言語

2010年9月11日 (土)

写生(文)、言文一致体と子規・漱石

松山坊っちゃん会の会報に投稿した原稿をアップします。

これは、平成二二年七月二五日、第三回愛媛大学写生文研究会(松山坊ちゃん会と合同開催、於愛媛大学校友会館2F)での筆者の口頭発表「写生文、漱石、(そして役割語)」に基づき、新たに書き下ろしたものです。「役割語」に関する内容は紙幅の都合上割愛しました。

合わせて、こちらもご参照いただければ幸いです。

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写生(文)、言文一致体と子規・漱石

           金水 敏(大阪大学大学院文学研究科・教授)

 言語(およびその要素である音韻、文法、語彙、文字・表記、スタイル等)は、一種の資源と見ることができます。それを得る(学習する、輸入する、開発する等)ためになにがしかのコストをかける必要がありますし、また手に入れた言語によってなにがしかの利益(経済的、知的・文化的、社会的、宗教的、安全保障的、等)を得ることができるでしょう(クルマス 一九九三、井上 二〇〇〇、水村 二〇〇八参照)。このような考え方を「言語資源論」と呼ぶこととし、この言語資源論の観点から、正岡子規や夏目漱石が目指した文学、特に写生文の果たした役割について考えてみたいと思います。

 言語資源について考える場合、音声言語と書記言語(文字言語)の違いについては十分留意する必要があります(cf. 金水 二〇〇七、金水・乾・渋谷 二〇〇八第一章)。人間は生まれてまず音声言語=母語を獲得するのであり、例外はあり得ません(手話は、音声言語の亜種と考えておきます)。話すことは人間の〈本能〉(ピンカー 一九九五)ですが、書くことはそうではありません。音声言語は、同時性、対面性という時間的・空間的・身体的な制約に縛られています(むろん、通信装置や音声・映像メディアによってその制約は弱まっていますが、本質は不変です)。書記言語は、その制約から離れることを目的として使用されます。書記言語は教育・学習によって伝承される文化です。書記言語は音声言語への何らかの回路を持つ(何らかの形で読める)ことを前提としますが、書記言語と音声言語の関係性・緊密さの在り方は、書記体・文体によってさまざまです。

 さて、漱石や子規が幼少から親しんだ書記言語とはどのようなものだったでしょうか。日常的な書簡等では、漱石も子規も後年までいわゆる候(そうろう)文を用いています。またよく知られているように、漱石も子規も漢詩・漢文に深くなじんでおり、また俳句をよくしました。もちろん子規は、近代俳句の祖として、『ホトトギス』派を打ち建てていきます。候文もそうですが、漢詩・漢文は「訓読」ということをすることによって、初めて日本語として読むことができます。また訓読文もいわゆる文語であって、話し言葉とはかけ離れています。俳句も、俗語を多く用いますが、文法的な骨格は文語文です。明治時代の実用文(法律、行政、学術、報道等)でも、正式なものであればあるほど、漢文訓読文、欧文訓読文調の文語文が主流となります。一方で口語的な文章も無いわけではありません(例『鳩翁道話』などの心学道話の筆録や人情本など)が、これらは純然たる書記言語というよりは、そこから声が聞こえてくるような、音声談話の文字化とでもいうようなテキストであり、当時の書記言語の総体の中では、あくまで周縁的な位置づけに留まります。

 幼少期に身につける音声言語=母語はいわば「本能」であり、コストがゼロに等しいとするならば、成長するにつれて身につける言語のヴァリエーション(音声・書記とも)は、母語に近ければ近いほど学習・教育のコストが減少するはずです。事実、言文一致運動とはそのような合理化をめざした、欧化政策の一環として、明治初年から政治主導で始まりました。しかし一旦言文一致運動は表面的には下火を迎え、明治三〇年代以降から再び言文一致が息を吹き返すように見える現象については、単に学習・教育あるいは政治的な観点を見るだけでなく、その文体で何が書けるか、どのような世界が開かれるかという、より知的・文化的な価値の側面を見る必要があります。たとえば、言文一致について批判的だった子規は、『筆まかせ』第一編で次のように書いています。

