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2006年9月 5日 (火)

昆布うり

ここでご紹介した、研究室のバス旅行では、毎年、旅行委員の学生がしおりを作成し、教員がエッセーを寄稿するのが恒例になっています。この文章も、この文章も、以前の旅行のしおりに私が寄稿したものです。

下記に示すのは、本年度の『大阪大学大学院文学研究科・文学部 国文学・東洋文学講座 2006研究室旅行「舞鶴・小浜」しおり』に寄稿した文章です。

書くときに調べて始めて分かったことですが、狂言の中に「浄瑠璃ぶし」が取り入れられている、ということを知って少し意外に思いました。芸能史的には、狂言の後に浄瑠璃節が出てくるのですが、当然重なっている期間があるのでこういうことが起こっても不思議はないのですね。

昆布うり       (金水 敏)

 「昆布うり」という狂言をご存じですか。よく上演される「二人大名」の類曲で、筋もよく似ていますが、「二人大名」ほどは上演されないようです。私は以前NHKのFMで放送していたものを録音して持っています。大蔵流では大名狂言、和泉流では雑狂言に属します。『能・狂言事典』(西野春雄・羽田昶編、平凡社、一九八七)によって粗筋をご紹介しましょう。

 武士の何某は外出をするのに今日に限って供がいないので、適当なものがいたら供をさせようと往来で待つ。通りかかった若狭の小浜の召し(献上)の昆布を売り歩く男に声をかけ、いやがるのを無理に太刀持ちにさせる。怒った昆布売は何某を油断させてから太刀を抜いておどし、腰の小刀を取り上げ、「昆布召せ昆布召せ」と昆布を売らせる。昆布の売り声を平家節、小歌節、踊り節l (台本によって違いがある)といろいろに変えてなぶり、太刀と小刀を持ち逃げする。

 同事典には、「太刀という凶器によって、昆布の行商人と武士の立場が逆転するおかしさ。下克上気分とともに、踊り節に浮かれる大らかさもある」とあります。最初いやがっていた武士が、いろいろ歌わせられると、結構興が乗ってきてうれしそうに歌うようになるところがとても楽しいのです。寛政四年(一七九二)写「大蔵虎寛本」(笹野堅校訂『大蔵虎寛本 能狂言 上』岩波文庫、一九四二)によって、それぞれの歌を引用します(表記は現代風に変える)。まず、普通の売り声。

昆布召され候え。昆布召され候え。若狭の小浜の召しの昆布。皆そこもとへ、ずらりっと昆布は召し上げられますまいか。

 次に、平家節。

昆布召され候え。若狭の小浜のめしのこぶめせ。

 次に、小歌節。

昆布召せ、昆布召せ、お昆布、若狭の小浜のめしの昆布。

 最後に、踊り節。これは、「いかにも浮きに浮いてな」と注文が付きます。

は、昆布めせ昆布召せ、お昆布召せ。若狭の小浜の召しの昆布。召しの昆布。このしゃっきやしゃっきや、しゃっきやしゃっきやしゃっきや。

 なお、正保二年(一六四五)写の「大蔵虎明本」では、小歌節、浄瑠璃節、平家節、踊り節となっていて、浄瑠璃節には「つれてんつれてん、てんてんてん」という口三味線が加わります。この浄瑠璃節は、『狂言三百番集』(和泉流)には受け継がれていますが、大蔵流である虎寛本ではなくなっているわけです。

 さて、「若狭の小浜の召しの昆布」とは何でしょうか。池田廣司・北原保雄『大蔵虎明本 狂言集の研究 本文編上』(表現社、一九七二)の頭注に引かれた『雍州府志』には「若狭召昆布為宜、是謂召上。其味美而堪高貴之所食、故謂召昆布」とあり、また『本朝食鑑』(元禄八年刊)によれば、東北・北海道産の昆布を、海上交通を通じて敦賀経由で小浜に運んだもので、さらに京都で製品にしたものを京昆布と言ったとのことです。なおウェブサイト「若狭路名産・特産品ガイド」によると、現在でも敦賀では手すきおぼろ昆布が特産品となっていて、全国生産量の約八〇%を占めるとのことです。

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