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2006年3月

2006年3月30日 (木)

どうバカ

きのうの夜、立命館大学のTさん、京都精華大学のYさんとOさん、R書店の若い女性編集者2人、そして私の6人が、京都・荒神橋のたもとの飲み屋で食事していました。R書店から出そうとしている、マンガ研究シリーズの編集会議を京大会館でやったあとのことでした。

Tさんとは、以前さるワークショップでお目にかかったくらいで、いままでほとんどお話ししたことがありません。歴史学をフィールドとし、評論でも活躍している気鋭の研究者です。会議の間は、どちらかというと口数が少なく、むずかしい顔をしておられました。

それぞれ、出身地はどこか、という話になって、Tさんに振ったら、「私は札幌です」とおっしゃいました。「そうなんですか。実は私は先週、家族で札幌に行ってたんですよ」と言って、ヨウ様ツアーの話をしたら、Tさんはびっくりした様子で、こう言いました。

「ぼくは、「どうでしょう」大ファンなんですよ!」

そのあとは、あとの4人を置き去りにして、ひたすら「水曜どうでしょう」ネタで、私とTさんと二人で盛り上がっていったのでした。

「寝れないんだよお」

とか、

「ヒゲでデブじゃいけないのかよ」

とか、

「雪面のトビウオ」

とか、「どうでしょう」で使われた名台詞を言い合っては、二人で笑い転げていたわけです。あとの4人はあまりの勢いにつられて笑ってました。でも、心の中で困惑していたことでしょう。Tさんは、

「いやあ、こんなところで「どうでしょう」の話ができるとは思わなかった」

と、ご満悦でした。私も、うちの家族以外で、本物の「どうバカ」(「水曜どうでしょう」バカの省略形)を見たのは初めてです。

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ヨウ様ツアー

Dsc02850 3月22日~24日に北海道に行っていたことは書きました。小樽に行ったり、北海道大学を見学したり、大倉山ジャンプ台に行ったりもしたのですが、一番の目的は、「大泉洋(おおいずみ・よう)と「水曜どうでしょう」関連の場所めぐり」だったのですね。

大泉洋は、北海道出身の若手俳優で、北海道テレビ(HTB)の深夜番組「水曜どうでしょう」で道内の人気を得、その後、じわじわと全国的に知られるようになりました。うちの二人の子供が、「どうでしょう」と大泉洋の大ファンで、旅行に行くなら札幌、ということになったのです。私も奥さんも、子供につられて「どうでしょう」のDVDや再放送など見て好きになっていたので、子供達に付き合うことにしました。

毎年、春休みに家族旅行をするのが恒例なのですが、この時期の北海道は、まだまだ寒いし、雪解けで町はきたないし、どちらかというとワースト・シーズンなんです。それでも行ったのは、上のような理由です。

大泉洋や「水曜どうでしょう」について知らない方も多いと思いますが、ネット検索でたくさん情報が得られると思います。Wikipediaはやたらと詳しいです。ですから、ここには説明しません。

現地では、ポールタウン(地下街)とTokyu HandsにあるHTBショップに行ったり、HTB本社に行ったり、「どうでしょう」で枠撮りをしている「平岸高台公園」に行ったり、大泉洋や仲間の人たちがよく利用していた、「カリー軒」というレストランに行ったりして、みんな大満足でした。特に平岸高台公園と、HTB本社ロビーにある「どうでしょう」関連物件(みんな本物)には、感激しましたね。

というわけで、おめでたい我が家の、ヨン様ツアーならぬヨウ様ツアーでした。

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2006年3月26日 (日)

爆弾酒

DSC02756 ここに書いた、釜山での学会の時のことです。東義大学校のJ先生は、とても豪放磊落な方で、かつとてもお酒好きです。先生の特技の一つが、爆弾酒作りです。爆弾酒とは、ビールに、焼酎やウィスキー等の蒸留酒をまぜた飲み物ですが、先生のは、その混ぜ方に特徴があります。写真のように、ビールのタンブラーを1列に並べ、その上にショットグラスを置いていきます。タンブラーにビールを、グラスにウィスキーなどを注いでから、一番はしのグラスをちょんと突くと、ドミノ倒しの要領で、グラスがぽちょぽちょぽちょとタンブラーに落ちていくわけです。それで、グラスを取り出し、できあがった爆弾酒を飲みます。

