「浜辺の歌」と林大先生
今朝、出勤途中の車の中で、NHK FMの番組「にっぽんのうた 世界の歌」を聞いていました。ゲストに畑中良輔氏が出ていて、明治~大正の日本歌謡の黎明期についていろいろ話をしておられました。
畑中氏のことは初めて知りましたが、日本の声楽会の重鎮で、その発展の様を同時代的に見てこられた方のようです。
さて、番組の中で、林古渓作詞・成田為三作曲の「浜辺の歌」が流れました。よく知られている歌詞ですが、以下の通りです。
1.あした浜辺をさまよえば、
昔のことぞ忍ばるる。
風の音よ、雲のさまよ、
寄する波も貝の色も。2.ゆうべ浜辺をもとおれば、
昔の人ぞ、忍ばるる。
寄する波よ、返す波よ、
月の色も、星の影も。
さて、畑中氏は、「林古渓のオリジナルの詩では、1番の「風の音よ 雲のさまよ」は「風よ音よ 雲のさまよ」であった。それを教科書に採録する際、文部省が「風の音よ 雲のさまよ」に変えた。その方が対句として収まるからという理由であったかと思われるが、ずいぶん批判もあった」という旨の発言をされました。
そのこと自体、私は知らなかったのですが、その後、もっと意外な発言がありました。次のような趣旨のことです。
林古渓先生が、文部省の改変に対してどう思われていたか知りたくて、私は息子さんで国立国語研究所・所長の林大(はやし おおき)さんに手紙を出した。林大さんは、『父は、それもしょうがないと受け入れていた』という旨の返事をくださった。その手紙は今でも証拠として持っている。
林大先生は、私の大学の先輩で、在学中には何度もお会いし、ご本をいただいたこともあります。同業者の大先輩です。しかし不明にして、林大先生が林古渓の息子さんであることは今日の今日まで知りませんでした (wikipedia にはちゃんと書いてあった)。
よく知っているけれど、関係づけることのなかった二つの事柄が、実は深く結びついていたと知ったとき、不思議な感慨にとらわれることがある、というお話です。
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