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2006年9月

2006年9月24日 (日)

本郷(+駒場)日記・まとめ書き(2)

9月20日(水)
講義2日め、授業が進むにつれ、学生さんの理解も深まってきたようで、教室の雰囲気もだいぶ暖まってきた(ただし、1日目よりだいぶ人数が減ったようだけど)。
昼食には、主任教授のS先生、Iくん、そのほかの方々5人連れで、正門前の「ルオー」にカレーを食べに行った。私のリクエストで、懐かしい店である。本当は「万定」に行きたかったのだけど、「万定」は休業していたので「ルオー」に行ったのだ。この店は、柴田翔「されど我らが日々」にも登場するが、小説に出てくるのは、画材屋と喫茶店を兼ねていた古い方の店で、その初代「ルオー」が店を閉めた後、店名とカレーを受け継いだのが今の店なのだ。場所も少し移動している。
Dsc03357 夜は、先生方が歓迎会を開いてくださるということで、授業が終わって待っている間、Tさんがお茶を付き合って下さった。工学部の古い建物の内部を改装して、「松本楼」という有名なレストランが入っており、そこでお茶を飲んだ。ここだけでなく、東大校内にはスターバックスや、ローソンや、ドトールコーヒーや、きれいなお店がいくつも出店している。学生・教職員が利用するのはもちろん、観光客が利用するので成り立つのだ。私の職場にもスタバを作って欲しいけど、無理だろう。
歓迎会は、正門を出て50mほど行ったところにある、おそばやさんで行われた。国語学の先生の他、近世文学のN教授、平安文学のF教授も来て下さった。おいしいお料理とお酒とを堪能して、10時くらいにお開きとなった。先生方、ごちそうさまでした。

9月21日(木)
Dsc03363 Dsc03364 3日目の夜、国語学を中心に学生・院生の方々が、「飲み会」に誘って下Dsc03365 さった。昨日の、おそば屋さんの隣の居酒屋で、若者向けの店だったが、お酒の種類が多くていい感じだった。幹事をしていたT. U. さんは、

このメンバーでの飲み会はなかなか盛り上がらないので、先生のお力を借りてなんとかしたい

という趣旨のことをおっしゃったので、私もがんばって盛り上げ役に徹してみた。しかし、お酒の力も手伝って、相当、ばかばかしいことも口走ってしまった気がする。反省。
飲み会を盛り上げたかったら、ぜひわがO大学の学生を連れてきて、その実力をお見せしたいものだ。もと助手のOさんも混ぜたら、T大の諸君はその怒濤のパワーに恐れをなすことだろう。是非、近いうちに、実現したい。

9月22日(金)
Dsc03371 昨日の飲み会の効果もあって、ようやく最終日、学生さんとの息も合ってきた気がする。午後は、1時間ちょっとで終わるつもりだったが、思ったより時間がかかって、4時近くまでやってしまった。お疲れ様でした。最後は、教室で記念撮影をして学生さんとはお別れした。
夜は、Tさんと助手のYさんが、赤門前にある「浅瀬川」というちゃんこ屋に招待して下さった。おいしいちゃんこ鍋と、仕上げにたらふく雑炊をいただいた。Tさん、いろいろ気をつかっていただき、(お金も使っていただき、)ありがとうございました。Yさんも、お世話になりました。