なかなか見事な技で、お酒の席が大いに盛り上がりました。

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ご退休

同僚の後藤昭雄先生のご退休をお祝いする会(2006年3月21日)で撮った写真を、アルバムにアップしました。ピンぼけの写真も多いのですが、記念なのでとりあえずそのままにしておきます。

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ひつじ書房

ひつじ書房のホームページから引用します。「待ちぼうけて、待ち続けて」というところに、房主松本さんの、思いが込められていますね。ほんとうに遅くなってごめんなさい。

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2006.3.17

『日本語存在表現の歴史』が届きました

『日本語存在表現の歴史』が製本所から届きました。金水敏先生のたいへんな労作であり、存在表現研究においては今後最も重要な書の1つになると思います。

ひつじ書房としては、この本は10年来の恋が実ったような感慨深い本です。待ち続けて、待ちぼうけて、待ち続けて、それでも最後は結ばれた人のよう。担当は松原梓で最後のところ、編集者としての本の仕上げを手伝いました。彼女の功績は大です。

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新著

book_2309 私の書いた新しい本が手元に届きました。『日本語存在表現の歴史』(ひつじ書房、ISBN:489476265X)と言います。日本語史の専門書なので、読み通すのはちょっと根性がいるかと思いますが、ご興味のある方、ぜひお手にとってみて下さい。

本書「あとがき」を下記に引いておきます。ご献本した方のお返事で、「内容はまだ見てないがあとがきに感動した」と書いてきた方がいらっしゃいました。

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本書のルーツは、一九七九年、在学していた東京大学大学院人文科学研究科での山口明穂先生の演習「あゆひ抄読解」において、私が「有倫(ありとも)」の項を担当したことに発します。古典語の「たり」を、里言(口語訳)においては「内外」(有生・無生)の区別に従って、「~ている」「~てある」と使い分ける、という記述(本書14・4・2節参照)に興味を引かれ、同時代の本居宣長の「古今集遠鏡」で例証を試み、その事実を確認しました。それをきっかけとして、「いる」と「ある」の使い分けと歴史的変化への関心が高まり、同じく山口先生の学部時代の演習(一九七七年)で取り上げられた「天草版平家物語」を使って、原拠本との対照により、変化の断面を切り取ることを思いつきました。この調査は、一九八一年三月に提出した修士論文「文の意味構造と〈有情・非情〉」へと結実しました。そして修士論文の成果をもとに、私の最初期の公刊論文である金水(一九八三a、一九八三b、一九八四)が生まれ、それが本書の基盤となった訳です。本書を生み出す重要な契機を与えてくださった山口明穂先生に、まずお礼を申し上げなければなりません。またもう一人の恩師・築島裕先生は、私を漢文訓読文の世界に導いてくださいましたが、そこから「ゐたり」と「をり」の文体的な対立という概念が導かれたわけです。そのアイディアはまず金水(一九八三b)で言及され、やがて本書第2部の大きなテーマとなりました。築島裕先生、山口明穂先生、ありがとうございました。

併せて、その当時演習や普段の学習においてさまざまなご意見を賜った諸先輩・後輩の皆様にも心よりお礼を申し上げます。特に、七七年の「天草版平家物語」演習でご一緒させていただいた工藤真由美氏には、当時ご研究中だった宇和島方言のアスペクトなどのお話から、アスペクトに対する関心を開いていただきました。言うまでもなく工藤氏のご研究は工藤(一九九五)に代表されるように、その後の日本語におけるアスペクト・テンス研究を牽引する立場に立たれたわけで、本書においても多大な学恩を賜っております。記して深く感謝いたします。

