心と体

2017年5月24日 (水)

第4回 Dean's Night のお知らせ

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 Dean's Nightでは、私、金水敏(大阪大学文学部長)が、今お話を伺いたい方を文学部にお招きして、ご参加のみなさんとともに楽しいひとときを過ごします。

   第4回(2017年7月28日(金))のゲストは、ゲストに釈徹宗さん(僧侶・宗教学者)と久坂部羊さん(小説家・大阪大学医学部卒)をお招きし、「死に向かう人にとって医療はどうあるべきか」「親しい人を看取る心構えとは」「この世に残された人は、逝った人のために何をなすべきか」といったことを、タタミとちゃぶ台の間で明るく楽しく語りあいます。家族と自分の死や健康が気になる方、ふるってご参加ください。

ゲストのプロフィール:

釈 徹宗(しゃく てっしゅう)さん

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僧侶・宗教学者。相愛大学人文学部教授。『いきなり始める仏教入門』(内田樹と共著。角川ソフィア文庫、2012年)、『お世話され上手』(ミシマ社、2016年)、『70歳!〜人と社会の老いの作法〜』(五木寛之と共著。文春新書、2016年)他、著書多数。 NHKニュースシブ5時で「渋護寺」コーナー担当。  芸能やポピュラーカルチャーと仏教との関わりについても関心が深く、『落語に花咲く仏教-宗教と芸能は共振する-』 (朝日新聞出版、2017年)で第5回「河合隼雄学芸賞」を受賞する。

久坂部羊(くさかべ よう)さん

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小説家。医師。医療小説の出版多数。『悪医』(朝日新聞出版、2013年)が日本医療小説大賞を受賞する。また『破裂』(幻冬舎、2004年)と『無痛』(幻冬舎文庫、2008年)が2015年、相次いでテレビドラマ化され、話題となる。一方で『人間の死に方〜 医者だった父の、多くを望まない最期〜』(幻冬舎新書、2014年)他、医療に関わるノンフィクション・エッセーも多数公刊している。

 このイベントは、どなたでも参加していただけます。下記の要領をごらんください。

日時:2017年7月28日(金)17:30〜

第1部:ちゃぶ台で語り合おう、介護・看取り・祈り  17:30〜19:00ごろ

 金水が聞き役となって、介護や終末期医療、親しい者の看取り、葬礼や法要などの宗教儀礼についてのお二人のお考えをお聞きしつつ、フロアとの意見交換を行います。

 場所:大阪大学全学教育推進機構・サイエンス・コモンズ・スタジオ B

  キャンパスマップの「サイエンス・コモンズ」とある建物の1階です。

 参加方法:学生、教員、職員、学内外を問わず、どなたでも参加できます。事前申し込み不要・定員60名・先着順で受け付けます。17時に開場します。

第2部:ゲストを囲んで軽食と飲み物の会 19:00過ぎ〜20:00過ぎ

 ソフトドリンク、ビール、ワイン、サンドイッチ、ピザ等の飲み物と軽食を準備します。実費学生1,000円、一般の方2,000円程度申し受けます。差し入れ歓迎(差し入れして下さった方の割引あります)。

 場所:大阪大学大学院文学研究科・大会議室

  キャンパスマップ4番の建物(文法経済学部本館)北側2階にあります。

 参加方法:学生、教員、職員、学内外を問わず、どなたでも参加できます(要予約)。リンク先のフォームからお申し込みいただくか、直接、金水までお知らせください。

 申し込みしめ切り:2017年7月21日(金)

 連絡先メールアドレス: kinsui(at)let.osaka-u.ac.jp (金水 敏)

                                                 (at)を半角@に変えて下さい。

 主催:金水 敏(大阪大学大学院文学研究科長)

 協力:大阪大学大学院文学研究科/大阪大学全学教育推進機構

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2016年12月31日 (土)

2016年まとめ

○大学
・4月より文学研究科長に就任しました。おりしも、指定国立大学や卓越大学院の申請に向けて、大学の姿が大きく変わろうとしており、その渦中に翻弄されています。
・12月に、文学研究科主催のシンポジウムでパリに行きました。

