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2006年12月

2006年12月31日 (日)

オケは金がかかる(2)

ここに書いた、オーケストラ活動の経済的な側面を、今度は団の立場から整理してみましょう。

下に書くことは、恐らく、ブラバンや軽音バンドなど、グループで音楽活動をする団体なら、ある程度共通の事項があるでしょう。また、アマチュア・オケでもプロ・オケでも、基本的な事項は同じです。

まず、支出面から。

場所代
まず、練習場です。オーケストラの場合は、広いホールが必須ですので、まずこれの恒常的な確保が必要条件となります。大学オケの場合は、大学内の設備で無料でまかないますが、社会人オケやプロ・オケではこの点が大変です。社会人オケをやっていた時、安くて便利な練習場を求めて、転々とさまよった経験があります。教会を借りて練習していたら、神父さんに「騒がしい」としかられたこともあります。全体練習のホール以外にも、パート練習の小さな部屋も随時必要です。この点もやはり、学校は便利です。プロ・オケの場合、公共機関や企業などに、無償または格安で練習場を提供してもらっているケースが多いのではないでしょうか。
それから、本番のためのホール代ですね。いいホールだと、午後から夜まで借りて、100万円以上取られることもあるのではないでしょうか。2,3十万円は当たり前でしょうね。
場所代として他には、楽器(コントラバス、ティンパニ・打楽器)、楽譜、譜面台等の備品の保管場所が必要です。常時練習に使うホールと一体となっていれば便利なのですが、学校以外でそういった恵まれた環境はそうないでしょう。

人件費・謝金
プロの場合は、団員の給与がいりますが、これだけ考えても大変なものですね。一人あたりの平均月給20万円として、団員100人で、一月2,000万円ですもんね。
アマの場合はもちろん給料は出ませんが、客演指揮者、全体トレーナー、パート・トレーナーを雇う費用が要ります。それから、本番に際して、サポートメンバーを雇う場合も多いです。

譜面・備品・借料
パート譜をしっかり買いそろえると、数も多いのでかなり高いです。学生オケの場合は、もっぱらコピーということになるでしょう。特に現代曲の場合はコピーに対する罰則がきついので、譜面一式、高いお金を払って買ったり借りたりすることになります。
コントラバス、ティンパニ・打楽器等は個人で買えないので、団で持つことになります(プロならコントラバスも個人持ちでしょうが)。あと、ピアノやハープ、ピッコロ、コールアングレ、コントラバスーンなどの特殊楽器も、必要に応じて借りたり(時に買ったり)することになるでしょう。買った楽器は、維持費もかかります。

交通費・運送費
団員の移動費は、アマの場合自腹が基本ですが、プロなら計上しないと行けませんね。地方や海外に旅行すると、人数も多いので膨大な費用になります。大型楽器・打楽器はトラック輸送になります(バンドの場合は、PAを運ぶ運賃が必要なのでしょうね)。

印刷費
本番に際して、プログラム、ポスター、チラシを印刷します。

宣伝・広告費
アマチュアは、お金を出してメディアに広告を打つことはめったにないと思いますが、プロはやはりこれが必要ですね。まあ、オーケストラが打つ、というより、興業屋の仕事になると思いますが。

以上が、支出面のあらましですが、収入面となると、チケット収入くらいしかない(あとは、プログラムに掲載する広告費)。アマ・オケの場合、チケット一枚、2000円として、1000人入るホールで完売して2,000,000円。これでぎりぎりトントンかなあ。公演の費用としては、結構苦しいと思います。しかも結局、チケット収入は団員のチケット・ノルマによってまかなわれるわけで、半分以上は団員が自腹を切るのです。その上で、日常活動のために、アマ・オケの場合は団員が団費を出し合って維持していくことになります。

外国のオケの公演の場合、高いチケットは数万円もざらですが、物価の高い日本では仕方がない、という気がしますね。利益も出さないといけないわけですから。

(あと、オーケストラごと雇われて営業、ということもたまにはあります。私も社会人オケ時代、アマチュアオペラ団に雇われて「椿姫」の演奏に加わったことがあります。)