その後、一九九二年頃、仁田義雄先生より、ひつじ書房の「日本語研究叢書」第二期へ寄稿せよとのお誘いをいただき、存在動詞の歴史なら書けると思ってお引き受けしましたが、これが思いの外の難産となってしまいました。今思えば、私自身の研究の興味がさまざまな方向へと広がっていった時期でもあり、一冊の本をまとめるという集中力を欠いていたことが最大の原因であったかと思います。執筆作業に手を付けられないまま時間が過ぎ、その間に九五年の阪神・淡路大震災での被災、九八年の本務校の移動などが重なり、なお出版が遅れることとなりました。この度、二〇〇五年度の日本学術振興会の出版助成を得たことを弾みとして、ついに出版にこぎ着けましたが、それもこれも、ひつじ書房房主松本功氏が我慢強くねばり強く執筆を促されてきたからこそのことであります。松本氏には、心からのお詫びとお礼を申し上げます。また、最後の追い込みに担当者として伴走してくださった、ひつじ書房の編集担当の松原梓さんにもお礼を申し上げます。

さて、いささか言い訳めきますが、本書の執筆を思い立ってから今日までの回り道は、決して無駄であったわけではなく、この間に学んできた日本語史、意味論、統語論、語用論、計算言語学、社会言語学等の知識は本書にそれなりに反映されているのではないかと思います。予定通り書き上げていたら成っていたであろう本書の姿と、今日の現実の本書の姿とは、かなり異なっていたはずです。本書は、その意味で、私のこれまでの研究生活の集大成であると言えます(「役割語」も、実は本書で扱った「おる」の研究の中から生まれた概念であることを付け加えておきます)。私の満五〇歳の年に刊行がなったことも、単なる偶然を越えた意味を持つのでしょう。ここで、私が研究の道に進むことを許してくれた両親と、私の生活を支え、生き甲斐と張りを与えてくれた妻と二人の子供たちにも改めてお礼を申したいと思います。そしてここに名前を記すことができなかった方々も含め、貴重なご教示を賜り、私の研究を助けてくださった皆々様、本当にありがとうございました。

ともあれ、やっと本書を書き終え、私は今、積年の負債を返済し終えたような思いでいます。本書を足がかりとし、いざ、研究生活の後半戦へと旅立つことといたしましょう。

二〇〇六年二月 西宮の自宅にて

                                                             金水 敏記

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セカチュー

107741 山本弘(著)『トンデモ本? 違う、SFだ!』(洋泉社, ISBN4896918320)を読んでいたら、意外なネタに出会いました。片山恭一(著)『世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館, ISBN4093860726)は、タイトルが印象的ですが、このタイトル(著者ではなく編集者がつけたとのこと)はオリジナルではなかったというものです。

 しかし、このタイトルの元ネタがアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』最終話のサブタイトル「世界の中心でアイを叫んだけもの」であり、さらにその元ネタがSF作家ハーラン・エリスンの短編集『世界の中心で愛を叫んだけもの』(ハヤカワ文庫)であることを知っている読者がどれだけいるだろうか。実際、この原稿を書くために『世界の中心で、愛をさけぶ』についてネットで検索していたら、「このタイトルの本が出版されて、ドキッとした。だって、今までこんなにインパクトのあるタイトルはなかったもの」という文章にぶつかって、笑ってしまった。なかったんじゃなく、あんたが知らなかっただけだってば!(171頁)

すみません、私も知りませんでした。

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WBC

賞味期限の切れないうちに。また狂歌でございます。

負け負けて こりあ(Korea)だめだと 思ったが
急場(キューバ)しのいで 結果オー(王)ライ

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2006年3月22日 (水)

小樽の人よ

家族旅行で、札幌に来ています。今日は小樽を見ました。寒いです。雪が舞ってます。

ホテルから投稿しました。詳しくは、また後日。

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2006年3月21日 (火)

100

一つ前の記事で、めでたく100本目でした。忘れてました。

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名儒にして俗物

このたび退職される、同僚の後藤昭雄先生にいただいた、『大江匡衡(おおえのまさひら)』(人物叢書、吉川弘文館、ISBN4642052356)を読了しました。

後藤先生は、大学院の一年生の時の演習で、匡衡の詩集『江吏部集(ごうりほうしゅう)』を読まれたという因縁がおありとのことで、退職の年に匡衡についての著作を出されたことに特別の感慨を持たれたとのことでした。

