アイス
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25日、ヤクルトの投手ガトームソンが、楽天を相手にノーヒット・ノーランを達成したそうです。
で、テレビでこのことを報道する際、
ガトームソン
というアクセントと、
ガトームソン
というアクセントの、2種類が聞かれることに気が付きました(太字は高く発音する)。
前者は、「ガトー・ショコラ」や「カトー無線(カトームセン)」と同じパタンで、結局、「ガトー」と「ムソン」の二つに分けて、「複合語アクセント」として実現しているようですね。
これに対して前者は、「ロビンソン」や「トランポリン」「プランタン」などと同じパタンで、一語アクセントとして認識していることが分かります。
どちらに収束するのか分かりませんが、なじみが出てくると、後者の一語パタンになっていくのではないでしょうか。
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ここと同じく、「目がテン」から得た情報です。
「ビール腹」と言って、ビールを飲むと太る、と言われますが、ビールそのものが原因ではないそうです。ビールを始め、酒類に含まれるアルコール類は、体温を上げる効果はあるけれど、肥満の原因にはならないのです。
ビールを飲んで太るのは、ビールに含まれる炭酸ガスやホップの苦みが胃を刺激し、食欲を増進することによるのでした。番組では、ビールにバリウムを混ぜて透視し、胃が活発に動く様子を見せていました。つまりビール腹の原因は、
つまみの食い過ぎ
だったのです。Oさん、Uくん、分かりましたか。
そういえば、韓国では「とりあえずビール」という習慣がなくて、とつぜん焼酎から飲み始めるそうです。むしろ、ビールは締めに飲むのだとか。だとすると、ビールから始めるより食べ過ぎることもなく、肥満にもなりにくい、という結果になりますね。そういわれれば、韓国人で肥満の人って、あんまり見たことない、ような気もするなあ。気のせいかな。
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1月くらい前だったと思いますが、フォレスト出版という出版社の編集者から、メールが届いていました。まったく面識のない人です。
「出版の相談をしたいので、返事がほしい」
という内容でした。最初は、出版ビジネスの一種かな、と思いました。「あなたの本を出してあげるかわりに、初版は全部買い取ってね」というような商売です。ここなんかが有名で、ときどき私のところにも勧誘のDMが来ます。
それでなくても、ホームページを見たところ、フォレスト出版さんが出している本は、ビジネス書のみで、私なんか全然関係ない、という気がしました。「こうすれば儲かる!」という、前向きなやつばっかりね。
あと、ホームページの前面にでてる、石井裕之氏の「コールドリーディング」というのは、対話しながら、カマをかけたり表情を見たりして、相手の心理を読み取っていくという、「偽占い師」のような技術のことで、テレビにも何度か出てました。つまり、ビジネス・トークにこの技術を応用して、契約とっちゃおう!ということなのでしょうね。
うさんくさい気がしたので、返事を出さずにほうっておいたら、先日、2通目のメールが届きました。
「前のメールは見ていただいたでしょうか。できれば、打ち合わせのためにそちらに出向きたいのですが」
という内容です。どうやら、本気のようです。来られてはかなわないので、
「私のやってることと、御社の出版物とはあまり関係がないようなので、今回はご縁がなかったということにしてください」
と返信しました。すると、「先生ならおもしろいビジネス書を書いていただけるとおもったのですが……」と書きつつも、あきらめの返事が来ました。やれやれ。
で、あらためて、一体どんな本を書かせるつもりだったのだろう、と興味が湧きました。例えば、
『役割語でつかむ、ビジネス・チャンス!』
というような感じでしょうかね。気弱な相手には「上司語」で威圧するとか、女性セールスマンの場合、「お嬢様ことば」で相手を信用させるとか……とても成功するようには思えませんが。
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現時点で、総アクセス数10,034、一日平均44.2になってます。地味なサイトですが、訪問して下さった方々、ありがとうございました。昨日の午後2時頃、10,000になってました。
これからしばらく、こんな調子で続けていきたいと思います。よかったらまた読んで下さい。
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今週は、アクセス件数がいつもより多く、既に
9923
に達しております。10,000アクセスは、本日中に達する勢いです。
昨日書きました、記念品の対象者は、本日から明日にかけて、10,000に達した一番近い時間帯にコメントを下さった方にしますね。
記念品といっても、ほんとに心ばかりの品でございますので、どうぞお気軽に。
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現在、アクセス数が
9858
に達しております。今のペースだと、土曜か、日曜あたりに10,000に達しそうです。
ページにアクセスカウンターが付いていないので、正確にどなたが10,000番目か、というのが分からないのですが、次の方法で、10,000アクセスの方を決めたいと思います。該当者には、記念品を差し上げます!
10,000アクセスに達した日、その時間帯に一番近い時間に、コメントを下さった方。
大したものはあげられません(笑)。期待しないでくださいませ。
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仕事をしていると、台所から奥さんが、
ショートケーキあるよ
と、声を掛けてきました。「夕食前に、ショートケーキ?」と思って聞き直したら、
消毒液あるよ
と言っていたのでした。そういえば、「腕に腫れ物が出来ている」とさっき、指摘されたのでした。
「ショートケーキ」と「消毒液」。確かに似ています。
夕食前で空腹だったので、食い物のほうに脳が反応してしまったようです。
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一年くらい前に出た本ですが、内容が多彩でありながら、なかなか人の目に触れない種類の出版物であるように思いますので、内容をご紹介しておきたいと思います。