こうして見ると、やっぱりオーケストラの運営というのは大変で、金持ちが集まってアマ・オケをするのはまだいいとして、プロ・オケを維持していくのは並大抵のことではない、と改めて思います。自治体、企業などの後押しがなければ、とても続かないと思います。大阪では、いくつかあるプロ・オケを統合する、という話が出ていますが、なんとかいい解決策を探り当てて欲しいです。兵庫県も、芸術文化センター付きのオーケストラを持っていますが、いつまで維持できるのか、心配です。

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結露

もう一つショッキングだったのは、住まいのことです。

奥さんが家の掃除をしていて、

「書斎が大変なことになってる!」

と叫びました。書斎というのは、3LDKマンションの中で、もともと私の仕事部屋として1室もらっている8畳ほどの洋間ですが、いつしか本と資料でいっぱいになり、書庫となりはてて、奥の方へはなかなか入れない状態になって、数ヶ月が経過していました。

奥には、東に面した窓があり、サッシがはまっています。冬になってから、この窓が毎朝結露し、水滴が壁をつたって床まで達し、クロスもはがれ、角の方はカビで真っ黒になっていたことに、気が付かなかったのです*。

あわてて、部屋の荷物を居間に運び出して調べてみると、壁近くにしまっていた本は、しっとり湿って、中にはゆがんだり反ったりしているものもありました。ああ、かわいそうな本たち!ごめんなさい、ごめんなさい!

その後、3時間かけて必死で復旧作業にかかりました。換気して、窓サッシの水気と埃を拭き取り、壁を防カビ作用のある濡れシートでごしごしこすり、床は掃除機をかけ、クロスのはがれは接着剤で止め、壁際に除湿剤を置き、その上脱衣所に置いていた電気除湿器も設置し、壁から十分空間をあけて書棚を据え直し、本を戻しました。

やっぱり部屋は、長いこと人が入らないと空気が淀んで痛んでくるのですね。しばらくは、せっせと立ち入って、換気やから拭きに努めようと思います。

*たまたま「ナウ○カ」の入力をしていたので、「腐海に飲まれる」という表現が頭をよぎりました。

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????????

今週、ショッキングな事件が2つありました。そのうちの一つ。

昨日、朝から夜中まで一日かけて、あるテキストデータの入力・整形作業を行っておりました。もう少し詳しく言うと、某アニメ映画のシナリオです。アニメをコミックス化した本があるので、それを底本とし、学生さんと手分けして入力しました。そのファイル(主にワードファイル)を、合体して一つのエクセルファイルにするという作業を朝からやっていたのです(残念ながら、著作権の関係で公開できません)。

作業もほぼ完成に近づいた夜11時ごろ(テレビで「有頂天ホテル」を流していました)、入力文字の半角と全角を統一しようと思い、エクセルの置換機能を使って、半角の「?」から全角の「?」へ全置換、という作業を行ったわけです。

ボタンを押した次の瞬間、何が起こったかというと、画面の文字がすべて

?????????????????

の羅列に変わってしまったのです。一瞬、何が起こったかよく分かりませんでしたが、しばらくして、理解しました。半角の?は、つまりワイルドカードとして、「任意の1文字」として解釈されるのです。私が行った作業は、

すべての任意の文字を全角「?」に置き換えよ

という意味を持っていたわけです。次の瞬間、パニックに陥り、「アンドゥ」ボタンを探したのですが、見つかりません。そして次に深い絶望感に襲われました。

「あーっ、やってもーたー」

と思わず口にして、テーブルに突っ伏しました。しばらくものも言えない時間が、まあ、5分くらい続きました。貴重な一日をかけてやってきた作業が、「?」の羅列になってしまった訳ですもんね。

そのあと、なんとか気力を奮い起こし、もう一度「編集」ボタンを押すと、なんと

変換を元に戻す

というメニューが出てきました!さっきは、目に入らなかったんですけどねえ。祈るような気持ちでクリックすると、元のテキストが一瞬で戻ってきました!

