『誤訳の事情』より(3)
同じく、下記の本からの抜き書きです。
直井明 (2003) 『海外ミステリ 誤訳の事情』原書房, ISBN:4-562036-65-6
老人ことばはやめてくれ
翻訳小説で気になるのは、老人のしゃべる言葉遣いだ。一九五九年に訳出された『大いなる眠り』では、スターンウッド将軍の言葉は「煙草のにおいはいいものじゃ」「はでな人生の退屈千万な残骸ですわい」「いやらしいものじゃ」「君のことを話してくだされ」「わしもそうじゃった」という口調で訳されている。ロス・トーマスの邦訳にも「あいつはわしを見捨てたわけじゃ」と語る老人が出てくる。
老人の話し言葉が不当にも定型化されており、現実にはそんな口調でしゃべる老人はすでに絶滅している。事実、古希を過ぎた私の同期会でも、「君のことを話して下され」などという奴は一人もいない。年をとったらこんな風にしゃべらなきゃいけないという認識は全くないのに、若い人の方が老人の――何歳以上が老人かという微妙な問題もあるが――話し言葉はかくあるべしと思っている気配がある。六四年生まれの乱歩賞受賞作家までが「そうじゃよ」「みすぼらしい寺じゃったが」としゃべる老人を登場させているのだ。老人言葉を使う老人は絶滅しているのに、小説の中で生き残っていくのは困る。(pp. 121)
直井氏の感想はよく分かりますが、しかし老人言葉が江戸時代に起源を持つと知ったらどう思われるでしょうか。「小説の中で」しぶとく「生き残っていく」のが役割語の特徴なのでしょう。
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