« 「長光」とは | トップページ | フィールド言語学 »

2006年5月20日 (土)

上野動物園

Uenozoo_1昨夜、劇団 「青年団」による『上野動物園再々々襲撃』を、伊丹市のAI・HALL(アイ・ホール)に見に行きました。平田オリザさん脚本・構成・演出によるもので、コミュニケーションデザイン・センター教授になられた平田さんとのあるご縁により、招待していただいたのです。

見終わって、とても感動しました。内容は、私の年齢のおじさんにはほんとに身につまされる、厳しい現実が盛り込まれているのですが、平田さんの作り出す空間が本当に心地よくて、いつまでもそこにい続けたい、という気持ちになりました。

この心地よさは、やはり平田オリザさんが紡ぎ出す、独特なことばのマジックによるところが大きいのだろうと思いました。私がいままで見てきた演劇は、たいてい、抑揚の強い発生で台詞を際だたせ、語り、叫び、笑い、泣き、観客の情動に強く訴えかけるものでした。見ている私たちは、そのことによって心を揺り動かされもする一方で、どこかに舞台と一体になれないという、違和の感覚も消し去ることができないで終わってしまうのが常でした。

昨日見た役者の人たちは、よくトレーニングされてはいるものの、ごく日常的な発声で、ごく日常的なコミュニケーションを淡々と舞台の上で繰り広げていきます。そこでは、複数の人物の組が別々に会話を交わすことも、ストーリーに貢献しないほとんど意味のないやりとりも、会話の隙間に生じる一瞬の沈黙さえも、忌避されることなくさらけだされます。

舞台といっても、ほぼ観客と同じ高さにしつらえられた、ひどくリアルな喫茶店の店内の装置であり、そのことも、日常性の表現に役立っていると思いました。そのまま舞台に歩いていって、席に座れば自然に水とおしぼりが出てきそうな、そんな雰囲気です。

「零度のエクリチュール」ということばがありますが、「零度のコミュニケーション」というものがもしあれば、それを再現したい、そんな欲求がこんな演劇空間を作り出したような気がします。

我田引水になりますが、拙著『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』の末尾は、次のようなことばで締めくくられています。

ヴァーチャル日本語の仕組みを知り、時にはヴァーチャル日本語をうち破り、リアルな日本語をつかみ取ろう。それこそが、本書が考える、日本語を豊かで実り多いものにしていく唯一の方法である。

会場で配られた、平田オリザさんの演劇の、DVDのチラシに、こんなコピーが付いていたので、勝手に喜んでしまいました。

―現代をとらえる劇作家― 平田オリザ
もっともリアルな
日本語がここにある。

なるほど、平田さんの考える「リアルな日本語」とは、こういうものだったんだな、と劇を見終わって、納得しました。もちろん、「リアルなリアリティ」とは、ダイナミックで混沌としてとても捉えがたいものである一方で、平田さんの劇は、適度に抑制され、コントロールされ、それ故に演劇的感動が立ち上ってくるのであり、その点では「リアル・ヴァーチャル・リアル」なのだろうと思います。それでも、今までのどの演劇的才能も到達しえなかった地点に、平田さんは確実に立っている、という気はしました。平田さんの演劇は、言語教育界でも広く注目されているとのことですが、その理由もよく分かります。

ところで劇の終わり近く、誰もいなくなった喫茶店に一人残された北本菊子の前に、菊子の死んだ妹、弥生が静かに現れ、どきっとさせられます。弥生は、菊子をたしなめ、元気づけ、菊子が行けなかった臨海学舎のおみやげの、貝殻のネックレスを菊子に手渡して、再び静かに去っていきます。今まで唯の店の一部でしかなかった通路に、あの世とこの世、記憶と現実の橋渡しであるという両義性が与えられた瞬間でした。その後、一旦退いたバイトの香山早苗が、そして藤崎その他の近所の同級生たちが舞台に戻ってきて、クライマックスの「上野動物園襲撃」の高揚へと一気に駆け上がっていくのですが、この部分はそれまでの、淡々とした日常的な描写とは空気が変わっています。弥生が現れた時から、舞台上は、菊子が呼び寄せた、夢と現実がないまぜになった空間に変質したのかな、という気がしました。

|

« 「長光」とは | トップページ | フィールド言語学 »

コメント

金水先生:
こちらから失礼いたします。
このたびは、リンクを張っていただき、大変恐縮に存じます。驚愕と恥ずかしさでしばし失神してしまいました。大変光栄なのは、申し上げるまでもございませんが…。有害とご判断された場合は、ご容赦なく遮断してくださいますようお願い致します。

なお、「役割語」について、先日ご質問させていただいてから、私なりのパイロット調査を実施しました。現在、その結果を参照しつつ、そろそろ本調査をしてみたいと思っているところです。私としては、中国人学生達が「リアルな日本語」というものに対する『ちょっとした』しかし『本質的な』観点を得てくれることが、第一の目標です。
近日中に改めてご相談致します。中途半端なものになるかもしれませんが、ご寛恕のほどよろしくお願い致します。

投稿: 広州広子 | 2006年5月21日 (日) 18時28分

広州広子さま、いつも楽しくブログを拝見させていただいています。
勝手にリンクを張らせていただきましたが、かえってご迷惑ではなかったかと恐縮しております。
ブログは気晴らし、遊びの一種と心得ておりますので、どうぞ気楽におつきあい下さい。

投稿: SKinsui | 2006年5月21日 (日) 18時39分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 上野動物園:

« 「長光」とは | トップページ | フィールド言語学 »