「あ~あ、よかった~」

この間の私の醜態を見ていた嫁と娘は、笑い転げて、「写真に撮っておけばよかった」などと、罰当たりなことを言っております。

もし復活できなかったら、多分、お正月中、暗い気持ちで過ごしたことでしょう……

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2006年12月29日 (金)

『明治の音』

4121017919 内藤高(著)『明治の音―西洋人が聴いた近代日本―』中公新書1791, 2005, ISBN4121017919

同僚の先生のご著書ですが、イザベラ・バード、エドワード・モース、ピエール・ロチ、ラフカディオ・ハーン、ポール・クローデルらの、日本滞在記やエッセーから、音の印象に関する記述を抜き出して論じた比較文化論です。特にイザベラ・バードが印象的でした。この人は朝鮮半島も旅行していて、その旅行記のことを、内藤先生から先日の韓日国際学術フォーラムで伺うことができ、興味深かったです。

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オケは金がかかる

Shuugou_f2

ここで少し書いたのですが、サークルや趣味でオケをやるというのは、結構金がかかるのです。

楽器の購入とメンテナンス
打楽器とコントラバス以外は、まず楽器を手に入れないといけない。フルート、クラリネット、金管楽器、ヴァイオリンはまだ安い方で(もちろん上はキリがない)、オーボエなんて最低限でも60~70万かかる。
フルートは余りメンテナンスの必要のない方ですが、時々はタンポを替えたり、オーバーホールしたり、ウン万円係ります。オーボエ、ファゴットは絶えずリードを買って自分で削る必要がある。弦楽器は弦と弓のメンテナンスね。

レッスン代
私の入っていた学生オケは、ほとんど全員、個人レッスンについていました。これで月にウン千円からウン万円まで。

合宿代
普段の練習に加えて、時々は合宿に出る。まあ、楽しみ半分だけど、オケの結束も高まるし、技術やアンサンブルも向上します。オケの合宿は、受け入れ可能な場所がけっこう限られます。大人数だし、ホールが必要だからね。あと、大型楽器の運搬費がばかにならない。

楽譜代
オケのパート譜はもらえるからいいけど、レッスン用の譜面とか、個人でやるソロ譜や室内楽の譜面、またオケで演奏する曲目のミニスコアなど、のめり込むほどに、楽譜を買い込むことになります。楽譜って輸入ものが多いし、結構高い。
オケのパート譜は、昔は手書き、今はゼロックスですが、もちろんコピーは著作権法違反です(古典曲でも、校訂が著作権の対象となる)。オケ全体で購入するとして、その代金は当然団費として徴収される。

演奏会の費用
有料コンサートならチケット収入があるわけですが、楽団員に厳しいチケットのノルマが課せられて、売りさばけなければ、自腹になる。場所にも依るけど、ホール代が高いから、結構な額になります。演奏旅行なんてやろうもんなら、足代や楽器の運送費も膨大な額になり、それを全部楽団員の営業でまかなわないといけない(私の入っていた学生オケでは、今でも毎年、夏休みに、地方に演奏旅行に出ています)。
あと、演奏会をやるためには、いわゆるアシ(アシスタントの略)を雇わないとできないことがある。つまり補助団員です。弦・管楽器を補強することもあるけど、どうしても必要なのはハープ奏者ね。ハープは楽器ごと来てもらわないといけないから、やっぱり高いです。

こうやって考えてみると、貧乏学生の身には、オケをやっていくのは金銭的に(時間的にも)結構つらいものがある。ブラスバンドも似たようなものだとは思いますが。

その点、くうざんさんのコメントにもあるように、合唱団って、安上がりですね。身一つあればいいんだから。あとはホールとピアノの借り賃くらいか。

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回文備忘

酒場放浪記」を見ながら思いつきました。

練馬のイカと貝のマリネ

え? 「練馬に海なんかないぞ」って?

