(書評?)『女性らしい手紙文の書き方』
某書評サイトでボツになった(というか、自分からひっこめた)文章です。他の先生方はとても立派な書評をかいていらっしゃったので、ひっこめてよかったです。
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書名:『女性らしい手紙文の書き方』
著者:中西弥生 出版社:日本文芸社
出版年:昭和49年6月5日16版発行(初版の刊行年は不明)
ISBN: 0270-07114-6016
定価:550円(昭和49年第16版の価格)
私の書評の対象は、「実用書」である。いわゆる手紙の書き方の指南書である。第16版の定価は550円だが、私はこれをBOOK・OFFで100円(税抜き)で買った。アマゾンでは古書として、3円で買える(2017年11月13日現在)。たぶん、このサイトで紹介される本の中では一番安いだろう。著者の中西弥生氏については、まったく情報がない。この本以外に著書は今のところ見当たらない。そんな、一見地味な本書を、私は強く勧めるのである。これはとんでもない本だ。「実用」という概念を遙か斜め上に超越して、中西弥生氏の筆は暴走を繰り広げる。それが一体中西弥生氏の経験に基づくのか、豊かな妄想なのかもよく分からないような、書名には似つかわしくない愛憎の世界が繰り広げられるのである。
まず、「はしがき」から読んでおこう。
はしがき
手紙は、その人のすべてを代表するものなのです。
ですから、手紙は自分の気持ちなり、用件なりをあなたにかわって相手にこころよく、ゆかしく、わかりやすく伝える使者なのです。
その使者の出来、不出来が、とんでもない結果を招いたりすることがありますから、一通の手紙でも、かるはずみに書かないことです。
日ごろから心がけて、誠意のこもった手紙を書くようにしておれば、いつの日にか必ず尊敬や信頼や幸運が、あなたのもとに訪れてくるようになります。
女性の手紙は、かたく、かたにはまった、きゅうくつなものであってはならないのは勿論ですが、かといって悪ふざけしたり、奔放すぎたり、品のないものでもこまります。
どこまでも女性らしい上品さと、ゆかしさ、うるおい、しとやかさのあるものでなければなりません。
この本は、分かりやすく、しかも、正しい上品な文例を豊富に示しながら手紙の書き方を自然に自分のものにしていただけるよう心がけました。
心からの美くしい手紙が書けるようになってくださるようお祈りしております。 著 者
うむ、ごく穏当な滑り出しだ。きわめてまっとうだ。しかしこのはしがきの一言一言が、あとでじわじわ効いてくるのを、私たちは思い知ることだろう。
さて、この本の特徴は、とにかく結婚、恋愛に関した手紙が異様に多いことである。まず軽いジャブから。
〔結婚した友へ〕(女子文)
御結婚なさったとのご通知、楽しく拝見いたしました。心からお祝い申し上げます。 もう新婚旅行からもお帰りになって、すばらしい、あまい生活をなさっていらっしゃることと思います。御感想はいかが……。とにかく何もかも楽しくってしょうがないんじゃないかしら。 おしとやかで家庭的なあなたのことだから、もうすっかり板について、初々しい若奥様ぶりを発揮していらっしゃることでしょう。
近いうちにぜひスイートホームへおじゃまさせていただきますけど、あまり見せつけないでね。それともおじゃまかしら。
とりあえずお祝いの品おおくりしておきます。お二人で仲良くお使い下さいね。旦那様にもよろしくおっしゃっておいて下さい。ではまた。(p. 23)
押さえた書き方ではあるが、「何もかも楽しくってしょうがないんじゃないかしら」とか、「初々しい若奥様ぶりを発揮」とか「あまり見せつけないでね」とか、弥生の妄想はすでにむずむずと動き出しているようである。この手紙には、続編がある。
〔友に無沙汰をなじる〕(女子文)
昭子さん、再三手紙さしあげているのに、ちっともお返事下さらないなんて、いかがおすごしなのでしょうか。御新婚は楽しいものでしょうけど、そんなにお変わりになるものかしら。かつてあんなに親しいお友達だったのに冷たい方。
でも全然お返事いただけないなんてさびしいわ。きっとあなたがお忙しいからお手紙下さらないんだと思っていますわ。でもね、いまに赤ちゃんができたらそれこそ自分の時間なんてないそうよ。だから今のうちに遊んでおかないとだめなんですって、これでは私と遊んで下さいって、催促しているみたいね。旦那様にうらまれてしまうわね。
だけど、ほんとに一度御連絡下さらない。あなたの御結婚の感想でもうかがいたいわ。私ももうすぐなのよ。だからそんなお話もしたいし、ぜひ近いうちにお手紙下さいね。お待ちしています。(p. 57)
「冷たい方。」って、弥生はちょっとせっかちな性格のようだが、「私ももうすぐ」というから、弥生には言いたいことが貯まっているのだ。それがどんなことなのか、ちゃんと書かれているぞ。
〔二人の秘密〕
