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2006年8月15日 (火)

『誤訳の事情』より(6)

同じく、下記の本からの抜き書きです。これで終わりです。

直井明 (2003) 『海外ミステリ 誤訳の事情』原書房, ISBN:4-562036-65-6

 ドイツ語圏のミステリ小説の中に「さてさて、刑事殿……」という訳文が出てきて、びっくりしたことは、先にふれたが、この小説は一九三六年に書かれたもので、一九九八年に初めて訳出されたとき、新聞の書評が「刑事の実証的捜査方法と石の精神分析的方法がぶつかり、ねじり合わされて、事件の謎はついに解明される。本書は謎解き探偵小説としての展開が、とびきりスリリング……」と激賞しているので、そんなに面白い本ならと読み始めたが、立ち往生してしまった。
 会話の文体があまりにも異質なのだ。日頃、米英のミステリ小説ばかり読んでいるために、こちらの感覚が毒され、ずれているのかとも反省したが、この文体は尋常ではない。
 警視監なる人物が「治療は奈辺にありましょうか?……〈分析〉ですと?」と難しい台詞を口にする。「さてさて、刑事殿、あなたがどなたかやっと思い出しました」と言うのもこの男で、彼は続けて「いつぞやあなたの身にはひどい不正が起こった。しかしあのときは多大な利益が関与していて、わたしにはああするよりほかなかった……手を打ちましょうや?」と言う。
 「不正が起こった」「多大な利益が関与」というのは、消化不良のまま活字にしてしまった直訳のように聞こえる。もう少し会話らしい文章にできなかったのか。警視監が階級的には下位の刑事を刑事殿と呼び、丁寧な口調で話しかけているのは、過去に彼らの間にあったトラブルのせいなのだが、それにしても、もう少し、普通の会話にしてもよかったはずだ。
 (中略)前に引用した“正統ハードボイルド大作”の訳者の場合と同じように、一九三六年に書かれた作品だから古い感じを出すべきだと思いこんだのではないか。(pp. 151-153)

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