日本語の教室より(続)
2月24日に引用させていただいた、「た」さんのコメントに関連して、少し書いておきます。
一つの問題は
- 日本語教育において、日本語の表現に現れる性差をどう教えるか
ということなのだろうと思います。初級の段階だと、「です・ます」体だけで性差があまり出ないので、さして問題はないのですが、中級に入ると、プライベートな対話が入ってくるし、終助詞も使うようになるので、いろいろ問題が起きてくると思います。代名詞の問題ももちろんあって、男性の場合は、「ぼく・おれ」問題が発生することになりますが(この記事参照)。
困るのは、
- メディアに現れる表現と、現実の対話の間に、大きな乖離がある
ことです。即ち、「今日は雨だわ」「あら、すてきな指輪ね」それに「これ、いただいてもいいかしら」といった女性特有表現は、日常的にテレビやら読み物やらに現れているわけですが、現実にこういった話し方をする人は、少数派になりつつあるのですね。不正確な直感ですが、東京方言圏でも、40代と30代の間あたりに、大きな溝がありそうです。年配の人でも、いつも使うわけでなく、また人によってよく使う人、使わない人、さまざまです。
ですから、若い学生が「このティッシュ、使ってもいいかしら」というと、大変滑稽に聞こえる。ところが、受容のための知識としては、まだまだ必要だと思います。つまり「ダブル・スタンダード」状態になっているのです。
ソウルの大学で現役で日本語を教えていらっしゃる、40代の女性に聞いた話では、教材を作るときに「今日は雨だわ」的な表現を入れるか入れないかで、同僚の30代の教師ともめたそうです。その40代の先生は、「絶対入れるべき」と主張されたのですが、30代の教師に「『だわ』はやめてよ~」と強く抵抗されたのだとか。
性差を示す表現以外にも、場に合わせて適切なスタイルを使い分けるというのは、かなり微妙な感覚が必要で、教科書的に整理するというのは素人考えでは極めて難しいことに思われます。一昨年、ゼミ旅行に行ったとき、女子学生同士で雑談している中で、中国から来た留学生が
「さあ皆さん、お茶の時間にしましょう!」
と言ったら、そこにいた日本人学生たち全員が笑ってしまったそうです。この留学生は日本語が大変上手だし、この表現自体、文法的・意味的にパーフェクトなのですが、会話の雰囲気の中では、すごく浮いて聞こえてしまうのですね。関西方言コミュニティーであったというせいもあるのでしょうが。
もちろん、上の表現でも、それにふさわしい場が与えられれば不自然でなくなるでしょう。会話場面のカジュアルさ、フォーマルさをどのように見積もるか、またそのカジュアルな度合いによって、どのようなスタイルを使うか、ノン・ネイティブに教えるのはすごく難しい気がします。あるいは「どのスタイル」という風に分類すること自体が可能なのかどうか、私にはよく分かりません。
というわけで、結局、「た」さんのご質問には、まともに答えられないわけです。ごめんなさい。日本語教師の方、いっぱい悩んでね。
なお、「た」さんが指摘している「『役割語』の意図的な『習得』または『利用』」の問題については、後日書きます。
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