……はじめ文字といふ符牒のできし時は言葉通りを写せしなるべけれど 少し発達するに従つては文字を利用して 口ならば精密に長々しくいふ処も短く文章に現はし、対話ならば礼儀を守つて丁寧にいふ処も文字ならば多少略することあるに至るべし。然るに「なり」といふ言葉をやめて「です」「あります」若しくは「ございます」抔の言葉を何故に使ふや。何故に簡単なる語をすてゝ冗長なる語を用ゆるや 「ございます」といふ言も口でいゝ耳できく時は むつかしくも聞きぐるしくも思はねど 目で見、手でかく時は見にきく書きぐるし〔き〕にあらずや(後略)(「言文一致の利害」『新日本古典文学大系 明治編 正岡子規集』一六七頁)

 つまり、従来の書記言語で簡潔に書けていたことを、音声言語にそって書き直すだけでは、冗長になるだけで何ら利点がないと考えたわけです。
 しかし直ちに言文一致に向かうかどうかはともかくとして、漱石も子規も日本語の改良ということに関しては生涯をかけて取り組んでいるには違いありません。ここで論の補助線として、齋藤希史氏の『漢文脈と近代―もう一つのことばの世界』から引用したいと思います。

……そもそも中国古典文は、特定の地域の特定の階層の人々によって担われた書きことばとして始まりました。逆に言えば、その書きことばによって構成される世界に参入することが、すなわちその階層(=士大夫。引用者注)に属することになるわけです。(二五頁)

……つまり明治初期では、現代かそうでないかの境界は、文語と口語の間にあったのではなく、漢文と訓読文との間にあったのです。訓読文を今文体と呼ぶ時に想定されている古体とは、つまり漢文なのです。漢文は不自由である。旧来の桎梏に縛られている。訓読文は有用で自由な文体である。文明開化の世にふさわしい文体である。そういうわけなのです。(一〇〇頁)

……言文一致の特徴である口語性は、目の前にある事物や心を、ことばの集積とは無関係であるかのようにそのまま表現するという志向を促進するために採用されているのであって、その志向自体は、漢文から訓読文への転換によって始まったものなのです。そして、さらなる離脱のために、古典文の要素をいっそう払拭するために、より透明なことばへと向かうために、口語への接近が図られたのだと言ってよいのです。訓読文は、『佳人之奇遇』のような漢文脈に大きく依拠した小説を書くことも可能にしてしまいます。そうした反動を阻止するためにも、言文一致体は必要でした。簡単に言うと、訓読文が脱=漢文だとするなら、言文一致体は、反=漢文として成立しているものなのです。(二〇七~二〇八頁)

 つまり、漢文脈でものを書くということは、「士大夫」の思想世界に参入することとイコールである、そのことから自由になるために文体を変えることが必要だった、という説明です。文体と内容とは自由な関係になく、互いに依存しあっているという認識です。面白いのは「目の前にある事物や心を、ことばの集積とは無関係であるかのようにそのまま表現するという志向」という部分で、これを「口語性」という文脈から外すと、そのまま「写生」の説明になります。子規の場合、「ことばの集積」とは「月次」の世界です。月次をいかに脱却するか、そのことの手がかりとして「写実」あるいは「写生」という概念があったのでしょう。またその概念は、子規が大学で学んだ、自然科学に起源を持つようです。勝原晴希「江戸の身体、明治の精神」から引用します。

 このようなIdeaの追放に役立ったのは、江戸の水流を引き継ぐ合理主義と、西洋に由来する自然科学的態度との結びつきであったと思われる。(中略)子規の二重性は後年、「吾の美とする所は理想にもあり、写実にもあり、理想的写実、写実的理想にもあり、而して吾の不美とする所も亦此等の内に在り」(「我が俳句」三号、明治二十九年)、「空想と写実と合同して一種非空非実の大文学を製出せざるべからず」(『俳諧大概』明治三十二年)という位置へと結実して行くことになる。
 やがて「写生」へと繋がることになる子規の二重性は、「古池の吟」(一〇八頁)にも現れている。芭蕉のこの句は「深意に至ては我々の窺ふべきにあらず」とされていたが、スペンサーの文体論の「一部をあげて全体を現はし」云々に思わず机を打ったと、子規は記している。「悟りて後に考へて見れば、格別むずかしき意味でもなく、たゞ地(「池」の誤りか)の閑静なる処を閑の字も静もなくして現はしたるまで也」と。(四八一~四八二頁)

