のさまざまな語彙がアイヌ語と同起源であることを示していくのですが、音韻論や形態論の基礎の基礎をまったく知らない素人語源説で、そのでたらべめぶりにはあきれるばかりです。学部の試験で「この記事の中に明らかな誤りはいくつあるか」という問題ができそうです。

この文章を読んで、清水義範の「序文」という小説を思い出してしまうのは、私だけではないでしょう(『蕎麦ときしめん』講談社 ; ISBN: 4062029960 ; (November 1986) 所収)。「日本語と英語は同系」と主張する言語学者のトンデモな著作の序文を順に引いていくことで、この学者の栄達と失墜を描くというおもしろい小説です。しかし「序文」は創作、梅原氏のエッセイは現実でしかも本気、朝日新聞の紙面を使って堂々と掲載されているのですから、頭を抱えてしまいます。

原文を引用するのも、時間の無駄という気がして、気が進まないのですが、そのひどさを知っていただくために一節を書き抜きます。

 私は、日本語の代表的な格助詞である「を(お)」および「へ」について、次のように考える。例えば「京都を発って東京へ行く」というとき、アイヌ語では「オ京都、エ東京」という。「オ」はお尻あるいは性器を指し、「エ」は頭あるいは顔を指す。つまり京都に尻を向けて東京へ顔を向けるという意味である。ところがこのような言葉が古代朝鮮語を話したと思われる弥生人によって使われるとき、この語頭にあった「オ」「エ」が語尾の位置に下り、助詞「を」及び「へ」になったと私は考える。

ここでは、「を」がワ行、「へ」がハ行であるという基本的な事項が検討されていないし、また「を」は出発点とともに経路を表すということがらも無視されています(出発点・経路の「を」と目的語の「を」の関係も問うべきであるが、ここでは目をつぶっておきます)。また「へ」の語源が「辺」という名詞である(という仮説が有力である)こと、文献を少し調べればすぐ分かることです(ちゃんと批判するためには、アイヌ語の側からも検討すべきですが、それだけの時間を費やすに足る対象とはとても思えません)。

結論が先にあって、それに合わせるために、現在までの真摯な研究を一切無視し、事実をねじ曲げるという態度は、「学者」からはほど遠いと言わざるを得ません。

なお、一言付け加えておきますと、私自身は縄文人のことばとアイヌのことばに関連があるという仮説については、否定するものではありません。しかし梅原氏の言説は、そういったまともな仮説の検討をさまたげこそすれ、決して補強するものではないのです。

おそらく、梅原氏の著作は、「歴史学」とか「日本学」とかいうものでなく、ファンタジーとして読まれるべきものなのだろうと思います(そうだとしても、あまり上手な作家とは言えそうもありませんが)。しかし世の中には、ファンタジーと現実を混同してしまうひとも往々にして存在するようなので、そこが大変心配です。

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2006年2月20日 (月)

このブログについて

いったいこのブログは、なんのためのブログなのか?

と、ご疑問をお持ちの方もいらっしゃることでしょう。

それは当然の疑念です。書いている私にもよく分からないので。

もともとの動機は、「今流行の、ブログってどんなものか知りたい。だったら、自分でやってみるのが早道」というものでした。「トラックバックってどんな風に機能するのか?」ということも、やってみるまで分かりませんでしたから。

それから、「役割語」研究の意見交換の場を作りたい、という希望もあったので、このブログにはそういう部分が少し入っています。本格的にやるなら、ブログを分けた方がいいと思いますが、まあしばらくはこのまま続けます。

そういう、確たる定見もないまま始めたブログなので、ごくわずかの友人・知人の方にしかお知らせしませんでした。だからアクセス数は低くて当たり前なのですが、なぜかアクセス数が結構気になったりするというのも、変な心理です。「あまり見られたくない、でももっと見て欲しい」みたいな。

今年の一月くらいまでは、一日平均アクセス数が20台の前半をうろうろしていたのですが、2月に入って、たいして更新もしていないのにアクセス数が上がってきて、現在は一日平均30台の大台に乗りました。

そうなると、「一体、誰が見てるんだ?」という疑問が湧いてきます。自分が知ってる人が何人か、ときどき来てくれている気配は感じるのですが、たぶんぜんぜん知らない方も来ていただいてるようで、それはそれで不思議な感じです(一番見てるのは自分自身、というのは間違いないと思いますが)。

