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2015年1月

2015年1月 1日 (木)

みなさま、明けましておメェ〜でとうございます

今年もよろシープ (Sheep)……

前略

 久しぶりにこのブログを開けました。みなさまに新年のご挨拶を申し上げたいと思います。
 未年ということで、きっとみなさんはいろいろ意匠を凝らして、さまざまな羊を年賀状に描かれるのだろうと考えます。思いつく限り、羊ネタを列挙してみますね。
  • メリーさんの羊
  • 寝るときに数える「羊が1匹、羊が2匹、……」
  • 夏目漱石「三四郎」で美禰子がつぶやく「迷える子(ストレイシープ)」
  • 『のらくろ総攻撃』の「羊の国」の羊たち(満洲人を象徴)
  • 村上春樹「羊をめぐる冒険」その他の「羊男」
  • アードマン・アニメーションズ制作の「羊のショーン」
  • クローン羊の「ドリー」
  • フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(映画『ブレードランナー』の原作)
  みなさんが思いついた羊キャラはこの中にありましたか?
 
 名前を挙げたついでに、「三四郎」を引用しておきましょう(青空文庫より)。
「迷子の英訳を知っていらしって」
 三四郎は知るとも、知らぬとも言いえぬほどに、この問を予期していなかった。
「教えてあげましょうか」
「ええ」

迷える子

ストレイ・シープ

――わかって?」
 三四郎はこういう場合になると

挨拶

あいさつ

に困る男である。

咄嗟

とっさ

の機が過ぎて、頭が冷やかに働きだした時、過去を顧みて、ああ言えばよかった、こうすればよかったと後悔する。といって、この後悔を予期して、むりに応急の返事を、さもしぜんらしく得意に吐き散らすほどに軽薄ではなかった。だからただ黙っている。そうして黙っていることがいかにも

半間

はんま

であると自覚している。
 

迷える子

ストレイ・シープ

という言葉はわかったようでもある。またわからないようでもある。わかるわからないはこの言葉の意味よりも、むしろこの言葉を使った女の意味である。三四郎はいたずらに女の顔をながめて黙っていた。

 美禰子のテヨダワ言葉がいい感じですね。ではつぎに、ちょっと時期がはずれてしまいましたが、村上春樹『羊男のクリスマス』から最後の部分。
 その日の午後、羊男は町のはずれにある羊博士の家を訪ねてみたが、そこにはもう羊博士の家はなかった。ただ空地があるだけだった。羊のかたちをした植木も、門柱も、敷石も、みんな消えていた。
 「僕はもう二度とあの人たちには会えないんだな」と羊男は思った。「二人のねじけにも、208と209の双子にも、海ガラスの奥さんにも、なんでもなしにも、羊博士にも、聖羊上人にも」
 そう思うと羊男の目から涙がこぼれた。羊男はみんなのことをとても好きになっていたのだ。
 下宿に戻ると、羊の絵のクリスマス・カードが一枚郵便受けに入っていた。
 そこには「羊男世界がいつまでも平和で幸せでありますように」と書いてあった。
 この童話も、役割語が満載で面白いです。
 では、オリジナル画像として、2013年7月に札幌・羊ヶ丘で撮った羊を貼っておきますね。
Jpg
 それから、札幌の地下街で撮った、ゆるキャラ「ジンギスカンのジンくん」。頭の上にあるのはジンギスカン鍋です。ゆるキャラのくせに、設定がブラックですね。
Jpg_2
 では最後に、バッハ「狩のカンタータ」から、アリア「羊は安らかに草を食み」をお送りします。皆様、どうぞ安らかな2015年をお過ごしください。

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