例によって、平明にして要を得た名文で、すらすらと楽しく読めました。

大江匡衡は、藤原道長と深いつながりを持ち、当時名儒と謳われた人物ですが、不明にして今までわたしはまったく知識がありませんでした。紫式部と同時代人で、奥さんは歌人として有名な赤染衛門です。

感動の生涯が展開されるのか、と思ったら、まったく別の意味で驚きました。「稽古の力」を信じ、精進のおかげで多くの有名な文章を残し、天皇や東宮の講師となった人ではありますが、彼の関心事とは、とにかく家名を高からしめ、自身や子の栄達を願うこと意外になかったという、どちらかというと俗物に類する人だったようです。望む官職が得られないと、大げさに歎き、すね、あげくに孔子の悪口まで言い出す始末。これって、神父が神を呪うようなもんですよね。ひとたび順調にことが運ぶと、有頂天になって、所や場面もわきまえず、自身の功績や家柄の立派さを大げさに称揚し始めるわけで、ちょっと常軌を逸しているところがあります。

まあこれも、ある意味「人間味にあふれてる」と言えなくもないわけで、いわゆる偉人の伝記ではないところがとてもおもしろかったです。

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時間の使い方

20日、さる会議のために東京出張をしたのですが、5時までの予定が1時で終わってしまいました。

飛行機の切符は夜7時で、割引切符だから変更はできない。つまり、手数料払って払い戻しした上で、ノーマルの切符を買わないと、時間が変えられないのですね。

夜までどうしようと思って、いろいろ考えました。平日の昼間だから、友だちを呼び出すわけにもいかず。古本屋めぐり、大学図書館で調べ物、美術館・博物館鑑賞と、いろいろ考えて、結局、安直に映画を選びました。

あまり見たい映画もなかったのですけど、時間の関係もあり、新宿で「イーオン・フラックス」を見ました。思ったより、よかったです。DVDでもう一度みたい、というほどではありませんが。

終わってから空港に早めに行って、チェックインをしたところで気づきました。実は、時間変更が可能なチケットだったのです。いつもは、特割とか早割とか、変更不可のチケットだったのですが、今回はシャトル往復便だったんです。

こんなことならさっさと帰っていればよかった。でもまあ、たまには一人で映画館、というのも悪くなかったかな。

ほかの人はこんなとき、どんな時間の使い方をするのでしょう?無理してでも早く帰る、というオプションを含めて。

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2006年3月19日 (日)

ご縁

ここにコメントを書いて下さった方々を、私は個人的に知っている訳ですが、お互いには顔を合わせたこともないのです。そんな方々が、コミュニケーションをしている様子が、とても興味深く、楽しい気がしました。これも、ご縁というものかと思います。

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釜山から帰りました。

Dsc02759 韓国・釜山から帰ってきたところです。韓国日本語学会の講演に招かれたのです。日本と同じで、文系の学会はなかなか運営が苦しいのですが、そんな中で、若い理事さんたちが一丸となって学会をもり立てようとしている意気込みが感じられました。ここに挙げた写真は楽しそうですが、ちゃんとお仕事もしてきましたよ。Dsc02762

明日はまた東京出張があるので、詳しくはまた後日。

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2006年3月16日 (木)

詩人がいっぱい:解答篇

ここに引いた、菊水さんの詩人なぞなぞの解答がでました。楽しかったですね。これで、各詩人の代表的な作品にリンクなんか張れたら、すごく勉強の意欲が湧くんですけどね。

 左下のリンクにある野原さんの 日記も含めると、あっという間に答えが出てしまいましたね。下にまとめて再掲させていただきます。お付き合いくださった皆様、ありがとうございました。
 答え:1徒歩(杜甫)、2半額(潘岳・安仁)、3おーい(王維)、4そうそう(曹操)、5ギョ!元気?(魚玄機)、6肝油(韓愈)、7粗食(蘇軾・東坡)、8勝とう(賈島)、9当選(陶潜・淵明)
 魚玄機の詩は一首も知らないのですが、女性詩人代表で入れました。
 景品代わりにはなりませんが、最後にもう1問。実は当初「詩人10は怒って、この宴会には二度と出席しないぞと言って帰りました」というのを入れていました。かなり無理があります。もちろん皆様ご存知の、この時節朝寝坊している詩人です(なぜか関西弁)。私自身は、またいつかこちらに伺いたいと存じます。