○研究面

・私の還暦を記念して、教え子の方たちが研究発表会「バリエーションの中での日本語史」を企画してくださいました。
・国立国語研究所の疑問文プロジェクトが3月で終わりとなり、3冊目の研究報告書を出しました。引き続いて、通時コーパスの班リーダーとなり、客員教授を続けています。
・昨年の2月に実施した、「役割語・キャラクター言語研究国際ワークショップ2015」の報告論集を編集、私家版として発刊しました。
・役割語研究の延長上に想定している「キャラクター言語研究」の実践の場として、大学院生らとともに、「村上春樹翻訳調査プロジェクト」を始めました。今年度中に暫定的な報告書を出す予定です。
・学術論文を2本公刊しました。
・研究発表、講演、指定討論者等を13件行いました。また、シンポジウム等の企画・運営を5件行いました。
・トルコのチャナッカレに招かれて講演を行いました。1泊4日の弾丸ツアーとなりました。
○社会貢献
・北野高校と、鹿児島の志學館高等部で出前授業をしました。
・今年もマンガカフェのカフェマスターをしました。
・J-WAVE の「RADIOFAST」というラジオ番組に電話取材で出演しました。
・「ナカノシマ大学寄席」で、高島幸次先生と林家花丸師匠・桂三四郎さんとトークをさせていただきました。
○交友関係
・ギャラ無しで来て下さるゲストをお呼びして、Dean's Night というイベントを始めました。橋本幸士さん、吉森保さんと交流を深めることが出来ました。
・三中信宏さんにも、大阪大学大学院文学研究科で講演をしていただきました。
○プライベート
・還暦を迎えました。
・鼠径ヘルニア修復の手術を受けました。座骨神経痛を発症、腰や足が痛いです。相変わらず、血圧高め、睡眠時無呼吸症候群の対処をしています。その他は健康面では大きな変化はありません。
・ひさびさにフルートでコンサートに出ました。
・20年以上飼っていた、ミシシッピアカミミガメが、パリに行っている間に亡くなりました。

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2016年8月27日 (土)

鼠径ヘルニア手術

 鼠径ヘルニアは、足の付け根にある筋肉の隙間の「鼠径(そけい)」が緩んで、その下の腹膜や、さらにその下の腸が皮膚の下に飛び出てくる病気です。長く立っていたり歩いたりすると、腹膜がこすれてとても痛みます。私は今年の6月にこの病気を自覚し、8月25日に手術しました。中高年の男性を中心に、たくさんの人が発症する病気で、私の経験も参考になるかと思い、個人の感想も交えながら記録を付けておこうかと思います。