石塚晴通教授退職記念会(編)(2005.5)『日本学・敦煌学・漢文訓読の新展開』汲古書院, ISBN: 4762935247
序……池田証寿
石塚晴通教授略年譜・研究業績目録
訓点資料として見た漢文文献の諸相―陀羅尼部の訓点を手掛かりとして……沼本克明
訓読と翻訳―日本書紀の古訓―……木田章義
古語拾遺の古訓点について―その年代性をめぐって―……月本雅幸
蘇磨呼童子請問経における注釈と訓読……松本光隆
尚書正義との関係から見た古文尚書平安中期点の問題……小助川貞次
金剛寺一切経の古訓点本―『維摩経』を中心に―……金水 敏
辞書と材料―和訓の収集―……大槻 信
高山寺蔵新訳華厳経音義と宮内庁書陵部蔵宋版華厳経……池田証寿
高野山性厳房宥快の講説とその聞書類について
―金剛三昧院蔵大日経疏伝授抄に見える古辞書逸文を中心に―……土井光祐
僧侶の書記用漢字―接続詞「これによりて」の用字から―……山本真吾
中世における「心身不調」表現の諸相……伊原信一
「すまひ(住)」用字考―宛字“住居”の慣用に至るまで―……漆崎正人
あらすじ過去と別人格―『法華百座聞書抄』のキ・ケリ―……福沢将樹
新漢語の産出と近代漢文訓読……陳 力衛
文字番号および部首番号の起源と応用―『大字典』と華英字典とRose-Innes―……高田智和
標準語形使用率と鉄道距離重心……井上史雄
談話における発話の相互関係とまとまり……野村真木夫
受身文の動作主マーカーについて……劉 笑明
日本文学(古典)の精神病理学……林 美朗
明治前期における中日漢詩文の交流……王 宝平
敦煌写本の書誌学的研究―近年の動向を踏まえて―……赤尾栄慶
唐代楷書事態研究に果たした敦煌出土スタイン三八八番写本の役割
―『正名要録』と『群書新定字様』―……西原一幸
「無」・「无」字の問題系―『唐開成石経周易』における二字体―……紅林幸子
*
ロシア所蔵ウイグル文「金剛般若経」断片一葉について……庄垣内正弘
敦煌石窟におけるペン描き壁画―粛北五個廟第4窟を中心に―……劉 永増
敦煌文献によって展開された六朝隋唐注釈学―『毛詩音隠』を例に―……鄭 阿財
敦煌写本真偽弁別示例
―法成の講じた『瑜伽師地論』の学生による筆記を中心として―……栄新江・余欣
敦煌仏教の50巻『華厳経』を探して……李 丞宰
日本の敦煌文学研究の成果と方法の考察……朱 鳳玉
閻崇〓(玉偏に「劇」の左側)『敦煌変文詞語匯釈』の検討および補……方 一新
《遊仙窟》俗語詞君釈……黄 征
韻律と附加式二音節語についての試論……王 雲路
敦煌学への自然科学的分析の導入……加藤雅人
『大宋重修広韻』における掲出字と注内異体字との関わり……工藤祐嗣
日本書紀における中国口語起源漢語の受容……唐 〓(火偏に「偉」の右側)
『源氏物語』における儒家思想―第一部を中心にして―……陳 明姿
訓点資料としてみた「長恨歌伝」「長恨歌」の訓読に関する一考察
―金沢文庫本『白氏文集』巻十二所収の場合―……渡辺さゆり
バレト著「葡羅辞書」のキリシタン語学に於ける意義……岸本恵実・豊島正之
キリシタン版前期国字版本の平仮名活字について……白井 純
酒田市光丘文庫所蔵慶応四年「土人共江申渡書」のアイヌ語について……佐藤知己
英和兵語辞書について……朴 均轍
『飲氷室合集』にある日本借用語の性格……李 運博
広辞苑の漢字……小野芳彦
「どうせ」の用法の分析……菊地康人
日本語の主題文の形成原理と情報構造……陳 訪澤
慣用句の翻訳による意味伝達の問題について……ボトーエフ・イーゴリ
日韓推量表現形式の対応関係分析……尹 相実
「言語接触」の観点から見た日本語と朝鮮語……門脇誠一
韓国漢字の表音字と表意字……朴 盛鍾
韓国の口訣……鄭 在永
漢字・漢文の韓国的受容……初期吏読と釈読口訣資料を中心に……金 永旭
周本『華厳経』巻第六における点吐の重複表記と符号……朴 鎮浩
『瑜伽師地論』点吐口訣に関する一考察
―口訣点の懸吐位置の細分と位置変異現象について―……張 景俊
韓国の角筆符号口訣と日本の訓点において存する華厳経の不読字について……尹 幸舜
16世紀韓日両国の論語理解……呉 美寧
(以上)
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「日本認知科学会」のメーリングリストに、下のような案内が回ってきました。「明晰日本語」というのが初耳で、興味を引かれました。一種の制限日本語で、外国人相手に語彙を制限し、文法を簡略化したものは知っていますが、これは情報工学的な要請から、論理的明示性に留意した制限を加えたものであるようです。
日本認知科学会会員の皆様,
特定非営利活動法人セマンティック・コンピューティング研究開発機構(ISeC)
では、セマンティックコンピューティング(SeC)技術を目標に活動を続けて
います。この度、総務省SCOPEのファンド(平成17年度より3年間)によります
「CDLの標準化」プロジェクトの17年度成果報告とこの成果を踏まえた次なる
「明晰日本語」プロジェクト計画に関しまして、シンポジウム
(http://www.instsec.org/sympo.html)を開催いたすこととなりましのでご案
内申し上げます。ISeC事務局
------------------------------------------------------------------------*****************************************************
ISeC シンポジウム
-Web2.0時代のセマンティックコンピューティング-
*****************************************************
主催:特定非営利活動法人
セマンティック・コンピューティング研究開発機構(ISeC)日時:平成18年6月3日(土) 11:00~17:00(受付開始は、10:40より)
場所:ヤフー株式会社(六本木ヒルズ森タワー)セミナールーム
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=35.39.26.409&el=139.43.56.686&la=1&fi=1&sc=3
(入館方法:六本木ヒルズ森タワー2階(LL) エレベーターホールC(スター
バックス奥 自動ドア内)のヤフー受付で入館手続き後、専用エレベーターにて
26階フロア、そして、セミナールームへ)定員:100名(無料、事前申込み制です)
定員になり次第締め切らせていただきます。
警備上当日の申込み受付はお断りいたします。趣旨:
