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2006年8月15日 (火)

『誤訳の事情』より(5)

同じく、下記の本からの抜き書きです。

直井明 (2003) 『海外ミステリ 誤訳の事情』原書房, ISBN:4-562036-65-6

“強烈なサスペンスが全篇に横溢する正統ハードボイルド大作”と帯に書かれた七百三十ページの厚い文庫本を読み、訳者の日本語に対する古典的感覚に驚いた。私よりかなり若い人なのに、妙に古くさい言葉を使っているのだ。「ご両人」という呼びかけが何度も出てくるし、意味は解るが、いまだかつて使ったことのない「緘黙をまもった」という表現も使われている。
 「かつてのここは?」という質問が「この建物は昔は何だったのか」との意味だとは、即座には理解できなかった。(中略)「彼女は破顔一笑した」という訳文には唖然とした。「破顔一笑」したのは“富豪夫人”で、女性が破顔一笑してはいけないルールはどこにもないが、私に限らず、まわりの人たちに聞いても、これは男の笑い方で、女性の場合に「破顔一笑」を使うのは変だとの意見だった。
 探偵が教授と来るまで出かける場面で、

  「このあたりの地理はまったく知らない、教授――指南役になってもらいます」
  「合点、心得た」

 教職歴五十年の教授が「合点、心得た」なんて言うだろうか。まるで捕物帳だ。“指南役になってもらいます」も「道案内をお願いします」程度でよかったと思う。
(中略)
 この小説は一九三三年からの数年間を背景にしている。好意的な読者は、訳者が古い表現を使ったのは時代的な雰囲気を出すためだと解釈していると聞いたが、もし、そうであるとしても、「破顔一笑」や、「合点、心得た」が時代的雰囲気を作るのに役立っているとは思えない。効果としては、むしろマイナスである。この作品の原書は読んでいないが、同じ原作者のやはり一九三〇年代を舞台にした同じ主人公の登場する作品は読んだ。その印象では、わざわざ古めかしい表現とルビつきの漢字を入れて訳すべき文体であるとは見えなかった。(pp. 148-150)

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