 さて、ここでIdeaと引かれているのは、『筆まかせ』にも収められている、若き漱石が子規に送った書簡によっています。要約すると、漱石は、子規の書くものにidea itselfあるいはoriginal ideaがないと非難し、子規はrhetoricがあればそれで十分だ、と答えています。漱石のideaはおそらく西洋文学から受け継いだものでしょうが(亀井 二〇一〇)、当時の漱石が何を意図したかはおいて、それをたとえば「近代的自我(の探求)」と置き換えてみるならば、漱石と子規の肌合いの違いもかなり明瞭になるかもしれません。ここで、柄谷行人(一九八〇)『日本近代文学の起源』から引用します。

……日本の近代文学は、いろんな言い方はあっても、要するに「近代的自我」の深化として語られるのがつねである。しかし、「近代的自我」が頭の中にあるかのようにいうのは滑稽である。それはある物質性によって、こういってよければ、"制度"によってはじめて可能なのだ。つまり制度に対抗する「内面」なるものの制度性が問題なのである。
したがって、私は「内面」から「言文一致」運動をみるのではなく、その逆に、「言文一致」という制度の確立に「内面の発見」をみようとしてきた。そうでなければ、われわれは「内面」とその「表現」という、いまや自明且つ自然にみえる形而上学をますます強化するだけであり、そのこと自体の歴史性をみることはできない。たとえば、『浮雲』や『舞姫』における「内的格闘」を云云するとき、ひとはそれらの文学表現(エクリチュール)を等閑に付している。まるで、「内面」がエクリチュールの問題と切りはなされて存在するかのように。重要なのは、「内面」がそれ自体として存在するかのような幻想こそ「言文一致」によって確立したということである。(六七頁)

 子規が煩わしいと感じた、音声言語には必須であった敬語要素等をそぎ落とし、より「透明なことば」(齋藤・前掲)によってあたかも「内面」が露出しているかのような表現が可能になった時、言文一致は完成したと言えるでしょう。それは音声言語と緊密に連携を保ちながら、しかし音声言語そのものではなく、新しい書記言語の文体として生み出されたのであり、それによって漢文、漢文訓読文、和文等の伝統的文体が持ち得ない近代的価値がもたらされたのです。そのことが周知の事実となったとき、言文一致体がはじめて市民権を得たのだと考えられます。

参考文献

井上史雄 (2000)『日本語の値段』大修館書店
勝原晴希 (2003)「江戸の身体、明治の精神」『正岡子規集』新日本古典文学大系 明治編、471~485頁、岩波書店
亀井俊介 (2010) 「帝大英文科学生 夏目漱石」『文学』第11巻第2号、206~224頁、岩波書店
柄谷行人 (1980) 『日本近代文学の起源』 講談社
金水 敏 (2003) 『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』岩波書店
金水 敏・乾 善彦・渋谷勝己(共編著) (2008) 『日本語史のインタフェース』シリーズ日本語史、4、岩波書店
クルマス、フロリアン(著)諏訪功・菊池雅子・大谷弘道(訳) (1993) 『ことばの経済学』大修館書店
齊籐希史 (2007)  『漢文脈と近代―もう一つのことばの世界』日本放送出版協会
ピンカー、S.(著)椋田直子(訳) (1995) 『言語を生みだす本能(上)・(下)』日本放送協会 (原著)Pinker, S. (1994) The Language Instinct, William Morrow and Company, New York.
水村美苗 (2008) 『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で―』筑摩書房

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2010年8月29日 (日)

日本語の将来を考える視点

公開シンポジウム「日本語の将来」(2010/9/19)で私が発表する予定の原稿(暫定稿)をアップしました。

「日本語の将来を考える視点―「言語資源論」の観点から―」

http://bit.ly/daqoGn

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2010年7月30日 (金)

公開シンポジウム「日本語の将来」

イベントのお知らせです。シンポジストとして参加します。
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公開シンポジウム
(主催 日本学術会議・言語系学会連合,後援 国立国語研究所)
7月26日 (月) 参加申し込み受付開始
日 時 : 2010年9月19日 (日) 13:00~17:00
会 場 : 日本学術会議 講堂 (東京都港区六本木7-22-34)
テーマ : 日本語の将来
講 師 : 金水敏,滝浦真人,荻野綱男,木部暢子,鳥飼玖美子
定 員 : 300名 (参加費無料)
※プログラムの詳細はこちらをごらんください。 (プログラム
※お申し込みは日本学術会議ウェブサイトより。 (定員に達し次第,受付終了)
問い合わせ先 :
日本学術会議事務局企画課公開講演会担当
 TEL: 03-3403-6295 / FAX: 03-3403-1260