リンクを張ってくださっている方もあるようで、そういうのをたどって来られている向きもあるのでしょう。

「エッジの効いた」評論が書けるわけでもなく、また日常を赤裸々にさらす勇気もなく、「セレブ」にはほど遠く、こういった「ゆるーい」ブログですが、もうしばらくはこの調子で続けていくつもりです。こんなんでよければ、これからも時々見に来てください。

それと、「名乗ってもいいぞ」という方、よかったら、どうぞコメントに足跡など残していってください。

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2006年2月19日 (日)

乙女泣く

同僚のH先生が、2004年に作られた回文に、

行け、我が井川慶!(いけわがいがわけい)

というのがございます。なかなかよくできてますね(去年の井川はぱっとしませんでしたが...)

今日、阪神のキャンプ情報を見ていて、一つ思いつきました。

乙女泣く、金本

今ひとつ意味不明ですが、金本の勇姿を見て乙女が涙するという、まあそういったことです。

え?これのどこが回文かって! 実はこれ、ローマ字回文なんでございます。

OTOMENAKUKANEMOTO

ね?

(阪神ファン以外の方、失礼しました)

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2006年2月17日 (金)

ナッシュ均衡

飛行機の中で見たのか、DVDを借りてきて見たのかよく思い出せないのですが、「ビューティフル・マインド」という映画を見て、不思議な雰囲気の映画で印象的だったので、もう一度見たいと思っていました。たまたま、今日、NHKの衛星放送でやっていたので、見ることができました。

やっぱり良くできた映画で、おもしろかったです。J. F. ナッシュという天才的な数学者が、若くして均衡理論という画期的な業績を打ち立てながら、幻覚・妄想に悩まされ、しかし妻の支えを得て立ち直るというストーリーです。舞台が大学という点も、私にとって興味深く感じられました。

映画の中で、ナッシュは94年にノーベル賞を得るのですが(これがクライマックス)、一緒に見ていた嫁が「これって実話なん?」と聞きました。私は、「そら実話やろ、『ナッシュ均衡』っていうことばもあるし」と答えました。

自分で答えて、「あっ」と思い起こすことがありました。

『自然言語処理』Volume 12 Number 3 (2005 年 7 月)に、「ゲーム理論による中心化理論の解体と実言語データに基づく検証」 pp. 91-110. (白松 俊,宮田高志,奥乃 博,橋田浩一)という論文があって、雑誌が届いたときに興味を引かれてパラパラ読んでみたのですが、おもしろそうだと思いつつ、ゲーム理論のことをよく知らなかったので、「いつか勉強してみよう」と思い、そのままになっていました。その論文の中に、「ナッシュ均衡」という概念が出ていて、心にひっかかっていたのです。しかしそのときは、「ビューティフル・マインド」のことなんかちっとも思い出さなかったです。

今日、「ビューティフル・マインド」と「ナッシュ均衡」が、私の中で、めでたく結びついた訳です。

さっき、Wikipediaで「ナッシュ均衡」を引いて少し詳しいことが分かりましたが、でもまだ理解してません。さらに勉強してみたいと思います。

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2006年2月16日 (木)

ギャル語

今朝、石橋駅前を歩いていたら、ギャル系の若い女の子が二人で話していたのが耳に入りました。

「○○(相手の名前)、最近、にきび減ったくない?」

どうやら、「減ってきたんじゃない?」という意味らしい。形容詞連用形語尾の「く」を動詞のタ形に付けていますが、始めて聞く表現でした。

秋田方言で「時計が遅れるようになった」ということを「遅れるぐなった」と表現するのに似ているようですが、少し違う気もします。

秋田方言の場合は、「遅れる」という反復性・習慣性の表現を形容詞に見立てて、形容詞連用形語尾「ぐ」(「く」が濁音化したもの)を付けているのですが、今朝聞いた表現は、「にきび減った」という(パーフェクト的な)句全体に、「くない?」をモダリティの助動詞+確認の標識としてくっつけているように見えます。

こういう表現を聞いたことのある方、いらっしゃいますか?