菊水さん、またお願いしますね。

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2006年3月15日 (水)

今年のくぎ煮

P3151577 兵庫県南部の地域のスーパーマーケットでは、3月になると、「いかなごコーナー」が出来ます。「くぎ煮」という料理のために、イカナゴという魚の稚魚が売られるのですが、醤油、砂糖等の調味料、煮てから汁気を切るための専用のざるや、保存するための大型のタッパーが並べられます。各家庭で、イカナゴを1Kgとか2Kgとか買って帰って、自分の家で煮るわけです。基本的には、醤油、砂糖と酒・みりん等で煮上げる、一種の佃煮のようなものです。市販もしていますが、市販のものは概して固くなってしまっているのに対し、家で上手に炊くと、ふっくらと口当たりよくできあがります。家庭によって、レモン汁を加えたり、ショウガを効かせたり、いろいろ工夫があります。炊きあがりの色や形が、古釘に似ているところから、「くぎ煮」と呼ばれるようになったのでしょう。

今年我が家では、山椒の実を入れました。寒さのせいでイカナゴの生育が遅く、小さいので、釘には見えません。また、たまたま濃い口醤油を切らしていて、薄口で代用したので、色も悪いです。でも味は悪くないですよ(なお、作ったのは奥さんです)。

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2006年3月14日 (火)

詩人がいっぱい

こんな謎々を作って、ここに正解をお示しした訳ですが、「菊水」さんがコメントに類題を書き込んで下さいました。私も考えますので、皆さんも考えて下さい。

 私も作ってみました。長いだけで先生のよりも単純なものですが。詩人1から9は誰?
 中国の時代不同の詩人が集まって宴会をしました。詩人1だけは会場に歩いてやってきて、詩人2は会費が高いといって半分に値切り、詩人3は遠くの席の人に呼びかけてばかりで、詩人4は相手の話に相槌を打ってばかり、詩人5は相手の話に大げさに驚いては健康かとたずね、詩人6は健康にいいからとドロップをなめ続け、詩人7はせっかくのご馳走が口に合わず、詩人8は相撲では白居易が勝ち残るので他のゲームで負けまいとし、最後に代表選挙を行ったところ詩人9に決まりました。

詩人1の「杜甫(徒歩)」はすぐ分かりましたが、あとは、参考書を引っ張り出さないと難しいです。正解者には、「菊水」さんがなんかくれるでしょう(ほんとか?)

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2006年3月13日 (月)

古い写真

「マイフォト」に、古い写真のアルバムを2つ、アップしました。

一つは、私とT先生とともに、共同研究をしていたL. A. 在住の研究者、H. H. 先生を、1999年に訪問したときの写真です。H先生のお宅、ご近所、行きつけのレストラン、オープン・マーケット、大学施設等を撮っています。L. A. がとても豊かでくつろいだ街のように思われ、その気持ちが写真にも出ていると思います。

もう一つは、大学の研究室旅行で2000年に加賀方面に行ったときの写真です。この旅行は、M教授の退官記念の意味がありました。今となっては、とても懐かしい人々や風景が写っています。

どちらも、銀塩フィルムで撮ったネガからスキャンしています。デジカメとは違った、とても鮮やかな発色で、花や果物がとてもきれいですね。

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2006年3月12日 (日)

教授

昨日(11日)午後7時~8時55分、BSフジで坂本龍一のピアノソロコンサートをやっていました。

最近は、坂本のコンサートはecoとかlohasとかがテーマで、化石燃料による発電を出来る限り使わないようにしてるらしいです。ステージの明かりも、ろうそくでした。MCの中で坂本は、「古いファンや友人からは、『お前にecoとか言われたくねえよ』って言われそうですけど」と自虐っぽく言ってましたけど。

坂本龍一は、今生きている作曲家の中では、私が最も敬愛する人物です。モダニズムの中にぎりぎり通俗性の毒を垂らし込んで、しかし余分な感情のまとわりつきを排除しているところが、私にとってとても心地よいのです。