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2010年3月17日 (水)

出発の歌

NHK FMで、「別れ」をテーマにした流行歌特集。

上條恒彦と六文銭の「出発(たびだち)の歌」がかかる。

これって、“自己言及”歌の一つですね。歌詞の中に「出発の歌」ということばが出てくる。

「出発の歌」の中に歌われている「出発の歌」は、どんな「出発の歌」なのか?

http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=5850

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2010年3月14日 (日)

特別集中講義

宣伝です。有料で申し訳ありません。

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東京言語研究所・特別集中講義のご案内

東京言語研究所では、言語学の研究者の方々ならびに言語学に興味をお持ちの方々を対象に〔理論言語学講座〕をはじめとして様々を講座を開設しておりますが、この度あらたに「特別集中講義」を開催することといたしました。<特別集中講義>は、多様な研究領域に関して、より多くの方々の受講が可能な条件を勘案し企画いたしました。ぜひご参加ください。

<演題>:「日本語存在表現の歴史」
<講師>:金水敏氏〔大阪大学大学院文学研究科教授〕
<日時>2010年3月27日(土) 13:00~16:30

28日(日) 9:00~17:10
<講義内容>
講義1 存在文・存在動詞の分類
講義2 「いる(ゐる)」の歴史(上代~鎌倉)
講義3 「いる」の歴史(室町~現代)
講義4 「ゐる」と「をり」の関係(上代~鎌倉)
講義5 「いる」と「おる」の関係(室町~現代)
講義6 地理的分布と歴史

<会場>東京言語研究所(新宿区西新宿6-24-1 西新宿三井ビル13階)

<参加費>15,000 円

<申込み>メールまたはFAX にて下記をご連絡下さい。(定数:先着50名)
①特別集中講義受講希望②氏名③住所④電話番号⑤メールアドレス
⑥区分(会社員・教職員・大学院生・大学生・その他)
※(この情報は受講手続きにのみ使用いたします。)

講師紹介: 1956 年生まれ。大阪女子大学助教授、神戸大学助教授等をへて、現在大阪大
学大学院文学研究科教授。著書『ヴァーチャル日本語役割語の謎』(岩波書
店)『日本語存在表現の歴史』(ひつじ書房)他

○ 問合せ先
東京言語研究所
〒160-0023 東京都新宿区西新宿6-24-1 西新宿三井ビル16階
TEL:03-5324-3420 FAX:03-5324-3427
E-mail:info@tokyo-gengo.gr.jp ホームページ:http://www.tokyo-gengo.gr.jp/

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2010年3月13日 (土)

ロボット演劇

私のエッセーを含む下記図書が出版されました。とても綺麗な写真満載の、ビジュアルムックです。平田オリザさんのシナリオ、平田さんと石黒浩さんの対談、エッセーなど多彩な内容を含んでいます。

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大阪大学コミュニケーションデザイン・センター(編)(2010)『ロボット演劇』大阪大学出版会

私のエッセーを途中まで(けち!)貼り付けます。全部お読みになりたいかた、ぜひ本書をご購入ください(けち!)

「ええ、まぁ」の言語学―タケオと桃子は二つの"フェイス"の夢を見るか―

金水 敏

 私は「働く私」を見ていて、ロボットが口にした「ええ、まぁ……」という台詞を聞いた時、衝撃を受け、背筋に戦慄が走った。

*祐治、CDをセットしてスイッチを押す。
  「ロボコップ」のテーマが流れる。
郁恵  えぇ?
祐治  どう?
・・・
祐治  (ロボットBに)どう?
ロボB はぁ、
祐治  これ、元気でんじゃない?
ロボB えぇ、まぁ、
       (心なしか、リズムに合わせて、身体をかすかに回しはじめる)