 私は、6月の放送大学の面接授業(スクーリング)で立って講義をしているときに、下腹がきりきり痛み出したのが自覚の始まりです。昼休みに座ってお弁当を食べていると収まりましたが、その後も、立ち続けたり、長い距離を歩いたり、ラジオ体操をしたりすると痛みが出ました。かかりつけの近所の医院で相談すると、即座に「鼠径ヘルニアでしょう」と診断されました。手術しか直す方法はないとも言われました。
 しばらく考えて、ネットで病院もしらべて、関西労災病院で手術を受けようと思い、医院に相談して紹介状を書いてもらいました。医院を介して最初の受診の予定を取り、推薦状も書いてもらいました。8月5日(金)が受診日と決まりました。
 5日のT先生の外来診察で手術の希望を伝え、その日のうちに血液検査とレントゲンと心電図を取ってもらいました。12日に結果を聞きに行き、手術の方法と日程について相談をしました。鼠径部に特殊な布を挿入して穴をふさぐ「鼠径ヘルニア修復術」という手術となりますが、腹腔鏡手術と、直接お腹を切る手術と二通りあり、腹腔鏡が負担が少なくてお勧めするが、全身麻酔なので麻酔科の予定が取りにくく、手術がいつになるか決められない、場合によっては2,3ヶ月後になることもある、一方、お腹を切る場合は下半身麻酔になり、それであれば8月25日にもできる。と言われました。夏休み中に片を付けたいと思っていたので、お腹を切る手術を25日にやってもらうことにしました。1階受付で書類をもらって帰りました。入院は8月24日、退院は手術の翌日の26日とのことでした。
 24日は10時半に病院入りしました。9階の6人部屋でした。午前中は特にすることはなく、昼食後まずシャワーを浴びるように言われ、お腹を特殊な消毒石けんで特によく洗うように言われました。その後、3日間の日程と、手術の流れについて説明を受け、同意書にサインをしました。麻酔の影響でせん妄が出たときの処置についても同意書を取られました。
 空き時間がたっぷりあったので、持ち込んだパソコンで仕事をしました。9時以降は絶食、手術の3時間前、26日の5時50分以降は絶飲でした。手術中に履く、血栓をできにくくするための圧着ストッキングをもらいました。
 25日朝、下着のシャツを脱ぎ、新しいパジャマに着替え、ストッキングをはき、時間になると、看護師さんと、付き添いの奥さんとともに2階の手術室に歩いて向かいました。手術室は二重扉になっていました。髪の毛を押さえるネットの帽子をかぶり、時間になると手術台に乗って上半身を脱ぎ、左手甲に抗生剤の点滴と酸素濃度を計るキャップをはめ、右手は血圧計につながれ、心電図の端子を胸に貼られました。手術台の上で左横向きになり、背中を丸めて突き出すように言われました。脊髄にむけて何度か注射により麻酔薬が注入されました。この注射は、けっこう痛くてつらかったです。背中に液体が入っていくのが分かりました。しばらくすると、下半身がぼーっと温かくなってきました。
 麻酔が効いてきたかどうか、麻酔医がアルコール綿を胸に付けたりお腹に付けたり足に付けたりして、冷たさの具合を尋ねました。10分もしないうちに、おへそあたりから下はまったく無感覚で膝もまったく上がらなくなりました。感覚としては、足をそろえて寝ているつもりなのですが、実際のところ、足がどうなっているかはまったく分からず、パンツも脱がされて、いつの間にか導尿のパイプも入れられていたようです。視界は布で塞がれて、手術の様子は見えません。
 やがて執刀医が、「只今より鼠径ヘルニア修復術を始めます」と宣言して、手術が始まりました。外来で診断して下さったT先生は付き添いのようなもので、実際の執刀医はY先生という若い方でした。お二人でぼそぼそしゃべりながら進めておられましたが、ときどき「腹膜、元に戻しとかな」とか「これちょっと細いからもっと太いの持ってきて」とか「あっ」とか、いろいろ気になる情報が耳に入ってきました。お腹のあたりでなにかが動いている様子は分かりましたが、痛みはまったく感じません。
 1時間足らずで手術は終了と告げられました。手術台からベッドに移され、寝たまま9階の病室に戻りました。のどが渇きましたが、術後3時間は飲めないと言われました。足は最初、まったく感覚がなく、ぴくりとも動きませんでしたが、1時間過ぎるころ、右足から、膝小僧を左右に振るなど動かせるようになり、やがて左足も遅れて動くようになりました。麻酔が切れてくると、下腹部に鈍痛を感じるようになってきました。
 昼過ぎ、ベッドに腰掛けられるようになり、おしっこの管を抜いてもらい、ストッキングも脱ぎました。両足のしびれがなくなると、点滴の台を持ちながら、看護師さんの見守りのもと、フロアの廊下を一周するように歩く練習をしました。水を飲み、内緒で奥さんの持ってきたチョコを食べ、リンゴジュースも飲みました。
 夕食は、ご飯の代わりに粥でしたが、おかずは普通食でした。8割ほどいただき、痛み止めも飲みました。点滴も外してもらいました。ベッドでテレビを見ながらぼーっとしていると、8時頃、トイレに行くように勧められました。導尿で尿道が荒らされたせいか、おしっことをするととても痛みがありました。最初はちょろっとだけ、22時頃またおしっこを1回、23時過ぎにもおしっこをしました。大のほうも出るようになりました。持ってきた血圧の薬を飲んで就寝しました。
 翌日、いつものように5時半に目覚めました。お腹はしくしく痛みました。おしっこもまだ痛いです。朝ご飯はまたお粥でした。完食しました。食後にまた処方された痛み止めと胃薬を飲みました。やがて、退院の許可がおりたと告げられ、着替えと荷造りをして、11時ごろ書類も整い、1階で支払いも終えて、タクシーに乗って帰りました。支払いは7万円とちょっとでした。来週と再来週の金曜日が通院で、来週は傷の具合をY先生が見られ、再来週はT先生が通常の外来で診察されるとのことです。帰ってシャワーを浴びるのはよいが、湯船につかるのは、来週のY先生の診察までは待つように、とのことでした。なお、傷口はボンドのような接着剤で塞がっているので、抜糸はしないとのことです。
 家では、まずシャワーを浴びて洗髪し、普通にお昼ご飯をいただき、昼寝を交えてぼーっと過ごしました。お腹は相変わらず痛みます。おしっこも痛いです。これは徐々に痛みが引くのを待つしかないのでしょう。