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正解発表

先々日のなぞなぞは、すぐに正解が出てしまいましたが、狂歌風に改めて正解発表と参ります。

中国の詩人が全部集まって
相撲とったら白居易残った(ハッケヨイノコッタ)

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2006年2月14日 (火)

滑稽大学

突然ですが、頓知なぞなぞです。

中国・唐代の詩人が集まって相撲大会をしました。最後に勝ち残った人は誰でしょう?理由もいっしょに答えること。

コメント欄に、最初に正解を書いた方、ほめてとらせます。

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2006年2月13日 (月)

トリノ

腰折れを一つ。

日本人 メダルをトリノ(取りに) イタリアに(行ったのに)

うまくいったの オラン(居らん)ピックか

ちょっと無理があるかも。

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2006年2月10日 (金)

お忙し

しばらく更新がとどこおっておりますが、このシーズン、大学の教員は大変いそがしいです。試験(問題作り、採点)や期末レポート採点や卒論、修論、博論口頭試問があるわけで、学生さんの書いたものをいっぱい読まねばなりません。時間をとって丁寧に読んであげたいのですが、思うようになりません。

その上に、大学の「年度計画」というものを作る係りになっていて、とても消耗します。

そういうときに限って、いろいろプライベートな仕事が重なります。本を出すことになって、その校正の追い込みがありました。出版助成を受けているので、締切が厳しいです。出版社の方は心配で泣きそうになっていることでしょう。ちなみに今度の本は、専門書なのでとても売れそうにありません。

その他もろもろ、締切が次々やってきて、へたをすると通り過ぎていきます。

その上に、先週、今週と研究発表が続きます。明日早朝から東京1泊です。

来週一杯そういう日々が続きます。

ちょっと愚痴ってしまいました。

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2006年2月 2日 (木)

外来語の言い間違い

昨日、テレビで若手芸人の一人(アンガールズの左側)が、「自分もヒューチャーしてほしい」と言っていました。字幕にも「ヒューチャー」と出ていましたが、これはfeatureのことだから、「フィーチャー」というべきでしょう。誰かが指摘するかと思ったけど、別につっこまれることもなく、つまり「スルー」されていました。

芸人が間違えるのは別にめずらしくもないのですが、英語に堪能なはずの、偉い先生方がぽろっと間違えたりするのが、端で見ていて恥ずかしいということがあります。

昨今の大学の「評価」ばやりで、外部の学部長クラスの先生に評価書を書いていただいたのですが、その中に「ピュア・レビューをしっかりやるべきた」と書かれていました。これはpeer-reviewで、「ピア・レビュー」とあるべきです。peerには同僚とか同業者という意味がある訳で、peer-reviewは同業者による(外部)評価ということになります。「ピュア・レビュー」だと、“純粋な評価”になってしまって、意味が通りませんよね。

ちょっと違う例ですが、尊敬する先輩の先生が、教授会で何度も「インターンスィップ」と言っておられました。これはinternshipですから、「インターンシップ」でないと変ですよね。日本人は「スィ」を「シ」となまりやすいので、意識しすぎて、過剰修正されてしまったのかもしれません。ご指摘しようとも思いましたが、まだ言えないでいます。

自分も結構間違えるので、人のことは偉そうに言えません。

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耐えうる

今日の「ちちんぷいぷい」という情報バラエティ番組(MBSテレビ)で、兵庫県三田市にあるレンゴー(株)という段ボール箱のトップシェアを誇る会社の工場長が、段ボール箱の強度について説明する談話の中で、

「車一台載ってもたえうります」

と言っていました。これは、「耐え得る」という下二段活用の表現を、ラ行五段活用風に活用させた表現と考えられます。規範的には、単に「耐えます」と言えばいいし、敢えて「得る」を用いるなら「耐え得ます」でしょう。

この地方であれば、命令表現で「見れ」「見り」等の形式が用いられることがあるかと思いますが、二段活用の連体形を四段活用化する例は始めて出会いました。

もう一つおもしろかったのは、発話で規範からの逸脱があっても、字幕では訂正されるということがあるのに、この場面では字幕にはっきり「たえうります」と出ていたことです。字幕に起こした人がよく分かっていなかったのかもしれません。あるいは、逆によく分かってしまったのか。

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