« 2018年5月 | トップページ

2025年9月

2025年9月26日 (金)

さらば、月光仮面

某雑誌に依頼されて執筆した原稿ですが、ボツになりましたのでここにしまっておきます。

=====

拝啓、月光仮面様。

 一九七五年四月に東京大学教養学部に入学した「五〇LⅢ5B」(ドイツ語未習クラス)では、一一月に行われる「駒場祭」という学園祭で、クラス独自の企画として「映画喫茶」を行うことを話し合いました。クラスを班分けして、それぞれが自作の映画を制作し、喫茶店に仕立てた学生会館の一室で上映しようという企画でした。クラスのメンバーがまだ十分打ち解けていたとはいえない、五月か六月頃のことでした。

わたしは、学生オケの企画もやっていましたが、語学クラスのこの企画にも手を挙げました。受験勉強の重圧から解放されて、とにかく何かやりたいという熱意に突き動かされていたのでしょう。話し合いの過程の中で四つの映画の企画が立ち上がりました。文芸大作風、ホラー映画、猫を擬人化したアニメーション映画といった企画が上がってきたなかで、私は、あなたを主人公にした、その名も「月光仮面よ永遠に」という映画の構想を思いつきました。脚本、監督、主演はすべてわたしです。シノプシスはこうです。

——世の中の悪を存分に退治し、引退して悠々自適のくらしを楽しんでいた月光仮面であったが、間違えて投函された新聞を見て、未だに世の中に悪が渦巻いていることを知り、奮起して、ヒーロー復帰を思い立つ。しかし街の中を右往左往しても、諸悪の根源というものが見当たらない。公害問題の背景には、より快適な生活がしたいという人々の欲望があり、政治運動や学生運動の対立もお互いがお互いを非難し合うばかりで、何が悪で何が善か、決めることなんて簡単にはできない。疲れ果てた月光仮面の目にとまったのが、子どもたちの無垢な瞳であった。そうだ、この子どもたちに、正義を愛する心を伝えていくことが今の私にできる唯一のことではないか。そう思い至った月光仮面は、往年の自分の活躍を紙芝居に仕立て、街から街をめぐって子どもたちに語りかけるのであった……。

映画制作と言えば、今はスマホ一台でできてしまうわけですが、当時は家庭用ビデオカメラすら普及する以前で、8ミリ・フィルムで制作しました。シーンごとに家庭用8ミリ・カメラで撮影しては現像に回し、上がってきたフィルムをパチパチ切ってはテープでとめて編集します。音声は、レトロな雰囲気を出すためにも、弁士による活動写真のスタイルを取ることにしました。

大都会をさ迷うあなたを表現するために、夏の暑いさなか、私は恥を忍んで銀座の歩行者天国での撮影も行いました。細々とした撮影を積み重ね、撮影は大詰めの学園紛争のシーンを残すばかりとなりました。ところがここで事件が勃発しました。駒場のキャンパスで、革労協が革マル派東大生を鉄パイプで殴打、死亡させたのです。そんなリアルな重大事件が起こった直後に、映画撮影とはいえ、学園紛争のシーンをキャンパスの中で撮るなんてできやしません。しかし一か月後には駒場祭が始まってしまいます。悩みに悩んだ末、メンバーとも相談して、紛争シーンは人形劇に置き換えるという窮余の一策を編みだし、何とか体裁を作って、駒場祭での上映にこぎ着けました。しかし、アイディアも脚本も演技も撮影も、すべてが生煮え、未熟と凡庸の極みであり、もやもやした思いばかりが私を含めたメンバーの中に残りました。

翌年の四月、新たに入学してきた「五一LⅢ5B」の新歓企画として、四本の作品が上映されることとなりました。「月光仮面よ永遠に」を上映中、フィルムとフィルムを繋いでいたテープの貼りが甘くて、映写機に引っかかり、映像が不意に止まりました。そして、映写機の電熱のために、皆が見ている前で、フィルムがみるみる焼けて溶けていきました。溶けていくフィルムとともに、あなたは見えないところに行ってしまいました。上映は急遽中止され、ぶつ切れになったフィルムの残骸も、その後行方不明になったままです。

さようなら、わが青春の「月光仮面」よ。永遠に失われてしまったあなたを思い出すたびに、悔恨とも安堵とも、なんとも名付け得ない感情が湧きあがってきます。

| | コメント (0)

« 2018年5月 | トップページ