 祐治は、働く気力を失ったロボットA(タケオ)を鼓舞しようとして「ロボコップ」のテーマを聞かせることを、ロボットB(桃子)に提案してみるのだが、ロボットBはその行為の有効性に確信が持てず、その上で、否定的反応によって祐治を傷つけることをおもんぱかり、その結果あえて発した返答がこの「ええ、まぁ」だったのである(この場所以外に、ロボットBは「まぁ、どうでしょう?」「はい・・・まぁ」というせりふを話し、いずれも、似たニュアンスで用いられている)。
 なぜ、私はこのせりふに衝撃を受けたのだろうか。それは、「ええ、まぁ」が、私にとって最も"ロボットらしくない"せりふであるように感じられたからであり、そしてそのことこそが平田さん(平田オリザ氏は私の勤務先の同僚なので、こう呼ばせていただきます)がこのロボット演劇に仕掛けた"わな"なのだろうと感じとった。
 私たちが想像するロボットの会話と言えば、だいたい次のようなものである(平板な、機械的音声を思い浮かべてください)。

  「はい、分かりました」
  「今お持ちします。しばらくお待ちください」
  「計算できません」
  「その単語は、私の知識にありません」

 すなわち、必要最小限の内容を直接的に伝える、よく言えば"効率的"な、悪く言えば"無味乾燥"な受け答えである。むろん、本当にロボットと会話した人はほとんどいなかったはずで、これはSF映画などに登場する、架空のステレオタイプなロボットのせりふである。こうしたSF作品の制作者は、どうせロボットには"人間的"なやりとりなど高度すぎて出来ない(と観客が思う)だろうと見積もった上で、むしろその愚直さ、たどたどしさを楽しむ"トリックスター"的なキャラクターとしてロボットを利用するのが通例であった。いわば、はやりの言葉で言えば、いささかKY(空気読めない)な道化師的存在としてロボットは扱われてきた。そのようなロボットに対する思い込みを、平田さんは冒頭から外しにかかった。そのことを最も象徴的に表したせりふが「ええ、まぁ」だったのである。
 ここで、問題の核心に迫るために、ロボットの会話と「ええ、まぁ」の機能について、語用論 (pragmatics) という一種の意味論の立場から考えてみたい。意味論学者のグライス(H. P. Grice)は、すべての会話の参加者は次のような協調の原理(cooperative principle)に従わなければならないと仮定した(Grice 1975)。

(以下略)

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2010年1月 7日 (木)

ニュース字幕の“ら抜き”

さきほど、よみうりテレビ(日テレ系列)18:30からのニュース番組で、画面下に掲示された字幕に“ら抜き”がありました。世界最大の3D薄型ディスプレイが発売されたことを伝えるニュースの中でした。

めがねをかけることによって立体映像が見れる

口頭表現ではもはや標準的と言ってもいいほど広まっていますが、報道番組の字幕ではかなりめずらしいのではないでしょうか。とっさのことで、写真を撮れなかったのが残念です。

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2010年1月 1日 (金)

今日の古書自慢

年末、大阪某所の古書店で、『近畿方言の総合的研究』(楳垣実編、三省堂、1962)を

1000円

で落掌いたしました。

古書店のネットで検索すると、8400円~12000円で取引されています。

「大阪府立能勢高等学校」所蔵本の廃棄本のようです。

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2009年10月29日 (木)

えらいこと

桂米朝師匠が文化勲章を授与されたことを伝える朝日新聞の記事で、米朝師匠の談話として、

えらいこってんやろな

という見出しが出ていました。米朝師匠らしい、大阪弁の談話として見出しに取り入れられたのだろうと思いますが、しかしこれは大阪弁としては誤りだと思います。正しくは、

えらいこってんやろな

だと思います。このフレーズ、丁寧に言うと、

えらいことですねんやろな

となり、これを共通語に翻訳しますと、

(きっと、世間的には)大変なことなのでしょうね

になります。「自分としては、それほど実感がないのだが」という師匠の戸惑いにもにた感情が表されています。

もとの見出しに抜けていた「ね」は「ねん」すなわち「のだ」にあたる形態素で、この文にとっては必須です。たとえ一音節でも、一瞬にして聞き取って解析できる、これが「母語」の能力というものなのでしょう。

ちなみに、

もう宿題だしてんやろな
(もう宿題をだしたのだろうね)

のように動詞につながる場合は、「てんやろ」という接続は可能です。最初の師匠の談話の中の「てん」は共通語「です」に当たるもの、上の動詞につながる「てん」は「~たのだ」に当たるもので、語源がことなるわけです。

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2009年7月24日 (金)

日本語における中心と周縁

ここで日本語の方言について書きましたので、ついでにこちらも上げておきました。ご参照ください。

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より以前の記事一覧