ISeCは、知的システム・知的環境の設計原理という最終目標に向かって、確実な
ステップを設定しながら活動を進めています。その最初のステップが、研究開発
の共通言語となる概念記述言語CDL(Concept Description Language)です。CDL
は、表現メディアやコンテンツの意味の概念化を統一的に記述するための言語
です。表現メディアの中心となるのが自然言語です。まず、自然言語テキストの
意味の概念化を記述するCDL.nlの仕様策定を行いました。CDL.nlの代表的な応用
としてWeb共通言語を取り上げます。Web共通言語は、世界規模でのWeb環境高度
化に貢献します。これらの成果を踏まえ次なるステップが、「明晰日本語」とそ
の設計基盤となるセマンティック辞書の開発です。明晰日本語は、十分な自然言
語らしさを保ちながらも高精度な機械処理を実現できる日本語の共通仕様です。
産業界における様々なドキュメントに用いる産業言語、医療・福祉サービスにお
ける医療言語、学術情報の記述蓄積に用いる学術言語などが明晰日本語のファミ
リー言語として設計されることになります。これらの言語は、Web2.0時代の日本
の知識コモンズ構築の基幹メディアとなります。プログラム:
11:00~11:05 開会挨拶
相磯秀夫(理事長、東京工科大学)
11:05~11:15 Web2.0時代のSeCとISeC
横井俊夫(理事、東京工科大学)
11:15~12:45 CDLの仕様策定と標準化:総務省SCOPE委託研究
石塚 満(理事、東京大学)
・CDL.core言語仕様 横井俊夫
・CDL.nl言語仕様 内田裕士、朱 美英(特別研究員、UNDL)
・UNLとWeb共通言語 内田裕士(理事、UNDL)
・CDL利用ツール 石塚 満
・CDLの実証研究 石崎 俊
12:45~13:15 昼食(会場に軽食を用意)と懇談
13:15~14:00 オントロジー工学とセマンティックWebの動向
溝口理一郎(理事、大阪大学)
14:00~14:45 産総研のセマンティックコンピューティング
橋田浩一(理事、産業技術総合研究所)
14:45~15:00 休憩
15:00~16:30 明晰日本語と知識コモンズ
石崎 俊(理事、慶応大学)
・明晰日本語設計基盤としてのセマンティック辞書 横井俊夫
・オントロジーと明晰言語 橋田浩一
・制限英語の研究動向 安原 宏(特別研究員、沖電気)
16:30~17:00 総合討論参加申込:
電子メールに以下の情報を添えて、sympo@instsec.org 宛にお送り
下さい。定員になり次第締め切らせていただきます。
① 氏名
② 勤務先と所属
③ メールアドレス(返信受け取り)
(これらの個人情報は、本シンポジウムの参加者管理のためだけの使用です。)
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ここで、以前私のところに「トリビア」のオファーがあった話を書きました。
私の同僚のO先生の所にも、3月頃、「トリビア」から電話がかかってきたそうです。
「庭には二羽、ニワトリがいる」という早口ことば(?)には、何通りか意味があるようですが……
という問いかけで、O先生には相手の趣旨がつかめず、かみ合わないやりとりがあったあと、「会議がありますので」と電話を切ったそうです。
このネタは、先週、放送されました。ご覧になった方もあるかと思いますが、「にはにはにわにわとりがいる」には96通りの解釈がある、というものです。
この問題自体は、「形態素分析」と「パージング」と呼ばれる課題に関連するもので、自然言語処理(自動翻訳や機械による音声対話など)の分野で一頃盛んに議論されたものです。つまり、人間が発する音や単語の列を、コンピュータが文として分析するときに、しばしば多義性が発生するのです。古典的な問題では、
Time flies like an arrow. (光陰矢のごとし)
をコンピュータが分析すると、何通りかの(数は忘れました)解釈が出てきて、機械ではどれが正解か決定できない、というのがあります。変な解釈の一例として、「時蠅(time flies)矢を好む」というのがありました。「ときばえ」という種類の蠅は(なぜか)矢が大好き、という訳ですね。
日本語でも、
黒い大きな目の女の子
というのがあって、「黒い」が目にかかるか、うしろにかかるか、また「女の子」を一人ととるか、「女の」と「子」に分けて二人ととるか、といった多義性が生じ、さらにその組み合わせで解釈が複雑になるわけです。機械処理では、複数生じた解釈を、文脈を見たり、あるいは蓋然性の確率等によって絞り込む、という処理でふるい分けることになります。
さて、以上の問題は既にどれが単語かという問題は解決されていて、つまり「形態素解析」は済んだ状態で、パージング(文の構造解析)だけの問題でしたが、「トリビア」では、仮名の列だけが与えられている状態で、形態素分析(単語の切り分け)からやらないといけません。そうすると、当然解釈の幅はさらに広がります。広がった方が、ネタとしては面白いですからね。
この課題に取り組んだのは、フェリス女学院大学の斎藤孝滋先生です。この方は、以前お世話になったこともある、私も個人的によく知っている方です。先生は、形態素分析をまずコンピュータで行われて、2万通り以上の組み合わせを得られました。つまりその中には、
荷、葉、二、刃、尼、輪、……
のようにまるで意味の通らない文字列も多数生じることになります。ここから、意味の取れる文字列を選ぶのに、斎藤先生は人力で挑まれたようです。大学院生5人とともに、三日間徹夜して(たぶん、夜は学生を帰して先生お一人でやったのだと思いますが……)、2万数千通りを、96通りまで絞り込まれたとのことでした。
頭が下がります。テレビに出るのも、楽ではないですね。O先生が電話を切られたのは、正解だったと思います。
なお、残された96通りの中には、
庭にハニワ、丹羽と李が射る。(庭にハニワが置いてあって、丹羽さんと李さんがいっしょに矢で射る)
というような、かなり無理っぽいのまで残されていました。たぶん、笑えるから、わざと広めに残したんだと思います。
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「長光」に引き続き、石橋にあって、私もよく利用する韓国料理店「貞子」を再現してみました。料理は、貞子名物、参鶏湯(サムゲタン)とマッコリ(どぶろく)です。
「長光」と同じですって? いえいえ、壁のポスターが、さりげなく韓流になっているのにご注意下さい!
