忙しい
なかなか更新ができません。
ほぼ夏休みに入っているのですが、成績付けとか、院生発表会とか、原稿書きとか云々かんぬん、あわただしいです。
それというのも、8月3日~9日、ニューヨークに行って、学会発表をしなければならないからです。(こちらのウェブサイトをご参照。リンク切れご容赦)
がんばります。
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高山寺から西宮に帰る車の中で聞いたNHK FMの番組で知ったこと。
小説家・菊地秀行の16歳年下の弟は、ジャズ・ミュージシャンの菊地成孔(なるよし)。
菊地成孔が最初に買った(兄に買ってもらった)レコードは「帰ってきたヨッパライ」。
菊地成孔の最新アルバムは、歌手UAとのコラボレーションで作ったスタンダード・ジャズのアルバム Cure Jazz。
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と学会 (2006) 『と学会年鑑GREEN』(楽工社、ISBN:4-903063-04-6)に、『ダ・ヴィンチ・コード』が取り上げられていました。皆神龍太郎氏の報告です。
『ダ・ヴィンチ・コード』の重要な背景をなしている、シオン修道会が1956年にでっち上げられた団体であり、レオナルド・ダ・ヴィンチが修道会の総長だったというのも真っ赤な嘘、という指摘です。以前から分かっていたことらしいですが、さもありなん、です。
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WikipediaとHatena::Diary::Keywordに「金水 敏」の項目が入っておりました。
執筆者の方、どこのどなたか存じませんが、ありがとうございます。
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昨夜、テレビで「ハウルの動く城」を初めて見ました。アニメの技術は相変わらずすばらしく、充分楽しんだのですが、何かもやもやというか、息苦しい感覚がぬぐえませんでした。キャラクターやそれにまつわるエピソードが豊富すぎて、充分整理し切れていない感じでしたね。
相変わらずキャンベル/フォーグラー式の、「英雄の旅」に当てはめながら見てました。最後の方で、ドアの向こうの闇を通り抜けたソフィーが、ハウルの生い立ちを知るシーンなどは、典型的な「英雄の旅」のパターンだなと思いました。しかし全体として、しっかりしたストーリーの芯がつかみにくく、「英雄の旅」に単純に当てはまらないところもあり、それがもやもやのもとなのだろうと思いました。
一つは、ソフィーのキャラクターの複雑さです。ソフィーは、姿も心も老婆と少女の二面性を持っています。老婆のソフィーは、他のキャラクターを惹きつけ、守り、勇気づける役割を果たす一方で、少女のソフィーは、自分自身が救いを求める、恋する少女なのです。他者を救うのに自分は救えないもどかしさが、この物語のもどかしさかもしれません。
この物語には、ヒーロー(ヒロイン)を善導する安定した「教師(mentor)」が存在しないのです。最初は、ハウルがソフィーを導くように見えて、実はハウル自身が心を病んだ青年でしかなかったのです。魔法使いのサリマンなど、見かけはその役どころなのですが、実態は「恐い母親」のような役で、ハウルを脅かすのです。つまり実態は「影(shadow)」なのです。
「英雄の旅」を構成する役回りが、解体されて、ばらばらに配当されているというところでしょうか。ある意味、とても新しいタイプの物語なのかもしれません。しかし観客の不満も、そこに生じてくるのだろうと思います。
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兵庫県立芸術文化センターに、「蝶々夫人」を見に行きました。前回のゲルギエフに続いて、3回目です。(兵庫県立芸術文化センターの「蝶々夫人」のページはここ。リンク切れご容赦)
プロデュースと指揮は、芸文センターの芸術監督である佐渡裕氏、オーケストラも芸文センターの専属オケであるPACオーケストラです。出演者は、特に華のある歌手はいませんでしたが、それなりに力量があり、演奏も熱がこもっていて、充分楽しめました。装置は簡素なりに工夫がありました。
芸文センターでは、目玉公演として力を入れており、異例の8回公演を打っています。西宮北口駅周辺にも「ある晴れた日に」と書かれたのぼりを角ごとに掲げて、街をあげてのお祭り騒ぎです。