9月23日(土)
Dsc03381 午後から、T大駒場キャンパスで、「文法学研究会連続講義」を担当することになっていたので、朝10時頃宿舎を出て、渋谷に移動。渋谷は相変わらず、大変な人手でにぎやか。芸人が街頭キャンペーンでおしゃべりしていたり。あれはポイズンガールバンドだな。
ちょっと時間が余ったので、Bunkamura ザ・ミュージアムに行き、「リール美術館所蔵 ピカソとモディリアーニの時代」を見た。20世紀初頭のフランスにおける、キュビズム、フォービズム、素朴派等の画家の展覧会。なかなか楽しめた。東京には、こういう文化施設がたくさんあるからいい。大阪は、そういうとこ全然だめだなあ。
講義は、有料にもかかわらず、3, 40人ほどのお客さんが来て下さった。ありがとうございます。懐かしい顔も見えた。質疑の部分で、いろいろな言語についてコメントももらえて、有意義だった。
帰りは、初めて品川駅から新幹線に乗った。新幹線ホームにつながるところがきれいに整備されて、おしゃれなお店もたくさん出来ていた。最近、東京・大阪間は航空機を利用していたので、新幹線は退屈するのではと危惧していたが、疲れもあってぐっすり寝てしまい、まったく時間を感じなかった。体力がなくなったせいなのね。

これで、奮闘の1週間が終わりました。やれやれです。

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2006年9月23日 (土)

本郷(+駒場)日記・まとめ書き

Dsc03375 東京・本郷にあるT大学に集中講義に行って参りました。母校ということになりますが、もちろん今まで何度もいろいろな用で訪れていますが、その教壇に立ち、後輩である学生さんたちに教えるという目的で訪れると、それなりに感慨がありました。しかも、大学内部の宿舎に滞在し、5日間、朝から晩まで、構内とその周辺50m圏内だけで生活していたという体験も、なかなか趣き深いものがありました。

2学年上の先輩にあたるT教授はじめ、スタッフの先生方が、いろいろ細かく配慮してくださり、大変助かりました。学生さんたちも、温かく受け入れて下さった(のでしょう、たぶん?)と思います。何とか、やり終えてほっとしました。

内容は、ここに挙げた拙著をネタにしたわけですが、この本自体、大学時代の授業で学んだことに基づき、修士論文として提出した内容を取り込んでできたもので、まさしく母校から生まれた成果と言えるでしょう。その内容を、50歳になった自分が後輩に教えるというのも、人生のめぐり合わせ、みたいな気がします。

9月18日(月)
午後、新幹線で東京入り。夕方、Tさんと地下鉄・本郷三丁目で待ち合わせ。宿舎のカードキーを預かって下さっていて、その受け渡し。本郷三丁目駅前の「麦」というクラシック喫茶でしばらく雑談。この喫茶店は、私の学生時代からあるレトロなお店で、オーケストラの仲間とよく入り浸っていた。
そのあと、宿舎まで同行してくださる。場所は大学の龍岡門を入ったところにある、比較的新しい建物で、部屋は広めのビジネスホテル並みの設備。Tさんはここでお帰りになったので、宿舎でお見送り。事前には、一緒に食事しましょうということだったが、お疲れの様子でお茶だけで帰られた。実は後で、熱を出しておられたことが判明。病身だったのにわざわざお出ましいただき、申し訳ありませんでした。

9月19日(火)
朝10時まえ宿舎を出て、近くのスタバでコーヒーを買って、文学部国語研究室へ。3年後輩にあたる、I助教授と助手のYさんが出迎えてくださる。Iさんから、Tさんは熱を出して家で寝ていらっしゃる旨伺う。
Dsc03355 10時20分開講。Iくんが紹介をしてくださり、おもむろに授業を始めるが、教室の空気は冷えて固い感じ。軽いジャブのつもりで笑わせるようなことを言ってみるが、反応なし。いつも、講義の最初って、緊張もあって乗りが悪いのよね。特にテキストの最初の部分はちょっと難しい理論的な話から始まるので、テンポに乗りづらい。
お昼は、I君が、山上会館という学内のレストランに連れて行ってくれる。一応教員食堂で、安くて、まあそれなりの雰囲気。高山寺の調査でもご一緒している、日本仏教史のS先生をお見かけしたのでご挨拶。
Dsc03356 本来の時間割だと、6時半までやるところを、1時間ばかり早めに切り上げて、本日の授業は終わり。ああ、疲れた。夜は、ずっと年下のH助教授が相手をしてくれて、本郷の飲み屋で食事に付き合ってくれた。Hくんは大学では重なっていなくて、いままであまり長く話したことがなかったので、今回色々と、人となりを知ることができてよかった。