(なお、本物の貞子は、テーブル席だけで、座敷はありません。念のため。)
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ここの記事に関連して、続報です。
今朝、朝日放送のローカル番組『おはよう朝日です』で、野球解説者の湯舟氏(もと阪神タイガース)が、
「あり得(う)りますねえ」
と言ってました。
この形は、今のところ「~ます」形に限って時々耳にします。「あり得(え)ない」「あり得(え)ん」等、否定の形は頻度が高いので、おそらく古い形が保存されているのだろうと想像しています。
「~うります」の頻度が高くなってきたら、次の世代で、「~うらない」と言う人が出てこないとも限りませんが、それはまだ想像の域を出ません。
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この3月で定年退休された、若山英子先生は、ミケランジェロを中心とする、イタリア・ルネサンス美術研究の大家です。私は一度若山先生に、、「レオナルド・ダ・ヴィンチを『ダ・ヴィンチ』と呼ぶのは恥ずかしい誤りだ」とたしなめられたことがあります。
実は、私が「ダ・ヴィンチ」という呼称を使ったわけではなくて、「ダ・ヴィンチ」を使った他の先生の講演名をメールでお伝えしただけだったので、つまり「誤爆」されてしまったわけですが(その後事情に気が付かれて、若山先生は私に謝って下さいましたが)、そのことがら自体は、深く記憶に刻み込まれるところとなりました。
確かに、「レオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonard da Vinci)」は「ヴィンチ(村)のレオナルド」という意味であり、「ダ・ヴィンチ」を呼称とするのは、「国定村の忠治」を「国定」と呼ぶのと同じで、滑稽なことと言わなければなりません。確かに、最近テレビに出てレオナルド・ダ・ヴィンチのことについてしゃべる人たちの発言を聞いていると、「ダ・ヴィンチ」と言うか、言わないかで、「素人」と「専門家」がはっきり分かれることが分かります。西洋美術の専門家は、必ず「レオナルド」と呼ぶのです。
有名人の呼称については、いろいろ面白い問題があるのですが、それはいつか述べるとして、とにかく「専門家の言うことはやっぱりひと味もふた味も違う」ということなのですね。それは、日本語についていろいろ素人談義がまかり通るマスコミの状況を見ても、明らかです。
若山先生は、専門家として『ダ・ヴィンチ・コード』にも深い関心を持っておられたようですが、2006年3月6日に行われた先生の最終講義で、次のように述べられています。
(前略)美術史研究と美術鑑賞とを明確に区別する必要がある(中略)。美術鑑賞は主観によってなされても一向に構いません。美術鑑賞は、作品が作られた歴史的な背景を正確に理解し、図像学の知識を十分に身につけていなくても可能ですし、作品の源泉となったテキストの内容やそれの註解に造詣が深いこともその条件とはなりません。一人ひとりが思い浮かぶ物語を作品に読み取っても構わないのです。
たとえば大ブームになり、今は盗作問題が浮上している『ダ・ヴィンチ・コード』のように、レオナルドの《最後の晩餐》の福音書記者ヨハネをマグダラのマリアであろうと考えることも可能です。しかし美術史研究家であれば、《最後の晩餐》においてどの人物がどの位置にどのように表わされ、それはどのような原典に基づいているのか、また使徒たちの容貌と服装がイタリア美術の伝統にあってはどのような特徴を見せているのか、そしてレオナルドは作品の準備段階でその人物をどの位置にどのように描こうとしていたのか、などといったことを調べるのが基本です。そうすれば、キリストの隣に坐っている若者が福音書記者ヨハネであることに疑いの余地はなくなります。(当日配布のプリント・8頁より)
やはり、いくら事実めかして書いてあるとしても、エンターテイメントはエンターテイメントとして楽しむべきであり、現実と混同してはならないということですね。
(イメージは、若山先生の近刊『システィーナ礼拝堂天井画―イメージとなった神の慈悲―』表紙)
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山口仲美『日本語の歴史』(岩波新書, 2006.5, ISBN: 4004310180)
帯から引用します。
こんなに面白いドラマだったのか
せめぎ合う、話し言葉と書きことば!今の日本語は、こうして生まれた日本語の歴史を知るということは、日本語の将来を考え、日本語によってつむぎ出された文化そのものを大事にし、後世に伝えていく精神を培っていくのに役立ちます。…でも日本語の歴史を知りたいと思っても、実は一般向けに分かりやすく興味が持てるように書かれた本が、残念ながら、今のところ出ていません。一般の人に興味を持ってもらえる形で、日本語の歴史を語りたい。これがこの本を執筆した意図です。
適任の著者であると思います。
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興味を引かれた、トリビアねたです。今年の『ほぼ日手帳』5月22日に出ています。
コアラは夜になると立って走るそうです。
結構速いそうです。
〈ほぼ日デリバリー版・生き物ばなしより〉
見てみたい。立って、疾走するコアラ。「トリビア」でやってくれないかな。
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上田 功・野田 尚史(編)『言外と言内の交流分野』小泉保博士傘寿記念論文集
税込価格 : \10,500 (本体 : \10,000)
出版 : 大学書林
サイズ : A5判 / 624p
ISBN : 4-475-01875-7
発行年月 : 2006.4
【内容】
傘寿の辞……小泉 保
小泉保博士履歴・学会活動・研究業績
定住外国人対象の日本語教育の枠組みに関する一考察……足立祐子
「どうせ」の意味と規定性……有田節子
日本語の思惟方法から見た動詞のしくみ……池田哲郎
接続文構造の習得方法……伊藤克敏
ウラル基語属格考……稲葉信史
「派生時代」の音韻獲得制約再考……上田 功
得意な指示詞「あれ」再考――日本語会話コーパスによる分析……上村隆一
ハンガリー語の副動詞構文について……大島 一
面白い言語現象……何自然・劉小珊
「XはYがP」構文における「Yが」の解釈について……甲斐ますみ
直喩と諺―語用論の視点から―……鍵村和子
スリランカ手話のネームサインにおける位置と生起制約……加納 満
日本語「VNする」と韓国語「VN Hada/doeda」―基礎的語彙を中心に―……金 良宣
役割語としてのピジン日本語の歴史素描……金水 敏
わきまえの言語行為研究のための課題探求「遠慮」の言語行為をめぐって……久保 進
ビジネストークの語用論……黒田史彦
20世紀の言語学:分析対象の縮小とその結果……児玉徳美
異文化間の誤解……小林純子
情動自動詞に見られる使役性と他動性……小牧千里
フィンランド語の離格の用法について……佐久間淳一
「はおろか」構文・「どころか」構文に関する意味論的・語用論的考察……澤田 治
ヴォイスの観点から見た日本語の受益構文……澤田 淳
日本語の自発文をめぐって……澤田治美
とりたて動詞と条件・否定の相互作用……澤田美恵子
Kalevala と古事記の距離……清水義夫
いわゆる日本語の助詞に関する覚え書き……庄司育子
普遍性仮説と類似性……杉本孝司
「~てもらっていいですか」という言い方―指示・依頼と許可求めの言語行為―……砂川有里子
「で」の「格解釈のゆれ」再考―「道具」と「原因・理由」を中心に―……宗田安巳
