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2016年7月

2016年7月24日 (日)

Dean's Night始めました

URAメールマガジン原稿 2016年7月号
                          金水 敏
              大阪大学大学院文学研究科・教授
Toward the Dean's Night
 2016年4月から2年間の任期で文学研究科長に就任しましたが、昨今の大学(特に人文系)を取り巻く環境の悪化の中で、執務と言えば基本、おもしろくないことばかりの連続と言えます。何かおもしろい、楽しいことがしたい、そういう心の叫びからDean’s Nightは発想されました。
 文学研究科長室は結構広くて、私の知る限り研究科の中で一番調度が高級できれいな部屋で、ここで酒盛りをすると結構いい感じになる、と常々思っていたので、まず夏休み前に研究科長室に来たい人を集めてDean’s Barをやってみよう、と考えたのですが、ただ酒を飲むだけでは大学らしさがない、せっかくならゲストに話をしてもらおうと思い、しかし魅力あるゲストを呼んだら研究科長室では狭すぎる、じゃあ会議室で、そうするとbarというのはしっくりこないから、Dean’s Nightにしよう! と考えが進んで、構想が固まった訳です。
 では、ゲストはどうするか? 真っ先にピンときたのが、理学研究科の橋本幸士さんでした。さる食事会でお知り合いになり、著書の『超ひも理論をパパに習ってみた』を拝読し、またfacebookを通じて魅力あるご活動を知るにつけ、第1回ゲストは橋本さんしかいない、と感じました。文学研究科ではふだん聞けない話を聞きたい、という思いもありましたし、橋本さんが最近やっていらっしゃる「多次元小説」の試みも文学研究科の人たちにアピールするのではないか、と思ったのです。さっそく橋本さんに伺ってみたところ、二つ返事でご了解を得ることができました。
 プログラムが固まったところで準備にかかりました。橋本さんはありがたいことにギャラ不要、とおっしゃって下さったので、トークは参加費無料、そのあとの飲食タイムに参加する人だけ1000円いただく、と決めて、チラシ、ブログ、ツイッター、facebookで広報し、googleフォームで応募を受け付けました。最終的に40名ほどの応募があり(文学研究科内外の大学院生、教員、職員、学外の知人の他、阪大出身のプロの作家の方や、上方舞のお師匠さんなど多彩な顔ぶれが集まりました)、飲み物・食べ物の準備も終えて、当日を迎えました。
Dean's Night Open!
 橋本さんは定番の「そりうし」Tシャツ(牛が反り返っているイラストが描いてあって、反り牛=素粒子のしゃれになっている)、短パン、サンダルというスタイルで文学研究科に現れました。これが理論物理学者の正装とのことです。橋本さんのご専門は、言うまでもなく理論物理学の最先端を行くご研究です。橋本さんによると、同じ事をやっている研究者は世界に1000人ほどいて、ジャイアントパンダとだいたい同じくらいだそうです。ガチでお話しされると文系人間には手も足も出ませんが、橋本さんは軽妙な語り口で、時折ユーモアを交えながら、というよりユーモア8割学問2割くらいのお話をされ、聴衆をたちまち魅了してしまいました。「多次元可視化プロジェクト」の一環としての多次元小節の話題をまずされて、そのヴァリエーションである「多次元俳句(多次元川柳)」を参加者にその場で作ってもらうという趣向も披露されました。後半では、理論物理学者の研究スタイル、素粒子の種類のこと、素粒子を「ひも」と考えることのメリット、光と重力についての新しい仮説など、最先端の研究動向を分かりやすく聞かせて下さいました。
 トークのあとは、私の方から感想を述べさせていただき(人間・橋本幸士の本質、なぜ物理学者は尊敬されるか、数式という“言語”について、など)、フロアとのやりとりも活発に行われました。特に「はごろもチョーク」の倒産については、その後のマル秘情報なども教えていただいて有意義でした。
 さらに飲食タイムでは、差し入れ・持ち込みも含めてふんだんなワインが飲み干され、90分があっという間に過ぎ去りました。「理学研究科と文学研究科でこんな本格的な研究交流があったのは、おそらく初めてではなかったか」との評価もいただきました。理学研究科の寺田健太郎さん、URAのクリスチャン・ベーリンさんなど、何人かの方にはこの場で初めてお目にかかれました。お時間のある方はその後研究科長室にお移りいただき、本件の出発点Dean’s Bar開店と相成りました。私手作りの「居酒屋ジオラマ」も公開されて話に花が咲き、これも気がつくと閉店時間になっていました(用途不明の研究科長室のダウンライトが初めて役に立ちました)。ご参加のみなさまの楽しそうにしておられるお顔を見て、満足度の高いイベントとなったかと拝察、主催者として胸をなで下ろしました。
Dean's Night, and beyond
 実は、第3回目まで日程とゲストが確定しています。
2016年10月7日 吉森保さん(大阪大学大学院生命機能研究科教授)
2017年1月20日 山村若静紀さん(上方舞・山村流師範)
 いずれも、ご専門を極めながら、同時にとてもお話がお上手な方々です。若静紀さんには山村流上方舞の実演もお願いします。さらにその2回先まで、ゲストと交渉が出来ています。私も一層のエフォート率を捧げて準備に努めたいと思います。大学ってこんなに楽しいところ、おもしろいことが出来るところ、ということを、全力で伝えていきたいと思っています。ご関心をもたれましたらぜひご参加下さい
(今後の予定は、私のブログ S. Kinsui’s Blogで公開していく予定です。http://skinsui.cocolog-nifty.com)。
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2016年7月23日 (土)