(この項、続きます)

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2006年9月20日 (水)

黄門様

集中講義で一人宿舎にいると、寂しいので、ついテレビをつけっぱなしにしてしまいます。見るとも無しに、久しぶりに「水戸黄門」を全部見てしまいました。

面白かったのですけど、やはり、根本的な疑問が湧いてきました。8時45分頃、黄門様が身分を隠したまま、代官や家老の悪事を暴き立てると、悪玉は怒って

「切れ切れ、切ってしまえ!」

と叫んで乱闘が始まります。下っ端の子分や捕り手などが大勢出てきて、黄門様の方も助さん角さん、由美かおる、照英などが応戦します。

ひとしきり、やりあったあとで黄門様が、

「助さん、角さん、もうこの辺でいいでしょう」

と言って、印籠が出てきます。すると、悪玉、子分一同「へへーっ」と平伏するわけですね。

「この辺でいい」というのは、いったい何がいいのでしょう?そもそも、乱闘に持ち込む意図は何でしょう?黄門様ご一行が滅法強いのはわかりますが、それでも、相手は本気でかかってくるのですから、ふとした弾みで黄門様や見方がけがをしたり、殺られたりする危険性は高いわけですね。相手にしたって、下っ端の捕り手などは雇われて主人の命令通りに動いているのですから、黄門様たちに切られて死んだら切られ損です。

どうやら、この「子分の切られ損」をおもんぱかってか、黄門様の側は乱闘の際、

峰打ち

を選択している振りがあります。人類愛に根ざした戦法とは言えますが、しかしそれなら一層、相手は本気、こっちは峰打ちで、大変リスクの高い戦法を黄門様は選択していることになりますね。

印籠一発でみんな平伏するんだから、早く出しておいたら、リスクもないし、けが人も出なくてすむのに、と思ってしまいます。

ただし、もし印籠を出しても平伏せず、悪玉が総力戦で黄門様ご一行の殲滅を図ったら、そのときは本当に黄門様の危機ですね。身分を隠して旅をしているので、「黄門様がやられた」という事実もひょっとしたら埋もれてしまう可能性がありますから。

悪代官、悪家老、やるならそこまでやれ!私は君たちの見方だ!

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クーデター

タイで軍事クーデターが勃発したということです。現タクシン政権に反発する軍部の一部が、王様の信任を得てクーデターに踏み切ったとのことで、外遊中のタクシン首相がこれから帰国するそうです。

タイ人の友人知人が何人もいますし、日本人も現地にたくさん在留していますので、行く末が案じられます。一日も早く、穏便に終息することを祈ります。

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2006年9月17日 (日)

地名回文

地名をつなげて作った回文。

伊賀、長崎、佐賀、長居

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日記まとめ書き

ここのところの出来事をまとめて書きます。

01_p 9月7日(木)
COEの会議のあと、アサヒビール吹田工場のゲストハウスで、O大学教職員懇親会。一人3,000円払って、出来たてのビール飲み放題、つる家の料理までついている。産学癒着かもしれないけど、こんな癒着なら許す。

9月8日(金)
全学の「情報基盤委員会」。委員長をやってたりなんかする。いつも「なんでわたしが委員長?」と思いながら勤めている。

9月9日(土)
COE「イメージとしての〈日本〉」班の若手シンポジウム。「ポピュラーミュージック学会」の方とお知り合いになる。石橋の琉球料理「赤瓦(あかがーら)」で懇親会。飲み過ぎないようにセーブする。

Dsc03331 9月10日(日)
科研費の会合で、九州大学へ。お昼は九大そばの「赤のれん&とん吉」で博多ラーメン。おいしかった。K児島大学のK部先生のご講演を聴いて勉強する。懇親会はJR箱崎駅前の「対州」。お刺身と地鶏料理がうまい。ここは同僚のO先生が二十歳のお祝いで初めてお酒を飲まれたお店だとか。その後、箱崎近くの「陣太鼓」で二次会。昔の九大生たちの、青春の夢のなごり。