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2010年8月27日 (金)

排石記

2年前に、尿路結石で破砕手術を受けたことがあります。ブログの記事は以下の通りです。

http://skinsui.cocolog-nifty.com/skinsuis_blog/2008/02/post_87cc.html

http://skinsui.cocolog-nifty.com/skinsuis_blog/2008/02/post_e609.html

http://skinsui.cocolog-nifty.com/skinsuis_blog/2008/02/post_c31d.html

http://skinsui.cocolog-nifty.com/skinsuis_blog/2008/02/post_7025.html

http://skinsui.cocolog-nifty.com/skinsuis_blog/2008/02/post_85ad.html

http://skinsui.cocolog-nifty.com/skinsuis_blog/2008/03/post_a069.html

http://skinsui.cocolog-nifty.com/skinsuis_blog/2008/04/post_22da.html

http://skinsui.cocolog-nifty.com/skinsuis_blog/2008/08/post_3768.html

7月から8月にかけて、また再発しました。8月頭くらいから、何かもやもやしたものを感じていて、うすうす「また結石ではないか」と疑っていました。かかりつけの泌尿器科の医院にそろそろ行ってみようと思い、8月7日(土)あたり、と思っていましたが、7日の朝は風邪のような頭痛とむかつきがあったので、家にいることにしました。安静にしているとましになったので、8日(日)、予定通り東京日帰り出張に出ることにしました。

8日の朝は早く家を出て7時代の新幹線に乗り、東京に着いてからまず東京科学博物館に行って、「大哺乳類展 海のなかまたち」を見ました。国立西洋美術館の「カポディモンテ美術館展」もはしごしました。午後13時から神田の学士会館で学会の会議があり、17時ごろ終わって、新幹線で帰りました。車中で駅弁を食べました。

その夜、テレビを見たり仕事をしたりしていたら、またおなかが痛くなってきました。痛みはどんどん強くなり、今まで経験したことがないほどの域に達した感じがしました。そのうち胃がむかついてきて、我慢できずにトイレで吐き戻してしまいました。えずきはなかなか止まりませんでした。

家族に頼んで、受け入れてくれる医者を捜してもらい、とりあえず2号線沿いのS病院と決まりました。タクシーを呼んで、15分ほど乗って行きましたが、乗っている間もつらくてたまりませんでした。病院には奥さんが付き添いました。夜中の12時過ぎでした。

患者のいない待合室でしばらく待たされて、診察を受け、症状を訴え、レントゲンを撮ってもらいました。その間にも、痛みと吐き気が止まりませんでした。レントゲンでは何も見えなかったようですが、とりあえず痛みの処置をすることになりました。