Dean's Night 第2回、第3回予告

Dean's Night 第1回は無事、7月22日に終了しました。

さっそく、第2回、第3回の予告です。
詳細は後日このサイトでお知らせします。
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2016年7月18日 (月)

トルコ・1泊4日弾丸旅行

学科のバス旅行のしおりに寄稿する文章です。

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 昨年から、Facebookつながりのお友達のアイドゥン・オズベッキさん(チャナッカレ・オンセキズ・マルト大学)という方から、トルコに講演に来てほしいと言われていた。その後、トルコでいろいろきな臭いテロ事件が続き、私の周囲でも「ほんとうに行くの?」「止めた方が」という声も出ていたのだが、イスラム圏への旅行は初めてなので、事情が許す限り行きたい、と思っていた。オズベッキさんに相談すると、「講演場所のチャナッカレは、比較的テロと縁遠い地域なので」と言われたので、えいやっと渡航を決断した。
 ただし、4月から研究科長に選任されたこともあり、学期中の長期の旅行はむずかしい。6月4日(土)〜6月7日(火)の4日間と決めた。なんとなく、イスタンブールの周囲でやるならそれくらいで十分だろう、と高をくくっていた。
 ところが、直前になって情報を集め始めると、イスタンブールからチャナッカレまではバスで6時間かかる、ということが分かった。しかも、「バスはきれいだがトイレが付いてない」「お腹をこわしてバスに乗ったら危ない目に遭った」などという方も知人でいらっしゃって、だんだん憂鬱、というか、恐ろしくなってきた。
 そうこうするうちに、オズベッキさんから、航空便のスケジュールが送られてきた。
6月4日 21時30分 関空出発
6月5日 04時35分 イスタンブール着 送迎バスにてチャナッカレに出発
              09時頃 チャナッカレ到着
              16時頃 講演。→現地泊
6月6日 12時  チャナッカレ出発(送迎バス)
              17時頃 イスタンブール空港着
6月7日 01時35分 イスタンブール出発
6月7日 18時40分 関空着
 現地での宿泊は5日の1泊のみ。つまり、1泊4日の旅となるのだ。大丈夫か、還暦の自分。
 さて、出発は遅いので割と余裕をもって対応できた。関空で3万円ほどトルコリラに両替も済ませ、ラウンジで時間つぶしもでき、時刻通りに搭乗。テロ騒ぎで飛行機はガラ空き、と期待していたら、ほぼ満席だった。13時間ほどのフライトの後、無事イスタンブール・アタテュルク空港に到着。たくさんいた乗客はほとんどが乗り継ぎの人たちで、トルコに降りる人はごく僅か、入国審査もすんなり終わった。
 さて、ロビーに出たところで、名前を書いた紙を持った人が待っているからと知らされていたのだが、出てみると誰もいない。うろうろと15分くらいあたりを探していたが、ふと見ると、柵にさした棹状のものに、名前を書いた紙がいっぱいつなげて貼ってある中に、自分の名前が載っていた。きょろきょろしていたら、一人のじいさんが寄ってきて、お前の名前かと言うので(多分そう言っていたのだろう)、そうだと言ったら、ベンチで寝ていたお兄さんに声を掛けたり、あちこち尋ねたりして、結局外の道路まで連れて行かれて、そこに待っていたバスの運転手に無事引き渡してくれた。バスと言っても、定員9人乗りの黒いベンツのバンで、乗り合いかと思ったら、乗客は私一人だった。運転手のお兄さんは、片言の英語の出来る人だった。これからチャナッカレに行くというので、一安心した。乗り心地もよく、またあとで分かったのだが、乗り合いバスより2時間ほど早く着くことができた。
 明け方の空港近くの高速道路はとても近代的で、大阪もロサンジェルスも大して変わらない風景だったが、だんだん郊外から田園風景へと変わっていき、天気もよかったので、とても広々とした美しい景色が目の前に広がっていった。2時間ほど走ったところで、ドライブインに止まって、運転手が「ブレックファストだ」と言った。私は飛行機で食べてきたので食事はせず、有料トイレを使い、水だけ買った。とても景色のいい場所で、ドライブインの建物にはたくさんのツバメが巣を作って廻りを飛び回っていた。