私は遊びでピアノを弾きますが、一番よく奏するのがやはり坂本龍一です。Energy Flowとか、戦メリとか。私の演奏は、訥々としてとても人様にお聴かせできるものではないのですが、そんな演奏でも気持ちよく響いて快感です。

演奏家としての坂本龍一は、とにかくメカニズムが完璧で、和音がとてもクリアで、その楽曲と同様に感情をそぎ落としたクリスタルな響きを奏でます。

YMOについては、いろいろ書きたいこともあるのですが、また機会があれば。

(なお、タイトルの「教授」はもちろんYMO時代の坂本龍一のニックネームです。私と坂本龍一の唯一の共通点です)

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シーズン

複数の箇所から給与をもらっている(非常勤講師をしているから)のと、ささやかながら雑所得があるので、確定申告をしなければなりません。もう20年以上続けています。

くうざんさんも、野原さんも、もちろんやってらっしゃいます。

家を買ったとき、震災を受けたときなどは、控除があったりして税金が返ってきましたが、それ以外はたいてい、追加で払っています。今年も、そうなりそうです(いくら払うかは、ないしょ)。

最近退職された同僚のI先生は、毎年このシーズンになると、張り切って申告してらっしゃいました。必ず還付を勝ち取るそうです。どう考えても、そんなに返ってくるとは思えないのですが、なぜかI先生は毎年税金を取り戻していらっしゃったそうです。1年間ばっちり証拠資料をためて、税務署に呼び出されても徹底的に戦うのだそうです。

どこをどう戦われたのか、未だに謎です。

ところで、申告書を書くために、最初は手計算、ある年からExcelを使うようになり、今年初めて、国税局のホームページを使ってみました。明細を入力したら、計算と清書を全部やってくれるので、楽でした。

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2006年3月11日 (土)

模様替え

ご覧の通り、背景を変えました。

桜のシーズンって、いつも心がざわつきますね。

別れとか出会いとか。

挫折とか希望とか。

そんな思いを託して。

桜が散るまで、この背景にしようと思います。

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対向配置

images 2006年3月9日10時~の「ブラボー!クラシック」(BS日テレ)を見ていたら、ここで報告したのと同じように、コントラバスが下手に配置されているのを発見しました。

指揮:オスモ・ヴァンスカ、読売交響楽団でベートーヴェンの交響曲第5番「運命」をやっていたのですが、識者自身がこの配置について説明していました。Lionbassさんがおっしゃっていた「対向配置」とのことで、1st. Vn と2nd. Vnを左右に配置し、コントラバスを下手奥に配置します。なお、チェロは1st. Vnの後ろ、ヴィオラは2nd Vnの後ろです。

    CB    Cello       Viola

     1st.Vn   Cond.   2nd. Vn

              (audience)

ヴァンスカの談話によれば、ベートーベンの時代にもあった配置とのことで、古典楽曲を演奏するときにはこの配置をよく採用するらしいです。1st. Vn と2nd. Vnの対話が生かされて有効なのだそうです。読響がこの配置を受け入れてくれてうれしいと言っていました。

ちなみに、この「運命」、大変いい演奏でした。

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落ち

ここで、「落語『五段目』の落ちを聞けなかった」ということを書きましたら、中川桂さんから、下記のようにお教えをいただきました。ありがとうございます。

次のご準備で「五段目」の終盤をお聞きになれなかったとのこと。
展開を楽しまなければ意味がなく、粗筋だけお知らせするのも無粋ではありますが…
最後、鉄砲に当たって死ぬはずの斧定九郎だが、不手際があり鉄砲が鳴らない。思わず定九郎が揚幕に向かい「鉄砲」と叫ぶと、口から血糊が流れ出したため仕方なく定九郎はそのまま苦しんで倒れる。見物客が野次を浴びせると、死んだはずの定九郎が飛び起きて
「今日は結核で死んだんじゃ」…
というのがサゲです。サゲの言葉も元は「喀血で」でしたが、今日では分かりにくいため上記のようになっています。
余計なことながら、お知らせまで。