このオペラ、通してみたのは初めてでした。西洋人の目から見たジャポニズム、オリエンタリズムがぷんぷん匂い、ちょっと辟易するところもありますが、まあましな方だろうと思います(オペラ「ミカド」なんかもっとひどいらしい)。音楽が、甘ったるくて通俗的ではありますが、よく書けているので、盛り上がります。
物語は、明治時代の長崎が舞台。武士の娘であった蝶々さんは、アメリカ海軍の将校ピンカートンの現地妻として囲われますが、自分ではピンカートンに愛された正式な妻だと信じ込んでいます。ピンカートンが長崎を去って三年目、蝶々さんと小間使いのスズキ、そしてピンカートンが去った後に生まれた息子のもとに、ピンカートンを載せた船は戻ってきました。しかし彼は、アメリカでめとった本妻を伴っていました。ピンカートンは、彼を信じて待ち続けていた蝶々さんの純真さを知って、恥ずかしさのあまり会うことができません。真相を知った蝶々さんは、息子をピンカートンの妻に託し、自分は短剣を喉に突き立てて自害します。
つまり、蝶々さんはあまりにお馬鹿さんなのですね。西洋人に買われたいわゆる「らしゃめん」さんは、西洋人の旦那が帰っていくと、さっさと別の旦那を探すものなのです(オペラにも、蝶々さんに言い寄るヤマドリという侯爵が登場します)。つまり、西洋人から見て、「あり得ない純粋な心を持った娼婦」が、東洋なら存在しそうだという、オリエンタリズム丸出しのストーリーなのです。でも、子別れのシーンとか、やっぱり洋の東西を問わず涙を誘う要素はしっかり描き込んであるので、それなりに満腹してしまうのでありました。
オペラを見ながら、この物語はぜひ続編が書かれるべきだ、と思いました。つまり蝶々さんの息子の物語です。
継母に連れられてアメリカに帰る船路で、船が海賊に襲われ、乗員は全員殺されるのですが、息子だけは実は海賊のアジトに連れ去られます。息子は海賊の頭領に育てられ、18歳で船長を任されるほどに成長します。彼は、日本語の「蝶々」ということばを頭の片隅に覚えていて、腕に蝶々の入れ墨を施しています。海域を通る船員たちから、「パピヨン」と呼ばれて恐れられる海賊になっているのですね(なぜかフランス語)。パピヨン退治に、各国の海軍が乗り出し、東郷平八郎もバルチック艦隊も参戦して海の冒険大活劇が繰り広げられます。そしてアメリカが送り出した船団と対決し、船長同士の一騎打ちとなりますが、そのアメリカの提督がなんとピンカートンだったのです(!)。パピヨンを見たピンカートンは、彼が息子であることを確信しますが、果たして対決の結末は……?
ね、ラストが知りたいでしょ?だれか映画権買ってくれないかな。
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今週水曜日から木曜日にかけての深夜、寝ていたら急におなかが差し込んできて、ひどい下痢に襲われました。
木曜日はなんとなくふらふらして、軽い頭痛と倦怠感がありました。一日中、おなかもごろごろしていました。
おなかの具合は、今日、土曜日もまだすっきりしません。
家族もみんな、ひととおり腹痛の症状が出ました。夏風邪なのかもしれません。みなさん、お気をつけください。
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先日、BSのチャンネルを回してたら(「チャンネルを回す」って、死語かもしれないけど)「戦場のメリークリスマス」をやってました。音楽はしょっちゅう聴いてるけど、映画自体は久しぶりです。でも家族にチャンネルを奪われて、最後の方しか見られませんでした。学生時代、女性のお友達と見に行った思い出の映画です。
Wikipediaからあらすじをコピーしておきます。
1942年、日本統治下のジャワ島。レバクセンバタの日本軍浮虜収容所所長の陸軍大尉ヨノイ(坂本龍一)は、歴戦の勇士で捕虜となった英国陸軍少佐ジャック・セリアズ(デビッド・ボウイ)の反抗的な態度に悩まされながらも、魅せられてゆく。一方、親日派の捕虜で英国軍中佐ロレンス(トム・コンティ)は、ヨノイの部下で粗暴なハラ軍曹(ビートたけし)と奇妙な友情に結ばれる。ある日、朝鮮人軍属カネモト(ジョニー大倉)がオランダの男性兵デ・ヨンを犯すという事件が発生する。事件の処理をめぐり、浮虜長ヒックスリ(ジャック・トンプソン)も巻き込んで、収容所内は、東洋と西洋の宗教観、道徳観、組織論の違いからくる感情の対立が激しくぶつかり合う。
坂本龍一演じるヨノイ大尉は、敵役なのですが、金髪の美しいジャックに惹かれていくのですね。この映画、男しか出てこないホモ映画なのです。
