卒業式の式辞・余話
メールを整理していて思い出したことがある。この3月の卒業式で、聴覚障害のある卒業生から、事前に式辞の原稿を渡してほしいとの申し入れがあった。みんなと同じ空気の中で、卒業式の感動を味わいたいのだという。
私はこういったイベントのスピーチで原稿をつくることはあまりなくて、当日までにざっくりとプランを立てておいて、その場で文章を作りながら喋るのが普通である。今回もそうしようと思っているところにその申し出があって、正直めんどくさいなと思いつつ、事前に原稿を作ることとした。
原稿を作るとなると、それなりに推敲をして整った文章にしようと思う心理が働いて、山場を作ったり、修辞に気を配ったり、まあかっこつけた文章に結果としてなってしまった。 せっかく作った原稿なので、一度の式辞で捨ててしまうのは惜しいとのケチな思いから、ブログにあげた。それがツイッターで取り上げられ、今回のちょっとした騒ぎになったわけだ。
学生からの申し出がなければ、またあっても請けなければ原稿さえ作らなかったし、当然ブログの記事にもならなかったし、Yahoo news に上がることもなかった。人生の出来事はみな不思議の糸で繋がれている。
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コメント
卒業生です!
ただいま,なかなか理解しがたい配偶者・ママ友に囲まれた生活をしています。
ちょっとした癖なのでしょう,些細な「事件」を取り出しては,至った経緯を静かに追究しております。そんな時間は,苦しいかというと,そうでも無い。むしろ解放された気分なのです。なぜ?
先生の式辞を拝読して,少し気付きました。先生の仰るところの,「人間に与えらえた究極の自由」を自分は享受しているのではないかと。
行動を変えるのは難しいです,しかし「自由」を得ることは出来ている自分は幸せなのではないか?と思うに至りました。
ありがとうございました。
また明日からも,「自由」を得るべく,理解しがたい人々と「仲良く」やっていきます。エイエイオー!
投稿: ママ業専念中 | 2017年8月26日 (土) 00時24分
ママ業専念中さま、
ありがとうございました!
投稿: SKinsui | 2017年8月31日 (木) 13時56分