おっしゃるとおりです。大根はあるけどね。

まあ、練馬の居酒屋のメニュー、ってことで。

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2006年12月28日 (木)

久々に回文(の素)

短いので、「回文素」程度のものです。

寸暇、バカンス。

「寸暇を利用して、バカンスに出かける」というほどの意味です。

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またまた日記まとめ書き

12月19日(火)
3限の演習のあと、学部生、研究生、大学院生の研究相談が3人続いた。結構ハード。

12月20日(水)
午前中、本部で会議。午後、3限に講義。かなり猛スピードで飛ばしていく。だいぶ、学生さんを振り落としたかも。4限、共通教育の講義は、ホトトギス同人の方に特別講師になっていただいて、俳句入門。新鮮でおもしろかった。5限は、1年生のゼミで、「ナウシカ」のキャラクターについて語り合う。これで、今年の本務校の授業は終わり。

12月21日(木)
学内の研究会で、演劇学のN先生のご発表を聞く。スタニスラフスキの、演出台本の分析について。詳しく知らないので、むずかしかった。そのあと、千里中央の中華料理店で研究会+学科の忘年会。調子に乗って飲み過ぎ。

12月22日(金)
非常勤先で今年最後の授業。お疲れ様。夕方、某氏と研究打ち合わせ? というより、もっぱら飲み食い。おいしかったけど、なぜか酔わなかった。昨日飲み過ぎたせいか。

12月23日(土)
せっせと年賀状書き。奥さんの分と併せて、今年は400枚を購入。ほぼ使い尽くす。主文は印刷しているが、表書きと1行コメントは手書き。学生さんには出してません。ごめんなさい。今年は割と早めに書き上げた。

Dsc03586 12月24日(日)
下の息子の受験で、クリスマスどころではないか、と思ったけど、一応それらしいことをすることになった。あらかじめ予約してあったケーキをにしのみや阪神に取りに行き、奥さんが唐揚げその他のパーティ料理を作り、私は、Y先生にいただいたシャンパンをあけて、3人で小さなクリパ(上の娘は、お友達と外でお食事)。
でも、クリスマスといいながら、結局一家そろって「M-1グランプリ」を興奮しながら見守っていたので、イエス・キリスト様のことは何一つ考えなかった。

12月25日(月)
午後、本部で会議。夜、梅田で遠くから来たお客さんと旧交を温める? というより、もっぱら飲み食い。酔っぱらいました。

12月26日(火)
東京に日帰り会議。夕方、会議の参加者の方々と、近くのファミレスでビール+軽食。東京は、ファミレスを出ると、向かい側の東京都青山斎場で大きな葬儀が。誰かと思えば、「故 青島幸男氏 葬儀会場」との看板。今日の東京は、一日中本降りの雨。天も涙するか。合掌。

12月27日(水)
午前中、本部で会議。これで、今年の公務はおしまい。やれやれ。帰ってから、「のだめ」最終回のビデオ鑑賞。

12月28日(木)
公務はおしまい、と思ったら、W先生からメールで指令が。会議のためのプレゼンテーションの準備。結構時間がかかってしまった。午前中、N響の第9をBSで鑑賞。なかなかよかった。

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「のだめ」にポロリ

2137682 ビデオにとっておいた、「のだめカンタービレ」の最終回を見て、おもわずぐっと涙がこみ上げてしまいました。50を過ぎて、涙もろくなった?

オーケストラに青春の1ページを捧げたものにとって、「のだめ」のいくつかのエピソードは、心をふるわせるものがあります。

ただ、無名の学生オーケストラが人気をはくしてサントリーホールでクリスマスコンサートなんて、おとぎ話ですけどね。そのおとぎ話を、漫画チックな演出で、うまく盛り上げていると思います。

本当のオーケストラ活動って、お金はかかるし、人が多い分だけ対立、反目、打算、陰謀、妥協、怠惰、傲慢、卑屈、侮蔑等々は渦巻くし、でも本番に向けての一体感と盛り上がりは、やっぱり一度味わうと、忘れられないんですよねぇ……

マンガも、読んでみようっと。

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2006年12月27日 (水)