9月11日(月)
朝、飛行機で大阪に戻り、午後、全学の「教育・情報室」会議。難しい問題山積。

Dsc03333 9月12日(火)
専門分野の合宿で、三田市にある「山西福祉記念会館 三田分館 悦(よろこび)」へ。この場所の不気味さは、いずれ詳しく。9時過ぎまで研究発表と討論、そのあと、深夜まで語らい(とお酒)の会。

9月13日(水)
合宿二日目。午前中で終わって、帰宅。三田市内にある、「小山」という菓子屋に寄りたかったのだが、水曜定休だった。

9月14日(木)
教授会。その他もろもろ、雑用を片づける。

9月15日(金)
金沢大学で「音響学会」に出席、招待講演を行う(ただし30分だけ)。終わってから、21世紀美術館、香林坊、近江町市場などをぶらぶらして少しだけ観光気分を味わい、帰宅。10月に「金沢能楽美術館」というのが出来るそうな。

9月16日(土)
語用論学会の会議で朝から大阪・本町へ。昼過ぎ、少し空き時間があったので、心斎橋筋をぶらぶらする。午後3時からまた会議に戻り、6時過ぎまで。

9月17日(日)
丹波にある両親の住まいを訪ねる。台風前だったが穏やかな天気だった。雨が降り始めた午後、帰宅。

明日からは、集中講義で東京へ。

こんな生活してるから、原稿はぜんぜんかけません。トホホ。

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2006年9月14日 (木)

回文写真

Kaibun 2003年夏に作った、「回文写真」を掲載しておきます。

砂に描いた烏賊に茄子

という回文です。写真では分かりにくいですが、手前の方の砂の上に、「イカ」と「ナス」の絵が描いてあります。遠くにいるカップルは、実は無関係です。

場所は

鳥取砂丘

で撮りました。

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2006年9月13日 (水)

法螺貝

備忘のためのメモです。まず、短いバージョン(回文素)。

貝殻、法螺貝か。

あと、「吹け、掛布!」という回文素を加えて、長いバージョン。

吹け、貝殻、法螺貝、掛布!

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2006年9月11日 (月)

ファン

昨日、福岡市内で、さる方から、

「ブログ見てます。居酒屋シリーズに感動しました!」

という生の声をいただきました。

んもう!それならそうと、早く言ってよ。むなしい思いをしなくてすんだのに……

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2006年9月10日 (日)

プロコフィエフ

今、たまたまテレビCMで、プロコフィエフを使ったものが2本流れています。

644 一つはvodafoneで、「予想外」をテーマにしたCM。会議編と砂場編がありましたね。とても印象的なメロディーですが、あれはバレー組曲「ロメオとジュリエット」の1曲です。

もう一つは、関西限定かと思いますが、関西電力のCM。「ピーターと狼」から、猫のテーマとピーターのテーマが編曲して使われています。

829 CMにクラシックが使われる場合、バロックか、古典派か、ロマン派までがせいぜいで、いわゆる近現代曲はあまり多くない印象があります。プロコフィエフはかなりめずらしいのではないでしょうか。

たまたまこの2曲は、東大オケやアマデウスでやっていた曲なので、とても印象が深いです。また「ピーターと狼」の方は、もっとも幼くして聞き始めた(そして何度も何度も聞いた)クラシック曲の一つでもあります。プロコフィエフは、ロシア人作曲家にしては、民族的な色合いも少しありながらモダンでクールで、好きな作曲家の一人です。0000000000192781

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2006年9月 9日 (土)

シネマガイド

西宮北口駅のそばにある、映画関連商品専門店

シネマガイド

の看板を見て思いついた回文。

土井が真似したシネマガイド

土井さんがどなたなんだか、まったく分かりません。

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2006年9月 6日 (水)

