wakamaru と船渡御
7月25日、奉拝船(御迎え船)「阪大船」による船渡御参加も、今年で5年目になります。これまでの記録は下記の通り。
ことしは、「御迎人形 wakamaru プロジェクト」の統括をやっていたので、これまでとは違う緊張感でこの日を迎えました。御迎人形というのは、元禄時代から御迎え船に載せていた人形で、伝説や浄瑠璃から題材を取って作られていました。今年の天神祭では現存する16体の御迎人形をすべて公開して、観光の目玉にしています。その計画を発案した高橋幸次先生が、阪大船にも御迎人形を載せてはどうかと提案され、それなら阪大らしくロボットを御迎人形にしよう、「鬼若丸」(弁慶の幼名)は現存するので、ロボットは牛若丸にしよう、という運びになりました。
私が石黒浩教授にお願いしたところ、wakamaru (三菱重工業製)にしてはどうかとおっしゃっていただき、三菱重工にも連絡してOKをもらいました。石黒研からは、プログラミングに小泉准教授、学生の築坂さん、嶋田さんが加わってくれることになりました。
また装束は、武田理事のご紹介で平安装束体験所の福呂一榮さんがご協力くださることになりました。福呂さんは平安装束普及のためと、ギャラなしでお手伝いくださいました。また装束作成には学生の香川さんと熊谷さんも参加しました。
7月20日、中之島センターで天神祭をテーマにした講演会があり、大阪大学総合学術博物館の橋爪節也先生と、高島先生がお話をされました。またそのとき、御迎人形のwakamaru もデビューしました。装束(水干)はとてもかわいく出来てきて、wakamaru によく似合っていました。wakamaru は「大阪締め」も披露しましたが、こちらはたどたどしい感じで、それがまた愛くるしくもありました。
高島先生が宣伝してくださったこともあり、wakamaru はマスコミの興味も惹きつけました。そのため、連日、取材対応に追われることにもなりました。五大紙+大阪日々新聞、テレビ大阪、NHKがこぞって御迎人形 wakamaru を取り上げました。
さて、25日、心配されたのは雨でした。連日、中国・九州地方では豪雨のため死者を含む多数の被害を出しています。朝から、かなりの勢いで雨が降っていました。ついに今年は雨にたたられるか、と半ば観念していました。NHKでは11時台の「ぐるっと関西」で wakamaru が登場、天満宮御伽衆の馬場尚子さんがご紹介してくださいました。
午後はまず神戸大学文学部に出向き、学会の会議に参加しました。その間も相変わらずの小雨模様です。4時に神戸大を出て、阪急・地下鉄と乗り継いで都島の飛翔橋へ。途中の電車の中でも讀賣の記者さんから問い合わせの連絡が入ってきます。
到着すると、すでに wakamaru はスタンバイ完了。雨対策でカッパを着ています。取材関係者も来ていました。出航前のセレモニーで私がプロジェクトの経緯を紹介し、wakamaru による大阪締めも披露されました。音声がうまく拾えず、wakamaru の声がよく聞こえなかったのが残念でしたが、かわいいと評判でした。
6時半過ぎ船は出航し、いつものように行き交う船と大阪締めを交換しながら天神橋の手前でUターンし、帰ってきました。wakamaru も手を振ったり大阪締めをしたりして、愛嬌を振りまきました。去年に比べて奉拝船の数が減ったため、すれ違う船の量もかなり少なく感じました。雨と満潮のため、帰りには源八橋で wakamaru の頭が橋桁にぶつかりそうになりひやっとしましたが、何とか体を倒して難を逃れました。
それにしても、出航前こそぱらぱら降っていた雨が、その後はほとんど降らずに持ったのは、奇跡とも思えます。宮司さんが神の存在を確信した気持ちも分かる気がします。
無事船着き場に戻り、wakamaru も片付け、さて帰ろうとすると、高島先生の一行にばったりと出会い、天満宮で宮入神事を見ないかと誘われました。阪大国文の卒業生で、大阪天満宮文化研究所のお手伝いをしている高嶋藍さんもいっしょでした。地下鉄で都島から南森町に出て、天満宮境内の研究所でまずビールを飲みながら一休みしました。別の御迎え船に乗っていた馬場尚子さんも合流しました。中学校の同級生ともばったり出会いました。肝心の宮入りは見逃してしまったのですが、「後の祭り」状態の境内の雰囲気を少し楽しむことができました。11時過ぎ、天満宮を後にして、JR東西線で西宮まで帰りました。
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