細い寝台に寝かされ、看護士さんに座薬を入れられ、点滴を打たれました(若い看護士で、右で失敗して左腕に)。膝を曲げるとまだましな気がして、胎児のようなスタイルで、「痛い痛い」とか「○△×※~」(意味のない音声)とか言いながら痛みが引くのをまっていましたが、15分くらいしてもだめだったので、肩に筋肉注射を打ってもらいました。さらに10分くらいして、ようやく堪えられる程度に治まったので、またタクシーを呼んで帰りました。2時前でした。

翌日、朝一番に、以前手術を受けた県立病院に行きました。問診を受けてから、検尿をし、造影剤を入れながらのレントゲン撮影をして、診断を聞きました。右の尿管の、膀胱のすぐ手前辺りに、2mmほどの石らしいものが認められるとのことでした。結石を出やすくする薬と、痛み止めの頓服をもらいました。座薬は昨夜の病院でもらっており、痛んだときはそれも使いなさいといわれました。

しばらく無事に過ごしていましたが、10日夜の集中講義の先生の歓迎会は大事をとって欠席しました。しかし11日の研究会には出ました。

14日・15日には川西の実家で引っ越しがあり、うちの奥さんと、弟夫婦と出手伝いました。15日(日)の午後、かなり痛み出して、どうしようかと思いましたが、休んでいてももっと痛みそうだったので、痛み止めを飲んで車を運転して変えることにしました。もし途中で運転できなくなったら、娘と落ち合って運転を代わってもらう相談も電話でしました。痛みをこらえながらの運転は辛いものがありましたが、なんとか家に帰り着き、座薬を入れました。その夜はなんとかそれで寝られました。

翌16日(月)、午前中に大学で会議2つをこなし、午後帰宅。夕食後また痛くなってきて、10時頃座薬を入れて寝ましたが、夜中の2時頃、痛みが増してきて、起きてしまいました。痛いときは横になることもできず、座ってもつらいので、部屋や廊下を歩き回り、時々トイレに座ります。尿意があるので出そうとするのですが、出ず、それが辛いのです。計っていませんが、たぶん血圧も180を超えていただろうと思います。気を紛らせるためにテレビを見たり(BSでフラダンスの公演をやっていました)、DVDをかけたりしてみましたが、それも見続けることができなくなりました。座薬は8時間空けて使用しないといけないので、とりあえず朝6時までは堪えて新しい座薬を入れるということを目標に頑張りました。

4時頃、ふっと楽になった感じがして、嘘のように気持ちが落ち着きました。石が動いたようです。床について、眠りました。

16日、17日はもう強い痛みは起こりませんでした。下着に、砂というか、粉のようなものがぱらぱらとついていたので、集めて採っておきました。担当医の先生に、石らしいものが出たら検査をするので持ってきてくださいと言われていたのです。

25日(水)、県立病院に再診に行きました。検尿とレントゲン撮影を受けて、診察を受けましたが、尿はきれいになっていて、レントゲンも石が消えていると言われました。石であったと思われる粉を出し、その検査結果を9月8日に聞きに行くことになりました。

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2010年1月 1日 (金)

無呼吸、その後

ここで書いた無呼吸症候群のことですが、今は器具をしていません。

11月30日に、月に一度の診察に医院に行ったところ、

あなたのは、夜の間機械が空気を送っている時間がとても短い。重症の人は、ほとんど一晩中空気を送り続けている状態で、それに比べたら症状はとても軽い。そもそも、無意識に器具を外してしまうのは、あまり体が必要としていない証拠である。

という趣旨のことを言われ、「切りがいいですし、12月からやめると言うことにしましょうか」と提案されました。

器具をしないで一月たちましたが、今の所、一頃のような症状はないようです。

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2009年8月23日 (日)