で、ヨノイ大尉がもし、戦後を生き延びて(映画では死刑になる)、おのれのホモ性に目覚めて、オネエ言葉をしゃべったら、という設定の回文です(説明が長い)。大尉は自分のことを「ヨノイ」と言っています。
ヨノイ、なんか分かんないのよ。
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くうざんさんにひっぱられて、わたしも「日本沈没」話を。
小松左京の小説が出たのは、1973年、従って私が17歳、高校二年生の時。読んでみて、ちょっとした感慨がありました。
というのが、今となっては証明しようがないのだけど、同じアイディアの小説を、中学生のころ、書きかけたことがあったのです(学年は忘れました)。
小学生のころからSF小説が好きで、自分も書けるような気がして、何作か書きかけたことがあります。でも、「小説が書けるような気がする」という妄想にとらわれていただけで、最後まで書きとおした作品は、一つもありません(劇の台本は何本か書いた)。
で、「日本沈没」、というタイトルを付けていたわけではないのですが、日本が沈んでしまうという、まんまのアイディアで、ノートに書き始めました。国会のシーンから始まって、総理大臣が「これをもって日本国を解散します」と宣言するんですね。結構劇的なオープニングで、自分でも気に入ってました。
3ページほど書いたところで挫折して、それっきりになりました。学校で女の子に書きかけのノートを見せびらかして、「ふーん、『日本国解散』ねえ……」と変な顔をされたことを覚えています。もしその子(たしか、ノモトトモコちゃんだったの思うのだけど)が覚えてたら、小松左京の先をいっていた、ということが証明されるのですが……
ところで、何にもないところからそんなアイディアを得たわけではなくて、プレートテクトニクスに関する科学番組をテレビで見たのがきっかけなのでした。その番組では、「日本列島はフィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に潜り込むところにある」という説明をした上で、「もしプレートのバランスが崩れたら、日本列島自体がフィリピン海プレートとともに沈み込んでいくかも……」といったことまで言っていたと記憶しています。
つまり、そこから、「本当に日本が沈んだらどうなるか」という小説の種が生まれたわけですね。
アイディアはよかったのですが、書ききる前に、小松左京にとられてしまいました。
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1週間更新が途絶えていましたが、これはココログのレスポンスが最悪で、ほとんど入れなかったことによります。48時間のメンテナンスを経て、やっと復活しました。
急に暑くなったし、仕事もお忙しで、近頃になくタフな1週間になってます。月~金まで、授業に加えて毎日会議があって、合計9つの会議がありました(明日、2つ残ってますが)。
書きたいこともたくさん貯まっているのですが、ぼちぼち書いていきます。よかったらまた読んでください。
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ここでご紹介した菊澤季生『国語位相論』は、なかなか興味深い内容をもっているのですが、そのなかに「盗賊語」の紹介があって、盗賊語のなかに「逆置」語があると書いています。逆置とはつまりズージャ語なんですね。
浪花の洒落言葉、音楽家の楽屋言葉等として知られるこの造語法が、盗賊語としても用いられていた、あるいは認識されていた点がおもしろいと思います。
適宜、引用しておきます。
盗賊語はこの様に忌避隠蔽の最も甚だしいものでありますから、隠語なる言葉に最もよく適合するものでありまして、その研究としては、前田太郎氏の「外来語の研究」(大正十一年四月)に収めた「隠語の話」(一八五―二二五頁)等があり、その語彙集録の主なものには、
稲山小長男「日本隠語集」(明治廿五年)
高芝羆「隠語輯覧」(大正四年)
南霞濃「隠語総覧(チョーフグレ)」(昭和五年)
などがありますが、隠語の主体は盗賊・陶摸(スリ)・香具師等であることが分ります。
(中略)
而して、盗賊語の語彙を観察した結果、これを最も要領よく分類したものは、「チョーフグレ」の総論に紹介せられた南波杢三郎氏の「犯罪捜査法」に於けるものでありませう。即ち、盗賊語の成立方法は、(一)逆置、(二)省略、(三)形容、(四)擬人、(五)擬動物の五種となるのであります。