「~ている」形の解釈と非能格/非対格動詞……高見健一
Triant lo Blanc の難解な箇所と Albert Hauf 版について……田沢 耕
埋め込み文の推意について……田中廣明
条件文の意味論……田中美和子
サミュエル・ベケットの演劇―混沌からグレート・マザーへ―……谷上れい子
「は」と「が」の意味について……陳 訪澤
雑談における評価の共有―映画を見たあとの雑談の分析―……筒井佐代
会話における「異文化性」のダイナミズム―相互行為分析の視点から―……徳井厚子
ハンガリー語の様格-kent が語順に現れる位置について……野瀬昌彦
新聞の見出し末における格助詞・とりたて助詞の特徴……野田春美
日本語の打ち間違いの言語学的な分析―パソコンのローマ字入力の場合―……野田尚史
譲歩の談話と認識的モダリティ―「のではないか」はなぜ譲歩文と共起しないのか―……蓮沼昭子
「認知語用論」の展開―参照点能力と推論―……林 宅男
ディスコースメタファーの構築:シロ色がジェンダーの意味を獲得する瞬間……林 礼子
英語のジョークと川柳の笑いについて:関連性理論による分析……東森 勲
日本語の名詞述語文の連続性と「ハ」「ガ」の選択……樋口 功
トルコ語とウイグル語における現在形と過去形の人称を示す形式……藤家洋昭
Perceived Competence in Prononciation: Change During a Phonetics Course……Emi Matsumoto
理系日本語論文における緒言部と結論部の呼応的関係―専門日本語教育のための文章研究として―……村岡貴子
ポルトガル語の中舌母音……村松英理子
語法研究に潜む暗黙の前提……山口治彦
認知プロセスと構文の分布関係……山梨正明
日本語教育における「場面」概念の意義……由井紀久子
時間直示に関する日中対照語用論研究的研究……余 維
執筆者一覧
編集後記
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いただいたご本の紹介をいたします。「桂書房」は富山県にある出版社です(〒930-0103 富山市北代3683-11 電話 076-434-4600 FAX 076-434-4617)。
発売月:2006/05/ ジャンル:専門/単行本/語学総記 日本のフィールド言語学(ニホンノフィールドゲンゴガク) ―新たな楽の創造にむけた富山からの提言―
判型:A5判 頁:335 定価:3150円(本体価格:3000円)
編著:真田 信治 監修 中井 精一・ダニエル ロング 編
発行・発売:桂書房
ISBN:4-903351-09-2 C3080
【内容】
変異理論と日本のフィールド言語学……松田謙次郎
日本の非母語話者を研究対象にした新しい社会言語学の可能性……ダニエル・ロング
景観・感性・言語……中井精一
言語変化への一視点……金沢裕之
「社会」をもとめる社会言語学……太田一郎
言語地理学の再起動……大西拓一郎
京阪式アクセントは東京式アクセントより本当に古いのか……岸江信介
山陰・山陽から関西における方言の分布と動態について……都染直也
方言に見られる生き物名に付く接尾辞「メ」……新田哲夫
談話資料・コーパス資料による文法研究……二階堂整
方言談話の中の地域差・世代差・場面差……井上文子・三井はるみ
近畿における方言と共通語の使い分け意識の特徴……田原広史
GISを用いた既存言語地図データベースの試み……鳥谷善史
秋田方言の親族語彙の体系変化に見られる非対称性……日高水穂
地域社会の変容と社会言語学……村上敬一
社会言語学の学際的特徴を生かした発展の可能性……余 健
地域社会内部の言語層を素描する……西尾純二
社会言語学における方言接触研究のこれから……朝日祥之
方言における確認要求表現の対照研究にむけて……松丸真大
個人のことばを捉える視点……阿部貴人
関西における幼児期・児童期の方言習得……高木千恵
現代日本語の地域方言とその評価……市島佑起子
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昨夜、劇団 「青年団」による『上野動物園再々々襲撃』を、伊丹市のAI・HALL(アイ・ホール)に見に行きました。平田オリザさん脚本・構成・演出によるもので、コミュニケーションデザイン・センター教授になられた平田さんとのあるご縁により、招待していただいたのです。
見終わって、とても感動しました。内容は、私の年齢のおじさんにはほんとに身につまされる、厳しい現実が盛り込まれているのですが、平田さんの作り出す空間が本当に心地よくて、いつまでもそこにい続けたい、という気持ちになりました。
この心地よさは、やはり平田オリザさんが紡ぎ出す、独特なことばのマジックによるところが大きいのだろうと思いました。私がいままで見てきた演劇は、たいてい、抑揚の強い発生で台詞を際だたせ、語り、叫び、笑い、泣き、観客の情動に強く訴えかけるものでした。見ている私たちは、そのことによって心を揺り動かされもする一方で、どこかに舞台と一体になれないという、違和の感覚も消し去ることができないで終わってしまうのが常でした。
昨日見た役者の人たちは、よくトレーニングされてはいるものの、ごく日常的な発声で、ごく日常的なコミュニケーションを淡々と舞台の上で繰り広げていきます。そこでは、複数の人物の組が別々に会話を交わすことも、ストーリーに貢献しないほとんど意味のないやりとりも、会話の隙間に生じる一瞬の沈黙さえも、忌避されることなくさらけだされます。
舞台といっても、ほぼ観客と同じ高さにしつらえられた、ひどくリアルな喫茶店の店内の装置であり、そのことも、日常性の表現に役立っていると思いました。そのまま舞台に歩いていって、席に座れば自然に水とおしぼりが出てきそうな、そんな雰囲気です。
「零度のエクリチュール」ということばがありますが、「零度のコミュニケーション」というものがもしあれば、それを再現したい、そんな欲求がこんな演劇空間を作り出したような気がします。
我田引水になりますが、拙著『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』の末尾は、次のようなことばで締めくくられています。
ヴァーチャル日本語の仕組みを知り、時にはヴァーチャル日本語をうち破り、リアルな日本語をつかみ取ろう。それこそが、本書が考える、日本語を豊かで実り多いものにしていく唯一の方法である。
会場で配られた、平田オリザさんの演劇の、DVDのチラシに、こんなコピーが付いていたので、勝手に喜んでしまいました。
―現代をとらえる劇作家― 平田オリザ
もっともリアルな
日本語がここにある。
なるほど、平田さんの考える「リアルな日本語」とは、こういうものだったんだな、と劇を見終わって、納得しました。もちろん、「リアルなリアリティ」とは、ダイナミックで混沌としてとても捉えがたいものである一方で、平田さんの劇は、適度に抑制され、コントロールされ、それ故に演劇的感動が立ち上ってくるのであり、その点では「リアル・ヴァーチャル・リアル」なのだろうと思います。それでも、今までのどの演劇的才能も到達しえなかった地点に、平田さんは確実に立っている、という気はしました。平田さんの演劇は、言語教育界でも広く注目されているとのことですが、その理由もよく分かります。