無呼吸レポート

ここここで「睡眠時無呼吸症候群」のことに触れたら、案外反響が大きかったので、少し詳しく書きます。

6月に、近くの内科医で自覚症状を訴えたら、「睡眠時無呼吸症候群」ではないかと言われ、さっそく検査用の機器を借りて着けて寝たわけです。

自覚症状としては、「起きてから夜寝るまで、一日中眠い」ということなのですが、細かく言うと、次のような事例になります。

  1. 大きないびきをかく。そのいびきがときどき止まる。これはもちろん、自覚症状というよりは、家族の観察によります。
  2. 車を運転している時、がくっと眠くなって、一瞬意識を失う。午前中からそうなる。とても危険で、ひやひやします。
  3. 会議中、すぐにまぶたが重くなって、寝てしまう。“会議が退屈”ということはもちろんあるのですが、自分が招集した会議でもそうなるので困ります。
  4. 授業中も寝る。これは、自分がしている授業で、学生の発表を聞いていると寝てしまいます。これはずっと前からそうだったのですが(学生ごめん)、眠くなり方が格段にひどくなりました。
  5. 家に帰るとくたくた。風呂に入ると、すぐに意識を失って風呂桶の中で寝てしまう。家族に“おぼれているのではないか”と疑われる。
  6. 夜、10時くらいから、堪えきれないほどの眠気に襲われて、倒れ込むように寝てしまう。それまでは、夜、12時ごろまで原稿書きなどの仕事をしていたので、夜仕事にならないと、とても困ります。

こういう症状が、一年以上続いていたかもしれません。

検査というのは、携帯ラジオくらいの小さな装置から出ているチューブを鼻に装着し、また電極のコードを左手の人差し指の先に固定して、一晩寝るのです。チューブは鼻の呼吸を調べます。電極は、酸素の血中濃度を調べます。血中濃度は95~97パーセントが正常ですが、無呼吸があると80%台に落ち込むそうです。

病院によっては、検査入院をさせるところもあるようですが、装置が小型化されたので、私のように家庭でも調べられるようになったのです。

検査後、機器を業者に返し、解析結果を医者に聞きに行きました。“デブの病気”という通念があり、私もそう思っていたので、中年太りしたとはいえ、ぽっちゃり型とは言えない自分がまさかという思いでした。検査を受けたときも半信半疑でした。その夜も、家族によればいびきが出ていなかったので、結果は出てないのではないかと思っていました。

ところが、お医者さんは、私が入るなり「典型的な無呼吸です」と告げました。一晩に139回無呼吸低呼吸が起こっており、無呼吸低呼吸時間は最小で10秒、最大で123秒でした。酸素の血中濃度は、90~95%が就眠時間の30.4%を占め、85~90%濃度も就眠時間の3.6%ありました。

治療方針としては、毎晩、器具をつけて寝るということしかないということでしたので、そうしました。機器は業者からのリースになり、医者を通して治療行為と見なされるので、保険によって費用が一部まかなわれ、月額4,750円の支払いとなります。機器は、呼吸の記録を取る機能もあるので、毎月、記録用の磁気カードを提出、交換し、前回の解析結果を聞くというサイクルになります。

かなりたいそうな器具を顔面に固定しますので(娘には「ダースベイダーみたい」と言われました)、慣れるまではやはり違和感があります。夜中に、半ば無意識に外してしまうこともあります。しかし、効果はてきめんです。昼間、少しは眠くなりますが、上に書いた1~6までの症状はほとんどすべてなくなりました。

鼻に着けるマスクは、柔らかいシリコンのパッキングで顔面にぴったり設置しますが、この部分がうまくくっつかなかったり、かぶれたりする人もいるようです。私の場合は、不快感以外は特に問題はありませんでした。顔面に接触させず、パイプを鼻の穴の入り口に装着するタイプの器具もあるそうで、そちらを試してみたいのですが、人気が高く、品薄だそうです。

機器の本題は、昔に比べるとずいぶん小型になったそうです。家庭用テレビゲーム機より少し小さい程度で、キャリングケースも付いていて、旅行に持って出ることができます。それでも出張時の荷物が結構重くなりますし、合宿や団体旅行などでは、同室の方にご迷惑をかけることもあるかもしれません。そういう意味では、生活にも若干の影響があるかもしれません。それでも、翌日の生活の質を考えると、機器は持って出ざるを得ないでしょう。