今日では、「結核」というのも実感が薄くなって、分かりにくいですね。

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2006年3月 9日 (木)

お店

ここにも書きましたように、「ブログてなんや」ということを実感するために始めたブログなのですが、少しヒントがつかめました。月曜日、友人でありウェブ日記の実践者であるNさんと旧交を温めていたときの会話の中で、ふと出てきたフレーズなんですが、

「ブログて、お店みたいなもんやね」

というものです。

もちろん、ブログで実際にものを売ったり広告を出したりして商売してる人もたくさんいるわけですが、ここではもう少し抽象的に、比喩的に言っています。この比喩のポイントは、

・客はお店を選ぶが、お店も(消極的に)客を選ぶ。

ということです。開店している以上、誰が来てもお客様というわけですが、お店の方でも、「典型的なお客様像」のようなものがあって、イメージした客が集まるように工夫を凝らすわけです。

趣味や専門など、かなり絞り込まれたハードなブログももちろんあって、そういうところは客選びのコンセプトが非常に明確ですが、そうでないブログでも、お店の雰囲気みたいなものが自然に客層を選別していくのだろうと思います。また、コメント、リンク、トラックバックといった仕組みで、自然にコミュニティが作れるようになっているところも、ブログの特徴であり、「お店」という比喩が生きる部分でもあるわけです。

ブログ開設の目的からして、「とにかくたくさんの人に見てもらいたい」つまり「お客さんをいっぱい集めたい」という人もあれば、「限定された範囲の人に見てもらえばそれで十分」という人もあるでしょう。また、当初イメージしたお店と違った展開をしてしまう場合もあって、それはそれでおもしろいわけですよね。

ホームページとブログの違いということを考えると、ホームページはやはり公共性が強調され、どうしても看板や掲示板的なものになってしまいます。ブログは、日記風の構えになっているので、どうしても書き手(比喩で言えば「店主」)の人間性、個性が前面に出てくるようになっています。だから、ブログの一番の売り物は、店主の個性、ということになるのだろうと思います。

有名人がやっているブログは、だからそれだけで最初から有名店ということになるのでしょう。

私のこのブログのコンセプトは、まだ固まっているとは言えませんが、まあ「知ってる人は知ってる町はずれの小さな雑貨店兼カフェ、夜はお酒も出します」みたいな感じでやっていきたいと思います。(あんまりおしゃれな店やないけどね)

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2006年3月 5日 (日)

曲者

野口武彦先生著『大江戸曲者列伝 太平の巻』(新潮新書、ISBN:4106101521)読み終わりました。野口先生の筆はますます冴えています。こういう、短いエッセーを集めた読み物だと、野口先生の文章のうまさは一層際だつように思えます。

野口先生は私のもと同僚だったわけですが、2000年に神戸大学を退職されたあと、著述に専念しておられます。知ってる人は知ってることですが、野口先生ご自身、「大学曲者列伝」に悠々列せられるような大曲者で、いくつもの武勇伝をお持ちです。人からも聞いたし、本人からも伺ったし、私もその片鱗に触れさせていただいたこともあります。先生の、大学人の型にはまらない生き方に、私はいろいろな意味で勉強させていただきました。

さてこの本、江戸時代に生きたさまざまな階層・職業の人々の、味わい深いエピソードを集めたもので、この『太平の巻』に続き、『幕末の巻』も刊行されています。本寿院、勝小吉、平賀元義といった、本当に型破りな人物の話もおもしろいのですが、松崎こう堂(「こう」はりっしんべんに「兼」)、川路聖謨のように、地味な人生を歩んでいた人が、危機に直面して思いがけない活躍をするというタイプのエピソードに、野口先生の真骨頂が現れているように感じました。

野口先生の筆力の卓抜なること、ドラマチックな人生の局面を、生き生きと眼前に浮かび上がらせるがごときで、読み終わると、よくできた時代映画を何本も見たような満足感が得られます。『幕末の巻』も買って読みたいと思います。

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2006年3月 4日 (土)