ところで劇の終わり近く、誰もいなくなった喫茶店に一人残された北本菊子の前に、菊子の死んだ妹、弥生が静かに現れ、どきっとさせられます。弥生は、菊子をたしなめ、元気づけ、菊子が行けなかった臨海学舎のおみやげの、貝殻のネックレスを菊子に手渡して、再び静かに去っていきます。今まで唯の店の一部でしかなかった通路に、あの世とこの世、記憶と現実の橋渡しであるという両義性が与えられた瞬間でした。その後、一旦退いたバイトの香山早苗が、そして藤崎その他の近所の同級生たちが舞台に戻ってきて、クライマックスの「上野動物園襲撃」の高揚へと一気に駆け上がっていくのですが、この部分はそれまでの、淡々とした日常的な描写とは空気が変わっています。弥生が現れた時から、舞台上は、菊子が呼び寄せた、夢と現実がないまぜになった空間に変質したのかな、という気がしました。
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大学院の演習で、学生さんが『新説 八十日間世界一周』(ジュール・ベルヌ作、川島忠之助訳、明治11年〈前編〉・13年〈後編〉刊)を取り上げたのですが、その刊記に
「売捌書林 丸屋善七」
とあったので、
「あ、これが『丸善』の由来か」
と思いました。現在の丸善の、「社史」の部分にはこうあります。
1986/明治2年 創業者 早矢仕有的(はやし ゆうてき)は師事する福澤諭吉のすすめにより丸屋商社を横浜に創業、書籍・文具・洋品雑貨を販売。翌年日本橋現在地にも開店、創業の理想を掲げた『丸屋商社之記』にもある通り、元金社中(株主)と働社中(社員)で構成した株式会社組織を採用し、事実上日本の株式会社第一号となった
1871/明治4年 大阪店開設(明治32年に支店となる)
1872/明治5年 京都店開設(明治40年に支店となる。梶井基次郎著『檸檬』の舞台となった店)
1783/明治6年 慶應義塾経営の仕立局(洋服類)を引継いだ丸屋裁縫店、また丸屋指物店(洋家具店)も経営(共に銀座)
1874/明治7年 名古屋店開設(大正11年に支店となる)
(中略)
1880/明治13年 責任有限丸善商社に改組。貿易商会を興し、貿易振興に尽力。横浜正金銀行(現東京三菱銀行)創立にも参画
ここには、「丸屋」は出てきますが、「善七」は出てきません。早矢仕有的の通称なのかなんなのか、知りたいところですが、『丸善百年史』など根本資料を見てないのでなんとも分かりません。
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野口武彦(著) (2006) 『長州戦争:幕府瓦解への岐路』 (中公新書, 1840, ISBN: 4121018400) を読み終えました。
帯から引用します。
幕府はなぜ《やらなければよかった戦争》を始めてしまったのか
どんな戦争も後世へのメッセージを残している。長州戦争は徳川幕府の命取りとなった戦争である。勝利した長州藩は、後に『防長回天史』を編纂し、この戦争を明治維新への大きな一歩と位置づけた。しかし、幕府側はこの敗戦を総括するに至らず、敗戦の責任者すら明確ではない。幕府はなぜ戦争に踏み切り、どう戦って負けたのか。開戦前夜から反戦処理までを克明に描き、長州戦争が現代に残したメッセージを読む。
これも著者からいただいたものです。いつもありがとうございます。
いつものきびきびした文体で、戦争前史から戦闘の描写、そして総括まで、一気に読ませます。資料から人間ドラマをすくい取って眼前によみがえらせる手腕は、本当に見事です。戦闘シーンのリアルさは、さすが、学生運動の闘志であった著者ならではと感じました。
「戦争の反対は平和ではなく、外交である」
など、印象的なことばも随所にちりばめられています。一橋(徳川)慶喜の、目立ち好きで、ある意味ちゃらんぽらんな性格描写も記憶に残りました。
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13日(土)朝6時過ぎに、車で家を出て、大学に。駐車場に車を止めて、モノレールで伊丹空港に行きました。朝8:00発のANA便で、羽田に向かいました。
雨模様だったので、折りたたみの傘を持っていたのですが、搭乗するときに、待ち合わせ席において来てしまったことに、飛行機の座席についてから気づきました。
「まあいいや、帰りにもらって帰ろう」
と思って、羽田空港に到着後、コンビニでビニール傘525円を購入。
京浜線、山手線、中央線を乗り継いで、武蔵小金井駅からタクシーに乗って、学芸大学に到着。10時30分からの会議に20分ほど遅刻。選挙開票で、新しいN語学会の会長が決まりました。
シンポジウムを聞いて、夕方、国分寺駅ビルで懇親会。ビール、焼酎、ワインなど結構いただいたあと、流れで2次会へ。私より若い人ばっかりの会に入れてもらって、またビール、焼酎など。
11時過ぎに、三鷹駅そばのビジネスホテルにチェックイン。
翌朝、再び学芸大へ。雨は上がってました。卒業生に「先生、顔が疲れてますね」と言われました。まあ、連日の西宮・東京往復と、飲み過ぎで、確かに疲れてましたです。
教え子の学会発表などあり、夕方、学生さんや卒業生など数人と連れだって、帰途へ。会場に、ビニール傘を忘れたことに気づきましたが、取りに帰る気力がなくて、あきらめました。
途中品川駅で一息入れて(写真)(ちなみに私は酒は飲んでません)、羽田から7時25分発の伊丹行き最終便に搭乗。
伊丹空港で案内所など聞いて回って、無事折りたたみ傘を取り戻しました。
モノレールで大学に戻り、止めてあった車でおうちに帰りました。やれやれ。
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2006年5月11日(木)1限の講義を大阪でやってから、12時伊丹発のANA便で羽田へ。
2時半頃、乃木坂で某会議に出席、初めてお会いする先生方が何人かいらっしゃったのですが、中でも強いオーラを発して座っておられる、白髪・白髭の先生が気になりました。ご挨拶したのですけど、名乗っていただけませんでした。
あとで、お知り合いの先生に「あれが柴田翔先生だ」と伺って、「おおっ」とうなってしまいました。柴田翔と言えば、私も学生時代、「されど我らが日々」「贈る言葉」など読んで、それなりの感慨がありましたので。
私がT大の学生時代、柴田先生と重なっていたはずなのですが、よその学科のことは一切知らなくて、お顔を認識することもなかったわけです。
で、会議後に出席者の先生方数人と、ビールなどいただいてから、羽田発神戸空港行き午後8時5分発のANA便に乗って帰りました。神戸空港は初めてだったので興味津々ですが、すでに暗くて、建物や周囲の様子などよく分かりませんでした。
飛行機は少し遅れ気味で9時40分頃到着しました。ちょうど、10時発の西宮行きリムジンバスがあったので、乗って帰りました。時刻表を見たら、なんと西宮行きは一日にこれ1本だけです。
羽田-伊丹の最終便が7時25分で、あと関西に帰ろうと思うと、関空便か、神戸便しかなくなるのですね。それで私も神戸便を選んだわけですが、そんな乗客を見越して、この西宮行きバスも走っているのだろうと思います。
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ジオラマ
を作ってみよう、と急に思い立って、作っちゃいました。材料は、ほとんど
ごみ
です。枠は段ボール箱を切り取ったもの。そこに、ネットにころがっている、壁紙や背景の素材をカラー・プリンタで印刷して、ぺたぺたっと貼り付けました。
思いの外に、雰囲気が出てしまったので、我ながら感激してしまいました。特に、石橋駅の脇にあって、よく利用する四川料理の名店
長光
の奥の座敷に、雰囲気がそっくりなんですね。
テーブルは、フロッピー・ディスクのケースに厚紙で作った足を貼り付けたもの。あと、壁には雰囲気を出すために、やはりウェブ上にあるいろいろなイメージを落として印刷して貼り付けました。座布団も、イメージなのでぺっちゃんこです。
こうしてみると、ほんとに、ウェブって無限のおもちゃ箱です!