いま、お床に入ったのですが、目はさえるばかりで、どうしてもねむれませんの、夜中の一時だというのに。私はまだ、夢の世界をさまよっているようなのです。一緒に行った会社の人たちがロビーで、ピンポンをしたり、テレビを見たりしているとき、そっと私を誘ってくださったあなた、私たちは庭続きの林に入り、夏草の中に並んで腰を下ろしましたね。あなたが何もおっしゃらずに、私の肩を抱いて下さったときの、あなたの体臭が、まだ私の周囲にただよっているようです。そして、はじめての口づけの甘い甘い感触に、私はただ、うっとりと目をつぶっているだけでした。あなたは、口づけのお上手な先生です。ふふ…これから、毎日社で顔を合わせるのが、なんだかはずかしい気がいたします。でも、いままで通り何げない顔で、誰にも分からないように、上手な演技をつづけようと思いますの。
そして、ときどき、二人だけの秘密の夜の時を楽しみましょうね。(p. 185)
「あなたの体臭」とか「甘い甘い感触」とか、弥生は意外に経験豊富じゃないか。っていうか、すでにはしがきの「女性らしい上品さと、ゆかしさ、うるおい、しとやかさのある」手紙からだいぶ逸脱してないか。
だが、弥生の生涯はなかなか波乱に富んでいる。こんな劇的な成り行きが待ち構えている。
〔お別れに〕
次郎様 こうして、あなたにお手紙を書くのも最後でしょう。私は毎日、何かとおいかけられているような、身のちぢむ思い出暮らしております。あと半月、こんな気持ちで結婚しなければならない私は、なんという不幸な女でしょう。何も知らずにいる先方のお方も、お気の毒でなりません。
私は今でも、あなたが来いと言って下されば、家を抜けて飛んでまいります。どうして、あなたは勇気を出して、私を呼んで下さらないのでしょう。
愛するあなたを待ちながら、たった一度の見合いで、好きでもない人と結婚しなければならないなんて、気が狂いそうです。でも私は義理の母との板ばさみになって、自由の道を選ぶことの出来ない、あわれな弱い女です。
次郎様 あなたは自分が学生の身で、生活力のないことを嘆いておられますが、私もほんとうに今はじめて、身をもってそれを知りました。私に生活力があったら、私はこんなにも悲しまずにすんだものを。
私達はなんという冷酷な運命に生まれたのでしょう。今となれば、たとえ一年でも、あなたを恋したことがくやしいのです。
あなたはまだ若く、幸福な未来が待っていますのに、私は恋しい人を心に抱きながら、愛してもいない人に、この体をささげなければなりません。
次郎様 お願いです。この手紙が着きましたら、もう一度、二人だけで会う機会をつくってください。最後のお別れがしたいのです。(p. 183)
弥生の心は、千々に乱れて、なんだか論旨もよく分からなくなっているところがある。しかし、「最後のお別れがしたい」って、危険だと思う。お別れではすみそうもない予感がする。
で、待っていたのはこんな末路だったりする。
〔男にだまされて〕(女子文)
智子さん突然こんな手紙を書いてごめんなさい。でも誰にも相談できることではないので、思い余ってあなたに御相談したいと思うのです。
実は一年前から八つ年上の男性と知り合い、彼の言葉を信じて恋愛関係に陥り、つい許してはいけない一線をこえてしまいました。でもそのときは幸福で、公開もしませんでしたが、先日妊娠していることを知って、そのことを彼に話したところ、驚いたことには彼にはすでに妻子があったのです。まさか彼がそんな人であろうとは夢にも思ったことがなく、私は彼を強くなじりました。すると彼は非を認めたものの、「妻と別れることはできないから、ガマンしておろしてくれ」というのです。私は怒りと悲しみで、今は途方にくれています。現在ではもう彼に対する愛情なんかなくなってしまっていますが、でも結婚できないかしらとも考えています。お腹の赤ちゃんはもう四ヶ月にもなっていますし、おろすなんてこわくなってしまいます。前途真っ暗な私、一体どうしたらいいんでしょう。結局は私がバカだったからなんですが、どうしたらよいか、あなたに教えてもらいたいんです。取乱した文になってしまいましたが、お返事お待ちしております。(p. 62)
こんな相談をされた智子さんもいい迷惑ですね。「一線を越える」とか「妊娠」とか、文春砲も真っ青だぞ。「愛情なんかなくなってしまった」とか、どこかで聞いた台詞のようだ。
しかし、ふと我に返る。この本は、「実用書」のはずなのに、いったいこんなシチュエーションにどんな実用性があるんだろうか。この範例をお手本にして手紙を書く女性を想像すると、ちょっとくらくら目まいすら覚える。
ここに引いたのは、ほんの一部である。もっともっと引用したい欲求に駆られるのだけど、紙幅の制約によってこれだけに留めているんです。とにかく役に立つんだかどうだかよく分からない、生々しい女の生き様がこの地味な装丁の本にあふれかえっている。すぐ買って読むべし。安いし。
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