系統樹思考の世界

ここで紹介した、三中さんのご著書『系統樹思考の世界』の感想を、ここに書きましたので、ご覧下さい。

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2006年9月 5日 (火)

ココログに不満

ココログでいくつかのブログを始めましたが、なぜココログにしたかというと、単純に、ニフティにメールアカウントを持っていたからです。

背景のデザインは、季節感を表すものを選んできましたが、今回は note という名前の無季的なデザインにしてみました。今までで一番見やすくて、気に入りましたので、しばらくこれでいこうと思います。

しかし、自分で使ってみて、またほかの方のブログを見渡してみて、ココログに対して不満が募っています。デザイン重視というか、見た目にすっきりしているのはいいのですが、いろいろな機能が不足していて使いにくいです。

まず、一番困るのは、トップページをスクロールして読み進めていって、一番下まで行ったらそれ以上読めないことです。次のページへのリンクがないので、上まで戻らないといけません(実は、一番下まで行ったら、「固定リンク」をクリックすると、記事1件ずつ前にもどれます)。どうやったらそれ以前の記事が読めるのか、すぐには分からないデザインになっています。結局、月別のバックナンバーが一番便利、ということになります。そういうことは、画面を見ていてもすぐには分かりません。

カレンダー表示も、今月の表示がバカみたいに出てくるだけで、何の機能もありません。これは最低ですね。

結局、ブログに関してココログは、素人むけに止まります。私がしたいことに対して、一番便利そうなのは、Hatenaのようです。でも引っ越しが面倒なので、アクションを起こす予定はないのですが。プロバイダ選びは、案外難しくて大事ですね。

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惑星新定義・続報

ここで引用した、日本学術会議からのお知らせの続報です。

■太陽系の惑星の定義に関する情報提供

   8月25日付けニュースメールでお知らせした国際天文学連合
(International Astronomical Union)の決議(太陽系の惑星の定議)
を受けて、教科書等での当面の対応に関する参考情報を、日本学術会議
ホームページで提供していますのでご参照ください。
 
   http://www.scj.go.jp/ja/topics/wakusei/teigi.pdf

   【問い合わせ先】 日本学術会議事務局参事官室(審議第二担当)
                    Tel: 03-3403-1056 Fax: 03-3403-1640
                    e-mail: s253@scj.go.jp
  

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ウルフルズ

Jacket2 明日の「テレフォン・ショッキング」はウルフルズのトータス松本、ということで、回文を作りました。ウルフルズが倒産して、資金調達のためにコンサートを始めた、というシチュエーションです。

トータス、倒産(とーさん)コンサート、スタート。

振り仮名の部分にちょっと無理がありました。

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昆布うり

ここでご紹介した、研究室のバス旅行では、毎年、旅行委員の学生がしおりを作成し、教員がエッセーを寄稿するのが恒例になっています。この文章も、この文章も、以前の旅行のしおりに私が寄稿したものです。

下記に示すのは、本年度の『大阪大学大学院文学研究科・文学部 国文学・東洋文学講座 2006研究室旅行「舞鶴・小浜」しおり』に寄稿した文章です。

書くときに調べて始めて分かったことですが、狂言の中に「浄瑠璃ぶし」が取り入れられている、ということを知って少し意外に思いました。芸能史的には、狂言の後に浄瑠璃節が出てくるのですが、当然重なっている期間があるのでこういうことが起こっても不思議はないのですね。

昆布うり       (金水 敏)

 「昆布うり」という狂言をご存じですか。よく上演される「二人大名」の類曲で、筋もよく似ていますが、「二人大名」ほどは上演されないようです。私は以前NHKのFMで放送していたものを録音して持っています。大蔵流では大名狂言、和泉流では雑狂言に属します。『能・狂言事典』(西野春雄・羽田昶編、平凡社、一九八七)によって粗筋をご紹介しましょう。

