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2006年11月 5日 (日)

音訓の話のつづき

ここに書いた話の続編を、ここに書きました。

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コメント

前から気になっていたのですが、「連濁」には”地域差”のようなものがあるのでしょうか。

例えば、「浜崎」という名前は「はまざき」になったり、「はまさき」になったりしますが、九州などに「濁らない」地域が多いのではないでしょうか?

漫画「釣りバカ日誌」の主人公「浜ちゃん」は宮崎出身(という設定)で、濁らずに「はまさき」と読むようです。濁って「はまざき」と呼ばれるといちいち”訂正”します。


私の”仮説”では、かつて日本語では「連濁」の現象はなかったものが、大陸や朝鮮半島から流入した人間・言葉の影響で、「連濁」を起こすようになったのではないかと思います。

韓国・朝鮮語には、「語頭では濁らず、語中では濁る(ように聞こえる)」という現象が存在します。
一方、「連濁」しない現象が、九州南部などに残っているのは、「縄文人」の分布と符合するのではないでしょうか?

是非、ご教授お願いします。

ところで、mixiへの紹介(招待)主はM中さんでしょうか?

投稿: Lionbass | 2006年11月 6日 (月) 11時48分

Lionbassさん、コメントありがとうございます。

「連濁」の地域差は存在します。
http://skinsui.cocolog-nifty.com/skinsuis_blog/2006/11/post_baa8.html
ここのコメントにも書いたことですが、関西は連濁が多く、関東は少ないという傾向があります。母音が相対的に長めに発音され、子音の響きの弱い方言は、連濁が増えるように思われます。

さて、Lionbassさんの“仮説”ですが、「連濁」の音声的な性質が、古代日本語と現代語では違ってきている、という事実を押さえておく必要があるように思われます。古代日本語で「濁音」と認識されていた音は、必ずその前にn, m, ngなどの鼻音(鼻に抜ける音)が存在していたことが知られています。というより、鼻音が先立つか先立たないかが、濁音と清音を分けるポイントとなっていたようです。つまり、「窓」という語を古代日本人が発音すると、現代人には mando「マンド」のように聞こえるであろう、ということになります。逆に言えば、鼻音が介在しないmadoという発音であれば、古代人には、むしろ「まと」と同じ、清音として聞こえたことでしょう。このような現象は、実は今でも東北方言の一部に残っています。

一方、現代語(の共通語)の連濁は、鼻音はまったく関係なくなっていて、「か」行と「が」行、「さ」行と「ざ」行、「た」行、「だ」行などでは子音の有声・無声の対立として捉えられますが、しかし「は」行と「ば」バ行の対立は有声・無声の対立では捉えられず(これはハ行の音価が歴史的に変化したため)、このために全体として音声的・音韻的には統一的に説明できない複雑な現象になってしまっています。

なお、ご指摘の韓国語における「同じ子音が(現代日本人には)清音に聞こえたり濁音に聞こえたりする」現象は、いわゆる「平音」の子音が、直前におこる音によって有声化したり無声化したりする、完全に音声的な現象で、古代語の連濁とも、現代語の連濁ともかなり違った現象です。しかし、「(濁音と清音ではなく)有声子音と無声子音を同一視する」という意味では、古代日本語は現代韓国語に近い特徴を持っていた、ということはできると思います。

以上、かなり込み入った説明になってしまいました。狭いスペースで分かりやすく説明するのはなかなか骨がおれます。教材など使って90分授業1コマぐらい使えば、お分かりいただけるのではないかと思いますが……
力不足で申し訳ありません。

「ハマサキ」のような「連濁しにくい(?)」方言が縄文人の分布と重なる、というご指摘はなかなか楽しい“仮説”ですが、言語学的なレベルで実証するには、そうとう先が長いようです……

投稿: SKinsui | 2006年11月 6日 (月) 18時08分

mixiへの紹介者ですが、M中さんではありません。M中さんはまだ見つけていません。

投稿: SKinsui | 2006年11月 6日 (月) 18時09分

SKinsuiさま
丁寧にありがとうございます。

私は中国語と韓国語を勉強したことがあるのですが、この「濁音・清音」の問題は、日本人にとってはかなり難しい問題です。

先の話に戻れば、元もとの日本語では「連濁」という現象はなかったものが、当時の「先進国」である朝鮮半島の人々が入ってきて、そうした発音が定着したか、そのような「連濁」する発音が「進んだもの」と認識され、真似されるようになり定着した、などということはないのだろうか、と愚考した次第です。

素人のくだらない考えで失礼いたしました。

投稿: Lionbass | 2006年11月 6日 (月) 18時40分

いえいえ、「くだらない」ことなんて決してありません。

朝鮮半島のことばと日本列島のことばは、現在ぼんやりと考えられているよりずっと濃密な関係にあったはずで、そこで何が起こっていたかということに関しては、いろいろな可能性を洗い出していく必要があるのだろうと思います。何よりも、想像の羽を羽ばたかせることが重要で、それはかならずしも、だれにでもできることではないと思います。だから、素人、玄人関係なく、アイディアはどんどん口に出していくことが大事です。

ただし、そのアイディアがどこまで生き延びられるかという点に関しては、厳しいプロの吟味が必要なのだろうと思います(そのプロにしても、時代が移ると前提がごろっと変わったりしますので、あてにならない面もありますが……)。

投稿: SKinsui | 2006年11月 6日 (月) 19時19分

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» 連濁について(1) [音楽・読書・ときどき旅行日記]
大学オケの先輩で、国語学者であるSKinsuiさんが、ご自分のブログに「音と訓」「音訓の話のつづき」という話を書いていらっしゃいます。 http://skinsui.cocolog-nifty.com/skinsuis_blog/2006/11/post_baa8.html http://skinsui.cocolog-nifty.com/skinsuis_blog/2006/11/post_92ea.html 「音訓の話のつづき」にコメントして書き込んだのですが、最近、日本語の「連濁」という... [続きを読む]

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