コ・ルミナリエ

阪急・西宮北口駅のそばの、津門川(つとがわ)に施されている、電飾です。ルミナリエの向こうを張って、「コ・ルミナリエ」と称しています。

Dsc03579

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チヂミパーティの写真

ここに書いた、チヂミパーティの写真をアップしました。

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言いまつがい

クリスマスの日、我が家の同居人との会話です。

私「最近、クリスマスツリーってみんな青く光るね。」

妻「そうやね。何とか言う発明でしょ、青色発光ド?」

私「発光ドて、なんや。青色発光ダイオードやろ」

妻「そうそう、ダイオード。ダイオードのダイって、どんな字、書くの?」

私「……」(しばらく、言ってることの意味が分からない)

どうやら、奥さん、「ダイオード」は漢語だと思ってたみたいです。「大黄土」、みたいな。

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心に残るせりふ

NHK朝のテレビ小説「芋たこなんきん」で、藤山直美演じるヒロインの花岡町子が結婚式に臨むシーン。メークしてもらいながら、町子と、式場付きのベテランのメーク係のおばちゃんとの会話。

町子「この、目の下のくま、隠せますやろか」

メーク係「この道30年、大概のモンは隠してきました」

実に、味のあるせりふです。

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2006年12月24日 (日)

日記まとめ書き(承前)

12月11日(月)
京都府立大学での集中講義、初日。
講義は午後からだったので、なぜか気がゆるんでしまって、遅刻してしまった。それも30分も。待っていただいた学生さんたち、A先生、ごめんなさい。
パワーポイントを使いたいと申し上げたら、教室がホールのようなところになってしまった。パワーポイントで統一できたらよかったのだけど、板書と併用になったので、後の法の人は板書が見にくかったようだ。これもごめんなさい。
A先生のリクエストもあって、講義内容は古典語の統語論入門になったのだけど、学生さんたちのほとんどは、統語論はおろか言語学の基礎的訓練があまり受けていないとのkとおで、私もこの話題は手探り状態でもあり、なかなか空気がつかめるまで時間がかかりそうだった。

12月12日(火)
今日は、午前中、11時から開講した。改めて、府立大のある北山付近は環境がとてもよいことに感心した。自然がふんだんにあり、しかも適度に都会的で、過ごしやすい。落ち着いて勉強したい人にはこの上ない環境だと思う。
講義が終わってから、A先生と学生さんたちといっしょに、お食事+お酒をいただいた。気だてのよい優秀な学生さんたちで、楽しく過ごすことができた。

Dsc03567 12月13日(水)
集中講義は中休みで、午前中、大学で医学部の先生と打ち合わせ。午後はいろいろ雑用をこなし、伊丹空港に韓国のりを受け取りに行き、夕方から、共通教育棟の会議室を借りて、事務の方々+学生さんたちとパーティ。私が受賞したお祝いということで、同僚のC先生がご自慢のチヂミとサムゲタンを食べさせて下さった。30人ばかり集まっただろうか。花束をいただいたり、私が初めて論文を公表した年にできたワインをいただいたり、恐縮至極。皆さん、どうもありがとうございました。

12月14日(木)
集中講義の後半だったが、講義内容を決めかねていて、午前中、家を出る寸前までいろいろ迷っていた。やっと見通しを付けて、昼前に北山に到着、レストランで食事してから大学に行って、教材を作ってもらった。歓迎会の後ということもあって、学生さんたちの顔がだいぶ見られるようになってきた。
夜は、国文・中文の先生方による歓迎会。大学そばの小料理屋でふぐのセットをいただいた。とても美味。遙か昔、K大で一瞬同僚だったY先生と久々にお話できたこともあって、楽しいひとときを過ごした。Y先生の奥様は高名な観世流のシテ方の先生で、Y先生も能楽に造詣が深い。しばらく、能楽談義に花が咲いた。一番驚いたのは、国語学の院生で、清楚で蚊の鳴くように話すYさんという方が狂言を習っていると知ったことで、授業でも狂言の用例は、しっかりと狂言風に読んでくれるそうだ。