 武士の何某は外出をするのに今日に限って供がいないので、適当なものがいたら供をさせようと往来で待つ。通りかかった若狭の小浜の召し(献上)の昆布を売り歩く男に声をかけ、いやがるのを無理に太刀持ちにさせる。怒った昆布売は何某を油断させてから太刀を抜いておどし、腰の小刀を取り上げ、「昆布召せ昆布召せ」と昆布を売らせる。昆布の売り声を平家節、小歌節、踊り節l (台本によって違いがある)といろいろに変えてなぶり、太刀と小刀を持ち逃げする。

 同事典には、「太刀という凶器によって、昆布の行商人と武士の立場が逆転するおかしさ。下克上気分とともに、踊り節に浮かれる大らかさもある」とあります。最初いやがっていた武士が、いろいろ歌わせられると、結構興が乗ってきてうれしそうに歌うようになるところがとても楽しいのです。寛政四年(一七九二)写「大蔵虎寛本」(笹野堅校訂『大蔵虎寛本 能狂言 上』岩波文庫、一九四二)によって、それぞれの歌を引用します(表記は現代風に変える)。まず、普通の売り声。

昆布召され候え。昆布召され候え。若狭の小浜の召しの昆布。皆そこもとへ、ずらりっと昆布は召し上げられますまいか。

 次に、平家節。

昆布召され候え。若狭の小浜のめしのこぶめせ。

 次に、小歌節。

昆布召せ、昆布召せ、お昆布、若狭の小浜のめしの昆布。

 最後に、踊り節。これは、「いかにも浮きに浮いてな」と注文が付きます。

は、昆布めせ昆布召せ、お昆布召せ。若狭の小浜の召しの昆布。召しの昆布。このしゃっきやしゃっきや、しゃっきやしゃっきやしゃっきや。

 なお、正保二年(一六四五)写の「大蔵虎明本」では、小歌節、浄瑠璃節、平家節、踊り節となっていて、浄瑠璃節には「つれてんつれてん、てんてんてん」という口三味線が加わります。この浄瑠璃節は、『狂言三百番集』(和泉流)には受け継がれていますが、大蔵流である虎寛本ではなくなっているわけです。

 さて、「若狭の小浜の召しの昆布」とは何でしょうか。池田廣司・北原保雄『大蔵虎明本 狂言集の研究 本文編上』(表現社、一九七二)の頭注に引かれた『雍州府志』には「若狭召昆布為宜、是謂召上。其味美而堪高貴之所食、故謂召昆布」とあり、また『本朝食鑑』(元禄八年刊)によれば、東北・北海道産の昆布を、海上交通を通じて敦賀経由で小浜に運んだもので、さらに京都で製品にしたものを京昆布と言ったとのことです。なおウェブサイト「若狭路名産・特産品ガイド」によると、現在でも敦賀では手すきおぼろ昆布が特産品となっていて、全国生産量の約八〇%を占めるとのことです。

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2006年9月 3日 (日)

77 Sunset Strip

77ss1 最近、ふと、子供の頃見た洋物テレビドラマのテーマ音楽がよみがえってきて、頭から離れない状態になっていました。先日、搭乗したANAで手にとった機内誌『翼の王国』(2006年8月号)に、その番組について偶然書かれているのを見つけました。

片岡義男が書いている"gallery 33rpm ハードボイルド音楽との再会"という短いコラムで、サブタイトルは

1959年発売の『77サンセット・ストリップ』ジャケット写真はクーキー青年だ

となっています(p. 13)。冒頭部分を引用します。

『77サンセット・ストリップ』は1958年にABC系で放映された連続TVドラマだ。日本で1960年にTBSで放映されたときには、『サンセット77』というタイトルになった。ストリップ、という一語は省略された。誤解を招くよ、というような意見を誰もが認めたからではないか、などといま頃になって、ふと思ったりしている。