五段目

今日は、中川桂さん、林家染左さんによる「ライブ・おもしろ上方落語」の2回目です(1回目のご報告はこちら)。今日の講義では、寛政期の松田弥助、桂文治から天保期、プロの噺家が成立する過程をお話下さいました。また、上方における、歌舞伎、浄瑠璃の受容の実態も、資料に基づいて説明されました。お楽しみの染左さんの落語は、「五段目」です。これは、忠臣蔵の五段目、山崎街道の場面を題材にしたお話で、比較的珍しいものだそうです。私も初めて聞きました。素人芝居の連中が五段目を上演して、大騒ぎとなる、というストーリー。

私は、浄瑠璃、歌舞伎も好きなので、落語のなかでも、芝居ネタを取り入れた仕方ばなしが大好きです。「七段目」とか、「骨釣り」とかもいいですね。米朝さんの芝居話は、気品と風格があって、絶品です。

染左さんも芝居がお好きなのでしょう、ちらっと披露してくださった団十郎の声色など、なかなかのものでした。芝居の段取りもなかなかいい調子でした。

ただ、下げの10分前、別の講座の準備のために出ないといけなかったので、落ちが聞けなかったのがとても残念でした。初めて聞く話だけに、本当に残念です。

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うちのど根性大根

大根のヘタをトレーにおいといたら、ここまでのびました。てっぺんにつぼみが付いています。咲くかどうか。P3041575

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後ろ向き

そろそろ、シーズンも終わりそうなので、このネタを書いておきます。

科学番組が好きなんです。昨日、HNK Hivisionで見た、中国南西部の「天抗」の番組もおもしろかった。

で、一番気に入っているのが、NTVの「所さんの目がテン!」です。日曜日の朝7時という、厳しい時間帯ながら、近くにテレビがある限り、必ず見てます。前の日、どんなに深酒して遅く帰っても、7時には起きて見てます。

所ジョージ、佐藤良子アナ、矢野明仁という出演者の味もいいのですが、科学的知識を伝える姿勢が誠実で、しっかり作ってあるのが好感持てるんです。

で、オリンピック便乗で、フィギュアスケートを2週に分けて取り上げていたのですが、とてもおもしろかったです。デモンストレーションをしていた、村主章枝の妹の千香さんもかわいくてgoodでした。

1回目の放送で、「フィギュアスケートの選手はなぜ目が回らないか」というテーマを取り上げたとき、千香さんをモーターでぐるぐる廻していたので、「これ、トリビアで見たで」と思いました。トリビアでは、安藤美姫をぐるぐる廻してました。美姫さんも千香さんも、いくらまわしてもまったく平気でした。ところが、トリビアとひと味違ったのは、「目がテン」では次に逆回しをしたのです。フィギュアスケート選手は、スピンをするとき必ず同じ方向に回るのです。訓練によって、その方向では目が回らないようになるのですが、逆に廻すと、普通の人と同じように、目が回るのです。千香さんは逆回しですぐ気分が悪くなりました。この、逆回しをするところが、「目がテン」がトリビアと違う、科学番組たる所以だと思います。

2回目の放送では、ジャンプの話が中心でした。ジャンプは、アクセル、ループ、トウループ、サルコウ、フリップ、ルッツの6種類があるのですが、前向きに跳ぶのはアクセルだけ、あとはぜんぶ後ろ向きに跳びます。そして、すべて、後ろ向きに着氷します。前向きに降りると、スケートの前部にストッパーが付いているので、つっ転んでしまうそうです。ジャンプの回転数で「二回転半」ジャンプなど、「半」が付いているのがありますが、これはアクセルジャンプに限られます。なぜなら、前向きに跳んで、後ろ向きに着氷するので、その分半回転余計に必要なのです。

滑走するときも、前向きに滑る時間と後ろ向きに滑る時間では、後ろ向きの方が多いそうで、「フィギュアスケートとは後ろ向きに滑る競技」ということになるようです。これも、とても意外で、言われるまで気が付きませんでした。演技の見方が、まるで変わってしまいますよね。

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2006年3月 3日 (金)

乙女泣く:後日譚

先日、ローマ字回文のことを書きましたが、ブログを見られたH先生から

     「『乙女泣く金本』は、私も前に作ってました」

と言われました。

恐るべし、H先生!

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