12月15日(金)
集中講義最終日。レポート課題を決めるのに午前中まで手間取った。内容的な統一や一貫性という点、細部の詰めなどでいろいろ問題を残した講義であったが、なんとか終わりまで持って行くことができた。学生さんたちの感想で目に付いたのが、「内容は難しいが雑談がおもしろい」というものだったが、これはやっぱりまずいだろう。内容でもっと惹きつけないとね。

12月16日(土)
午前中、母校の高校に出向いて、同窓会の総務委員会。先日、10月29日の総会の反省会。次年度の担当、つまり1年後輩の88期生の方々への引き継ぎの意味合いがある。会計報告を伺ったが、昨年度とほぼ同程度の参加者と収支に終わり、なんとか無事乗り越えられたようで、ほっとした。
Dsc03575 午後は、大学で科研費の会合。東京からH先生を講師に迎え、講演会も行った。勉強になった。この科研費も3年目で、今年度が最終になり、今日は打ち上げも兼ねている。夜は、モノレールで一駅隣の少路にあるイタリア料理店兼バーで懇親会を行った。これで、忙しかった今週も何とか乗り切った。

(この項、なお続く)

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やっぱり、チュートリアル

「フットボールアワー」のV2挑戦、無冠の王者「笑い飯」の初優勝、噂の最強素人「変ホ長調」と、話題に事欠かない今年のM-1グランプリにあって、「チュートリアル」断然有利の下馬評が公然とささやかれていた訳ですが、終わってみれば、まさしく「チュートリアル」の一人(まあ、二人ですけど)舞台、あとの8人はすべて引き立て役に過ぎなかった、ということが実証されてしまったわけです。

子どものためのクリスマス料理を肴に、Y先生にいただいたシャンパンをあけてM-1観戦をしていたわけですが、シャンパンの瞬発的な酩酊に助けられて、私も「チュートリアル」のツボに完全にはまってしまったわけです。

マンザイとは、所詮、ステレオタイプとの戯れに過ぎない、と高をくくっていたところが、「チュートリアル」が舞台に上がってものの30秒、いかなるステレオタイプにも属さない本物の「狂気」の存在感を、徳井くんの中に見いだしてしまった瞬間、世界の相貌が形を変えてしまったのですね。

冷蔵庫とか、自転車の「チリンチリン」とか、本当に「何でもないもの」に異様なのめり込みを見せる徳井君のまなざしは、完全に芸の域を超えています。「笑いを取る」という目的意識すら、超越してしまっている。こうなったらもう、並みの漫才師にはなすすべがないです。

相方の福田くんが「ひたすらいい人」であるだけに、余計に徳井くんの狂気は際だつわけですが、審査委員の大竹まこと氏が「時代がチュートリアルを選んだ」というようなことを言っていたけど、確かに、人間が時折はまりこんでしまう、細部へのこんな異様な執着が、4分間のお笑い芸として成立してしまうなんて、時代の空気のなせる技なのかもしれません。

いやあ、まいりました。

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ソウルの写真をアップ

ここに書いた、ソウル1泊旅行の写真をアップしました。

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2006年12月18日 (月)

キリ板近し

いつの間にか、アカウント、25,000が近づいて参りました。明日にも達しそうです。

みなさん、閲覧ありがとうございます!これからもよろしくお願いいたします。

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日記まとめ書き

12月7日(木)
 COE会議、勤務先の留学生パーティ。留学生パーティは、手作りの各国料理が出されるなどして、毎年なかなかにぎやかに執り行われていますが、私は途中で失礼して車で帰りました。

Dsc03527 12月8日(金)
 
朝は非常勤先の講義、午後は本務先に出勤して、吹田で会議。終了後、千里中央から梅田に出て、同窓会のクラス会。出席者6人ですが、北新地のしゃれた小料理屋で楽しく飲み、食べました。受賞記念ということで、出席者の皆さんが、素敵な花の寄せ植えをプレゼントしてくれました。どうもありがとう!