作成に要した時間は、約1時間。作りが雑なところが、かえって安酒場の雰囲気を醸し出しているのではないかと。
大学の先生がこんなゴミで遊んで、と若干忸怩たるものがありますが、まあ、これも一種の
アート
ではないかと、勝手に言い聞かせております。
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続きです。
dVCは、ラングドン教授の視点を中心に物語りが進行する、謎解きのストーリーになっています。そういう点では、ラングドンがヒーローということになるでしょう。しかし、ラングドンの人間性は、変化することがありません。常に客観的で、事実をありのままに見ようとする、「見る人」なのです。成長がない、という点で、Hero's Journeyの定義からすれば、真性のヒーローとは言えないと考えます。だいたい、探偵ものにおける探偵は、ここでいう意味ではヒーローたり得ない、というのが通例ではないでしょうか。
この物語におけるヒーロー(ヒロイン)は、間違いなく、ソフィー・ヌヴーでしょう。dVCは、ヌヴーが自分の家族を見つけ出す物語なのです。
Hero's Journeyは少年の自立の物語であると書きましたが、それは生まれ育った環境を飛び出して、自分自身の家族を見つけ出す、という物語でもあるのですね。自分自身の家族とは、幼くして生き別れた実母・実父・兄弟であったり、恋人であったりするわけですね。そして、ヒーロー・ヒロインは、旅立ちを動機づけるために、あらかじめ親が失われている、あるいは親の愛を受けられない、という設定がとても多いのです。例えば、スター・ウォーズのルーク・スカイウォーカー、ハリー・ポッター、ロード・オブ・ザ・リングのフロドなど。タイタニックのローズもそうです。スタンド・バイ・ミーの主人公の少年も、父に愛されないという悩みを抱えて、森への冒険に旅立ちます。
ソフィーの両親は事故死していて、祖父であるジャック・ソニエールに育てられます。そのジャックの死が、ソフィーの旅立ちを動機づける訳です。なお、話がそれますが、映画「ダ・ヴィンチ・コード」でソフィーを演ずるオドレイ・トトゥは、「アメリ」のヒットで注目を集めた女優ですが、この「アメリ」もまた、典型的なHero's Journeyであったわけです。アメリは、幼いときに母を亡くし、父の手一つで育てられますが、父は愛情薄い人物として描かれています。アメリは、壁の裏に隠された、ビー玉の詰まった缶に導かれるように、他者と出会う旅に出て、最後に恋人を得るのです。
dVCは表面的には、歴史上隠されてきた聖杯伝説の謎解きの旅の物語ですが、そこに、家族捜しの物語が重ね合わされていることに注目したいと思います。
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前からの続きです。キャンベルとフォーグラーについて、少し補足しておきますね。
キャンベルは有名な神話学者で、世界の神話・民話・伝説を分析した結果、特定の人物類型の組み合わせによる、ただ一つの物語の構造を取り出したわけです。それが、「ヒーローの旅 (Hero's Journey)」です。フォーグラーは、映画シナリオの分析家で、世界的にヒットする映画は必ず「ヒーローの旅」の構造を持っている、と考えました。
なぜそうなのか、というと、「ヒーローの旅」は、人生における人の成長の物語だからです。そして成長とは、親からの自立のことです。ぬくぬくとした親の庇護を自らの決心で飛び出し(可愛い子には旅をさせろ)、友を得、敵をかわし、栄誉を勝ち得て一人前の人間になることです。イニシエーションの物語、といってもいいでしょう。この物語が人々の共感を呼び、興奮させるのです。
なお、神話などでは最大の敵が、父親や母親であることがあります。子は、父や母を倒して宝を得なければなりません。ここに現れた「親殺し」のテーマは、つまり親を乗り越えて自立を得る「親離れ」のことなのです。
ここで、「ヒーロー」の条件について考えてみましょう。キャンベルの言う「ヒーロー」は、即ちありふれていて、弱々しい存在です。つまり読者が「自分自身だ」と思える対象です。そんな存在だからこそ、勇気を振り絞って旅に出るヒーローに喝采を送る気持ちになれるのです。なお、キャンベルの用語で「ヒーロー」は性別を問わないカヴァー・タームになっています。
で、私の分析における仮説はこうです。
「ダ・ヴィンチ・コード」は「ヒーローの旅」の構造を持っている。だから売れている。映画も、売れる可能性がある。
もちろん、dVCが売れている原因はいろいろあるわけですが、根本要因として、案外シンプルな物語の構造があることは間違いないと思います。
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皆さんは、この三連休を有意義に過ごされましたでしょうか。天気もよかったですね。
私は、だらだらと論文を書いていました。今日、書き上がって、添付ファイルで学会事務局に送りました。
本当は、1本といわず、2,3本片づけないとまずいんですが、ついだらだらしてしまうんですよね。体力がないせいもありますが。精神が弱いです。阪神戦も見てしまうし。
あと、1本書いてすぐ次にかかるのが、すごく難しいです。2本、平行して書く、というのもできません。1本書いたら、しばらくクールダウンして、頭を切り換えないとだめな気がします。
甘えてるだけかもしれません。
明日の日曜日は、車を出して家族サービスでございます。天気悪そうですが。
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今日、六稜楽友会というものに行ってきました。高校のオーケストラの同窓会で、現役部員と同窓生とが集まって演奏を楽しむという会です。場所は、高校の構内にある同窓会館(六稜会館)ホールです。
行ってみたら、フルートは現役部員お一人だったので、セカンド・フルートやオーボエのパートをふかせてもらいました。演奏した曲は下記の通り。
モーツァルト:フィガロの結婚序曲
フォーレ:シチリエンヌ
ベートーベン:交響曲第1番・第1楽章
ドボルザーク:交響曲第9番「新世界より」・第1楽章、第4楽章
ベートーベン:交響曲第3番「英雄」・第1楽章
指揮は、私の6年先輩で、私の高校時代から指導して下さっていた豊島和史さんという方で、大変すばらしい音楽家です。
最後にフルートのケースの蓋をあけたのがいつだったか、思い出せないくらい久しぶりに吹いたのですが、それなりに演奏に参加できたのでよかったです。管楽器はパートがかなり欠けていたし、初見の人も多かったので、客観的に聞けばぱっとしないのですが、弦楽器は結構鳴っていたので、楽しめました。合奏って、いいもんだと改めて思いました(オーケストラで吹いたのは、一昨年の楽友会だったので、2年ぶりでした)。
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巨人阪神戦で盛り上がっておりますが。
巨人の押さえの切り札、豊田が、バッターボックスの鳥谷を見て、不敵に笑います。
豊田ニタリ、「鳥谷だよ」と。
別バージョンです。
「鳥谷だよ」豊田、ニタリと。
事実とは異なります。念のため。