もう一つの問題として、気圧が高すぎるせいか、空気が胃にたまるという現象が、かなりの頻度で起こります。目が覚めると、胃が異様に張った感じになっていて、起きると大きな“げっぷ”が出ます。胃から腸に回ってしまった空気は、(尾籠な話で恐縮ですが)おならとなって日中排出されるようです。しかしこのことは、不快なだけで、健康を害するようなものではないと思います。

“無呼吸”そのものの原因はよく分かりません。太ったために症状が出る人は、痩せると改善するといいますが、上に書いたように私はもともとどちらかというとやせ形なので、そのような効果は期待できません。朝起きたとき、鼻が詰まっている自覚があることがあるので、鼻の構造として横になると閉鎖しやすい形状になっているのかもしれません。

ブログを見た人や、話を聞いた人が、自分や自分の家族もそうだ、あるいは疑いがもたれている、とおっしゃるのをしょっちゅう聞くようになりました。ある学生さんのお父さんは、検査の結果「重度の無呼吸」と言われ、このままだとほどなく死んでしまうとも言われたそうです。知らない間に、国民病になりつつある気配です。

これから冬に向かって、一晩中強制的に鼻に空気を通すと、乾燥しすぎないかという危惧があります。部屋の加湿など施す必要があるかもしれません。また、季節が変わったら報告します。

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2009年7月 5日 (日)

役割語メモ

6月30日に行われたサイエンスカフェの記録をこちらにアップしております。

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2009年6月27日 (土)

やっぱり……

19日、近所のお医者さんで「昼間眠くなる」ということを訴えると、「睡眠時無呼吸症候群」の検査を勧められました。22日、検査用の器具を受け取り、その夜付けて寝ました。

今朝、結果を聞きに行ったら、「やっぱり無呼吸でした」と言われました。

治療には、酸素マスクみたいな器具を毎晩付けて寝るのだそうですが、うまくいくと劇的に直るそうです。7月3日の夜から始めることになりそうです。

器具はうっとうしいのですが、昼間の生産性が上がるかもしれないと思うと、楽しみでもあります。

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2009年6月20日 (土)

KIKEI

先週末、近所の医者で診療を受けたら、

「あ、○○○ですね」

という病名を指摘されました。ネットで調べたら、骨格上の一種の

奇形

だそうです。

そうだったのか……

いままで何百回と医者の診察や検査を受けてきましたが、この病名を言われたのは初めてです。

重度の場合は、心肺機能に障害がでるらしいですが、障害がなくても、外見を気にして社交や結婚に消極的になる人が少なくないそうです(あ、上半身のことなので、念のため)。

障害が出る場合は手術で直せるそうですが、障害がなくても外見のために手術を考える人がいるとか。

そうだったのか……

この年になるまで、何にも気にせず、人並みに結婚して子供もできました。心肺機能もほぼ問題ありません。見た目を気にしたこともなかった。

でも、確かに、

奇形

って言われると衝撃大きいよね。むしろ、そう言われることで傷つくと思う。

この年になって、この事実を知って思いますが、機能に障害がないなら、さして気にする必要はないし(人も案外気にしてないし)、ましてリスクの高い手術を受けるなんてもってのほかです(医者も勧めないで欲しい)。

親が気にして、子供のころに手術を受けさせるケースが多いようですが、うちの親は知ってか知らずか、まったくそういうことは考えていなかったようで、よかったと思います。

一応、同病の人のために名前をお知らせしとくと、「漏斗胸」と言います。ちなみに、私はこの特徴を使って、ある音を出す特技があります(人に見せるようなものではありませんが、時々一人で楽しんでます)。

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2008年8月10日 (日)

カルシウム

結石の成分分析の結果を聞きに、病院に行きました。市川先生は休診で、代診の先生でした。

「まあ、普通のカルシウム結石ですね」

と半笑い気味に言われました。まあ、普通でよかったです。

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