12月9日(土)
 ここに書いたように、早朝に家を出て関空からソウルに発ちました。空港に、今回コーディネーター役をしている比較文学のKさんの、妹さんが迎えに来て下さいました。ソウル市内は車が結構混んでいて、空港から外大まで、飛行機に乗っていたより長い時間がかかりました。
Dsc03536  今回は、勤務先の比較文学、日本学、国語学と韓国外大の日語日文学科の合同研究会で、私が外大に付くと、ちょうど比較文学のN先生が講演を始められたところでした。
 学生さんの研究発表、私も含めた日本組のパネルディスカッションがあり、夜は外大そばの「金剛山」というお店でプルコギをいただきました。この店は、2003年に初めてソウルに来たときにも入った場所で、懐かしかったです。
 韓国在住のOさんのリードで2次会に行き、大いに飲んだ後、明洞のホテルへ。新しいホテルで、ハイテクでしゃれたところでした。就寝は2時近かったです。

Dsc03541 12月10日(日)
日本組、韓国組合同で、観光ツアーへ。観光、といっても、安重根記念館や西大門刑務所歴史観など、結構ハードな所を見て回りました。詳しくは、別項で。
 昌徳宮横の、「龍水山」という韓定食屋さんで豪勢な食事をいただいてから、私は皆さんと別れてリムジンバスの乗り場に連れて行っていただき、帰途につきました。
 ここに書いたように、大阪のリムジンバスの中に、韓国のりのおみやげを忘れてきてしまった訳ですが、その話は後日。

(この項、続く)

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2006年12月11日 (月)

帰りました。

帰宅いたしました。

今日のソウルはとてもいい天気で、きりっとした寒さで気持ちよかったです。

ところで大失敗。関空から梅田行きのバスに乗りましたが、降りるときに、おみやげの岩のりを忘れてきてしまいました!明日電話するつもりですが、保管されているといいのだけど。

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2006年12月 9日 (土)

関空より

9時40分の Korean Air に乗るべく、今、関空の搭乗待合室にいます。

ここは無料の(セキュリティのない)無線LANが使えるのです。

修羅場、火事場の毎日をくぐり抜けつつ、ソウル1泊旅行へ出発します。

帰ったら集中講義が始まって、それはそれで火事場。

腰にはしっかりコルセットが……

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2006年12月 3日 (日)

ギックリ

今朝、座卓を移動させようとして腰を曲げた時、

ピキッ

と腰の辺りに軽い衝撃が走りました。いわゆる「ギックリ腰」というやつのようです。

今まで、「怪しい……」という状態はありましたが、決定的なやつは初めてです。

立ち歩けないほどではないので、コルセットなど巻いて、そーっと生活してました。一日で直ればいいんですけど。

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2006年12月 1日 (金)

釜飯

26日、「新村出賞」をいただきに、京都に行きました。

受賞者は20分ほどのスピーチをするのですが、一緒に受賞したYさん(K寺典籍文書綜合調査団のお仲間)の事に触れるところで、「同じ釜の飯を食った仲」と言いたかったのに、緊張のあまり、

同じ釜飯を……

と口走ってしまいました。あと、思わず声がつまったりして、まったく恥ずかしい限りです。腹掻き切って死にたい気持ちです。

でも、応援して下さったみなさま、喜んで下さった皆様、そして建設的なご意見を下さった方々、ありがとうございました。皆様のお気持ちを受け取って、一層よい仕事をしていきたいと思います。

(Yさんとツーショットで一枚)

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銀杏

25日、アメリカの友人のBさんが勤務先の大学を訪れてきました。

駅から電話をもらって、途中まで迎えにいったら、開口一番、

「きれいなキャンパスですね~」

と言われました。今まで、一度もそんなこと感じたことが無かった(逆はよくある)ので、意外に思いましたが、確かに紅葉があって空気が澄んでいて、(土曜日で)学生が少ないと、ちょっといい感じだったかもしれません。

あと、Bさんは長らくUCLAに勤めていらっしゃった方で、UCLAはともかく美しい大学なんです。そのことをいうと、

「やっぱり、落葉樹がいいです~」

ということでした。で、勤務校の銀杏です。

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銀杏は、勤務校のシンボルマークにもなっているんです。確かに、見応えがある。

こういう景色を見ると、反射的に、

金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に

という歌を思い出します。与謝野晶子の歌ですね。

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