盗賊語の語彙中、最も顕著な特徴を示すものは、逆置の方法によるものであります。これは、その単語の音配置を逆置したものでありまして、その方法は極めて簡単でありますけれども、而もその結果は普通人には容易く察知し得ないものとなるのであります。これは、所謂「せんぼ」として江戸時代に記録されたものにも見え、
口 ちく 年寄 よりと
顔 おか 大屋(家主) やおほ
などがそれであり、明治以後のものにも頗る多く現はれ、
種 ねた 本屋 やほん
姫 めひ 英語 ごえい
銭 にぜ 判事 じはん
紐 ぼひ 石鹸 ぼんしや
筆 でふ 袋物 ろつぷく
安い すやい 神祭 つりま
旅 びた 活動写真 どうかつ
硝子 すがら 拘留 りゆこう
洋傘 もりこう 神官 ぬしかん
序ながら、この種類の方法は外国語に於ても見られ、例へば英語ではこれをback slangと呼び、その実例は、明治二十年に刊行された村松守義著「英和双解隠語語彙集」にも既に見えてゐるのであります。
Cool (見る to look)
dab (悪を bad)
deb (寝床 bed)
delog (金 gold)
efink (小刀 knife)
elrig (少女 girl)
slop (巡査 police)
erth (三 three)
これに就て面白く感ぜられるのは、英語に於ては、音素を単位とする全然の逆置であり、我が国語に於ては成音(音節)を単位とする全部又は部分的逆置である点であり、此処にも両国民の音声意識の相違が伺はれる様であります。(60-63頁)
英語の逆置の例が述べられている点が大変面白いです。なお、フランスでも、移民の若者たちがこの種の逆置語を使っているそうです(フランス人の留学生のレポートで知りました)。
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朝出勤前、NHK BSのクラシック番組を見るともなく流しているのですが、曲のタイトルを見て、奥さんがぷっと吹き出しました。
「『私は鳥刺し』て、クラシックに似合わんタイトルやなあ」
聞いてみると、「ぼくは焼き鳥」「私は鶏刺し」みたいな、居酒屋のワンシーンを想像してしまうそうです。
ご存じの方はご存じと思いますが、この「私は鳥刺し」は、モーツァルトの歌劇『魔笛』の中で、パパゲーノという登場人物が歌うアリアです。登場してすぐにパパゲーノが、
おいらは鳥刺し、ほいさっさ!
と元気よく歌う、あれです。
「鳥刺し」とは何か?私もよく知りませんが、小鳥を捕まえて売りさばく人なんでしょうか。オペラの中でパパゲーノは、全身鳥の羽につつまれた衣装を身につけ、背中に鳥かごを背負い、鳥を呼び寄せる笛を持っています(画像参照)。姿の変態チックなことにかけては、クラシックのオペラの中で随一といってもいいでしょう。役どころも、完全な道化役、トリックスターです。
奥さんに言われるまで気が付かなかったけど、「鳥刺し」と「鶏刺し」、似てるというか、まんまですね。これからこの曲を聞く度に、居酒屋シーンが頭に浮かびそうです。
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6月30日(金)、東京で開かれる某会議に出席するために、日帰りしました。会議の内容については、こちらを参照。
12時ちょうどに伊丹空港を発つ飛行機を予約してあり、非常勤先で1限をやったあと、車で阪大に行って駐車し、モノレールで空港に駆けつけるというもくろみでした。
1限を終わって非常勤先を出ると、もう10時45分くらいで、このままだと時間がぎりぎりかな、というところでした。車を走らせながら、空港に直行することを考え始めました。つまり、空港前の駐車場に止めて空港に入る、ということです。この場合、駐車料金が余計にかかるので、経済的には好ましくないのですが、「間に合うかどうか」とどきどきする精神的なダメージや、間に合わなかった場合のキャンセル料金、飛行機の取り直しの手間など考えると、そういう選択もありうるな、と考え始めました。
で、結局、直行を選びました。11時25分くらいに駐車場に入りました。車を止め、歩いて空港に入り、チェックインし、手荷物検査場も空いていて、結果的には余裕綽々でした。
さて、帰りの飛行機は羽田を19時発。20時10分くらいに伊丹に着き、駐車場から車を出して、料金1,900円。9時間ほどの駐車ですが、案外安かったので、ほっとしました。
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