 4時間ちょっとで、海峡を挟んでチャナッカレの対岸の港に到着した。そこで、車ごとフェリーに乗り込み、10分余りの航海を楽しんだ。フェリーを降りたところで、ビルギン・イリムさんという先生(背の高い、ハンサムなマッチョ)がお迎えに来てくれていた。今、研究会のみなさんは朝ご飯を食べているところだというので、まずホテルにチェックインしてから急いで着替えて、海岸縁の道を歩いて朝ご飯の会場のレストランまで行った。海縁の、ほんとうに窓のすぐ下に波が打ち寄せている、きれいなレストランだった。ざっと30人ほどの皆さんが朝ご飯を楽しんでいた。オズベッキさんも、大阪大学で研究員をしていたこともある吉村大樹さんもそこにいた。とても和やかな雰囲気だった。私はリアルなオズベッキさんには初めて会ったのだが、写真通りの、ヒゲをはやした濃い顔のお兄さんだった。話してみて、とてもユーモアのセンスに溢れた楽しい人だということが分かった。
 朝ご飯のあと、私だけホテルに戻り、シャワーを浴びたり仮眠を取ったりして体を休めさせてもらった。3時頃、イリムさんがホテルに迎えに来て、公園内にある研究会の会場のホールまで連れて行ってくれた。私の講演はまあまあ順調に終わり、研究会のみなさんの総会が行われた。実はこの研究会は、トルコの日本語教師会が全国的規模で行う第1回目のもので、その記念すべき基調講演に私が呼ばれたということだったのだ。オズベッキさんがパソコンで作った表彰状ももらった。
 夕食は、みんなで街の路地の中にある居酒屋でいただいた。海鮮中心のシンプルなお料理ばかりで、とてもおいしかったし、ワインや「ラク」というアニス系のお酒(独特の甘い香りがある。フランスのアブサン、ギリシャのウーゾも仲間。いずれも、水を入れると白濁する)にもよく合った。海に沈んでいく、チャナッカレの夕日がとてもきれいだった。
 一夜明けて、朝ご飯のあと、唯一の観光時間。一人でチャナッカレの街を歩き回った。小さな街なので、3時間も歩けば十分その構造が把握できた。「トロイの木馬」で知られるトロイの遺跡がすぐ側にあり、遺跡へのツアーもやっているのだが、そこまで行く時間はなかった。海岸通りの公園に、映画に使われたというトロイの木馬の実物大の模型が設置されていた。
 ホテルに12時前にイリムさんがお迎えに来た。バスは車も運転手も、来た時と同じだった。フェリー乗り場でオズベッキさんが待っていて、お別れをしてくれた。この日は天気が悪く、雨が降ったり止んだりのお天気だったが、快調にドライブは進んだ。また途中でドライブインに寄り、運転手は「ランチだ」と言った。私は、カフェテリアで汁掛けご飯とナスのトマト煮をいただいた。とてもおいしかった。売店でお土産用に「ロクム」と呼ばれる飴菓子も買った。その後も予定通りの時間に空港に到着した。空港の入り口はとても込んでいたが、むりやり二重駐車で荷物を降ろし、運転手さんにお礼を言って別れた。
 チェックインはあっという間に終わったが、手荷物検査は結構並んだ。空港内は大変な熱気で、ヨーロッパやアメリカや東アジアの空港では見ないような、さまざまな民族が通路を行き交っていた。ビックリするほど背の高いアフリカの黒人の集団や、全身真っ黒の「ニカブ」と呼ばれる衣装をまとったイスラムの女性が特に目を引いた。待ち時間が8時間ほどあったが、特に買い物もなく、飲食物もやたらと高いので、大半の時間を空港のベンチで横になって寝て過ごした(日本では真夜中だったのだ)。
 搭乗も順調に進んだ。乗り込んだ飛行機は、「クシモト」と名付けられた、日土修好を記念する特別な塗装や内装が施された飛行機だった。帰りも機内は満席に近い状況だった。隣には面白い関西のおばちゃんの団体がいて、結構笑わせてもらったが、そのことは別のところに書いたので省略。飛行機の中ではもっぱら映画を見て過ごした。「レヴェナント」が印象に残った。
 帰国してその日に、イスタンブールの市内で爆発テロがあったことを知った。そうして、3週間後にイスタンブール空港そのものが襲撃された。ニュース映像で、私が横で寝ていた通路を、逃げ惑う旅行客たちの映像が映った。この記事を書いている前日には、トルコでの“クーデター”未遂事件のニュースが大大的に報じられた。私の会ったトルコの人たちはだれも皆温かかったし、お料理はおいしいし、チャナッカレは天国のような小さくてきれいな街だった。しかし、当分トルコには行けないのだろう。とても悲しい。
(以上)

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