私はこのドラマを、5, 6歳のころ見ていた訳で(再放送だった可能性もありますが)、その導入部に流れるテーマ音楽が強烈に印象に残っているのです。ドラマは、とてもお洒落な探偵もので、しょっちゅう櫛で髪を整えている「クーキー」という青年が出ていたことも覚えていますが、ドラマのストーリーはさっぱり覚えていません。でも、そのタイトルバックに流れる音楽を子供のころ、しょっちゅう口ずさんでいて、いまでも時々よみがえってくるのです。ここのサイトで、今、そのイントロ部分を聞くことができます。

子供の頃は、たしか、

セブリセブン、サンセット

と歌っていたのですが、この「ト」のところに何かもう1語あるんじゃないか、とあとで気が付き、「ストリート」かな、と思ったりもしましたが、"77 Sunset Strip"であるということは、ごく最近、知りました。なかなか気付かなかったのは、やっぱり、「ストリップ」の部分が日本では省略されていたからですね。

stripという単語は、もちろん裸踊りの意味もあるし、細長い切れ、という意味もありますが、アルクの英辞郎には

商業地◆大都市の中で商業的に発展した場所

という意味も見えます。GoogleマップでSunset Stripを検索すると、アメリカに何カ所か実在するようです(ドラマの中の住所は架空のもの)。

ところで、2003年に北京に行ったとき、Friday'sというレストランで見たカクテルのメニューのことを、ここに書きました。カクテルの元の名が77 Sunset Stripで、中国名が

夕照裸影

というのです。ここのメニューでお確かめ下さい。思いっきり「裸」って書いてますね。これはstripの誤訳でしょう。

まあ、確かに「夕照裸影」だと、名前に引かれて飲みたくなる人がいるかもしれません。

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2006年9月 2日 (土)

研究室バス旅行

毎年の恒例により、Dsc03258 8月30日、31日と、研究室(日本文学・国語学・比較文学)の教員・学生総勢32名で、舞鶴・小浜方面にバス旅行に行きました。田辺城、金剛院、小浜市、気比神社等を回って帰ってきました。二日目の午前中一杯、小浜市立図書館所蔵の「酒井家文庫」を拝見することができて、大変充実していました。写真アルバムはこちらです。

小浜城址からの眺め。動画。
「MOV03277.MPG」をダウンロード

花火大会の動画
「MOV03294.MPG」をダウンロード

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UDON回文・改作

H先生流回文によれば、回文は一定の長さを持っていなければ、評価に値しないということです。

驥尾に付しまして、ここで作った回文に少し手を加えて長くしました。

わたし、うどん、感動したわ。

ちょっと元気のいいバージョンも。

あたし、うどん、感動したあ!

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東京アマデウス管弦楽団

Img_0483_small 私が以前所属していたオーケストラの、演奏会のお知らせが届きました。ラフマニノフの交響曲というのは、演奏会の演目としては珍しいのではないでしょうか。

各位、/関田です。

またまた、宣伝で恐縮ですが、ご都合が宜しければ是非お運びのホドをお願い申し上げます。
ご連絡頂ければ、チケットをご用意させていただきます。
草々

東京アマデウス管弦楽団第66回演奏会
2006年10月1日(日)14:00開演
ティアラ江東 大ホール 入場料:2,000円
(都営新宿線、半蔵門線、住吉駅徒歩5-6分)

指揮とピアノ:内藤佳有
(指揮者はそう、52チェロの内藤。小生の高校の後輩でもある。高校の頃からピアノの名手。
 大学では物理を学び、IBMに就職するも、音楽家への夢を断ち切れず、桐朋の指揮科に再入学。
 最近では、アマオケの指揮者、トレーナ、プロオケの指揮などで 引っ張りだこのようです)

出し物。
モーツァルト ピアノ協奏曲第22番 変ホ長調 KV482
ラフマニノフ 交響曲第2番 ホ短調 Op27

http://homepage2.nifty.com/amadeus-tokyo/

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