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dVCは、『ダ・ヴィンチ・コード』*1です。ネタバレのおそれがありますので、未読の方はご注意下さい。
dVCがなぜ売れるのか、映画はヒットするか、というわりと俗な話題ですが、少し考えたいことがあるので書いてみます。
この小説には、中世の異端思想や教会の陰謀や聖杯伝説などについての豊富な知識や、精緻な暗号などの謎解きの仕掛けがちりばめてあって、そういう点は確かによく出来ていると思いました。たぶん、美術史や宗教史などの専門家などにはいろいろ意見があるのでしょうが。現に、今年の春に退職された西洋美術史のW先生は、ご講演の際に、dVCに述べられた最後の晩餐の解釈について異論を唱えられていました。プロが何か言いたくなるということは、それだけ基礎がしっかりしているということで、まんざらヨタ・ホラ話ばかりでもないのでしょう。
私は、そういった細部の仕掛けについては語るべき知識を持たないので、ほとんど述べません。関心があるのは、物語の骨格の部分です。そして、その骨格に関しては、dVCは大変オーソドックスで単純な構造を持っていて、だからこそ小説は売れたし、映画も、よっぽど下手な作り手でなければそこそこヒットするのだろう、と考えています。
分析の下敷きは、ワンパターンですが、キャンベル*2/フォーグラー*3の Hero's journey です。平たくいうと、「宝探しの冒険」です。キャンベルの方についてはまだ勉強不足ですので、もっぱらフォーグラーに寄ります。あと、dVCにはメーテルリンクの「青い鳥」も少し入ってますね。「青い鳥」も Hero's journeyの一種ですが。
フォーグラーによれば、Hero's journey は以下のようなものです。
「普通の生活」をしている〈ヒーロー〉が、ある日、異界の〈使者〉から「冒険への呼び出し」を受ける。〈ヒーロー〉は一旦この「呼び出しを拒絶する」が、老人の〈助言者〉に導かれ、励まされ、力を授かり、旅立つのである。〈ヒーロー〉は「最初の関門」にさしかかり、〈関門の番人〉に「試練」を与えられる。それらの過程で、〈味方〉と〈敵〉が明らかになっていく。〈敵〉は、〈ヒーロー〉を呪い、苦しめようとする〈影〉の部下であったり、〈影〉そのものであったりする。〈トリックスター〉はいたずらや失敗で〈ヒーロー〉たちを混乱させ、笑わせ、変化の必要性に気づかせる。〈変貌者〉は〈ヒーロー〉にとって異性の誘惑者で、〈ヒーロー〉は彼/彼女の心を読みとることが出来ず、疑惑に悩まされる。やがて〈ヒーロー〉は「深奥の洞窟への侵入」を試み、「苦難」をくぐり抜け、宝の「剣(報酬)をつかみ取る」。〈ヒーロー〉は「帰還への道」をたどるが、その途上で死に直面し、そして「再生」を果たす。その後「神秘の妙薬を携えて帰還」するのであった。
ここで、〈ヒーロー〉とか〈影〉とかいうのは登場人物の「原型(archetype)」に与えられた
名称です。
フォーグラーによれば、「普通の生活」「冒険への呼び出し」「呼び出しの拒絶」「助言者との出会い」「最初の関門」あたりまでを第1部とし、映画の脚本で30頁くらいとされています。
また、「試練、仲間、敵」「最奥の洞窟への進入」「試練」「報酬」あたりまでが第2部であり、60頁くらいを費やすとよいそうです。また、第2部の後半が「危機(Crisis)」になります。
最後に「帰還」「復活」「お宝とともに帰還」が第3部であり、脚本で30頁になります。第3部の後半が「山場(climax)」になります。
さて、実際にこのテンプレートにdVCがどの程度当てはまるか、考えていきます。
*1 ダン・ブラウン(著)越前敏弥(訳)(2006)『ダ・ヴィンチ・コード』上・中・下、角川文庫、ISBN:4042955037;4042955045;4042955053
*2 Campbell, Joseph (1949) The Hero with a Thousand Faces, New York:Pantheon Books. (邦訳 平田武靖・浅輪幸夫(監訳)『千の顔を持つ英雄』人文書院、1984, ISBN:4409530046;4409530054)
*3 Vogler, Christopher (1998) The Writer's Journey, Second Edition: Mythic Structure for Writers, Michael Wiese Productins, Studio city, ISBN: 0941188701.
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ソウルで日本語を教えておられる、O先生から教えてもらった話を、備忘のために書いておきます。
韓国の裏町など歩いていると、店員さんが、達者な日本語で、さかんに客引きの声を掛けてきます。上手なんですが、ちゃんとならった日本語じゃないから、やっぱり時々おかしな呼び込みもあるらしいです。
「見るだけ、見るだけでいいよ」
と、ひとまず店に引き入れようとするんですね。
「絶対、見るだけ。見るだけだから」
「見るだけ」を強調して、客を安心させようとします。客がぐずぐず迷ってると、追い打ちを掛けます。
「見るだけだから。絶対買わないで!」
あれ?買わなかったら商売にならないのにね。
これはようするに、強調したいあまりに「~なくてもいい」と「~てはいけない」とが混同されてしまった結果のようです。
英語でも、両者は must の否定になるのですが、
You don't have to buy. (買わなくていい)
と、
You mustn't buy. (買ってはいけない)
の区別を間違えやすいですよね。この辺の問題は、専門用語でいうと「ムード」とか「モダリティ」とかといった領域の話になりますが、形式と意味の関係が難しいところです。
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きのう、立ち寄ったコンビニ「am pm」で、リーメントの「ぷち呑み」シリーズを見つけたので、ゲットいたしました。この日に継いでの購入です。なお、価格は210円です。
中身は、「焼きおにぎり」セットでした。
皿の上に緑のハラン、その上に焼きおにぎり2個とお新香がついてます。あと、おみそ汁と緑茶。みそ汁の浮き実は、お麩とわかめとネギでした。それから、おしぼりも。
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今年の行き先は、伏見稲荷、東福寺、泉涌寺でした。写真をアルバムにアップしました。
お稲荷さんの赤い鳥居と、新緑がマッチしてとても鮮やかでした。山中では、シャガが沢山咲いていました。随分歩いたので、翌日は筋肉痛になりました。
夜は梅田でにぎやかに懇親会をして帰りました。
ところで、学生さんたちは、私を見るとくちぐちに「先生、お誕生日おめでとうございます」と言ってくれます。ありがたいことですが、中には「先生、50歳のお誕生日おめでとうございます」とわざわざ言う人がいて、それを聞くと、少し落ち込んで口数が少なくなってしまうことでした。
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