ステレオタイプ・メモ
岩波書店『文学』企画の座談会のために作った、「ステレオタイプ」に関するメモをアップしておきます。
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岩波書店『文学』企画の座談会のために作った、「ステレオタイプ」に関するメモをアップしておきます。
音響学会に招待されたので、発表してきます。かなりごりごりの理系的学会なので、合うかどうか分かりませんが。ある意味楽しみです。
日本音響学会2006年秋季研究発表会
期 日 2006年9月13日(水),14日(木),15日(金)
会 場 金沢大学角間キャンパス 金沢市角間町
金沢大学URL[http://www.kanazawa-u.ac.jp/j/]
総合受付電話番号;Tel.090-3221-8530(9/13-9/15)
※研究発表会開催案内等[http://oak.ec.t.kanazawa-u.ac.jp/~asj/]
実行委員長 船田 哲男 教授(金沢大学)第6会場 スペシャルセッション音声B[音声合成のための言語処理技術]
午後-前半(13:00~14:00)[音声合成のための言語処理技術I] 座長 田中 和世 副座長 籠嶋 岳彦
3-6-7 (招待講演)役割語とは何か --音声的アプローチも含めて--(30分) ○金水 敏(大阪大学)… (75)
3-6-8 (招待講演)音声合成用制御記号の規格化(30分) ○赤羽 誠(ソニー・コンピュータエンタテインメント)… (75)
高橋誠さんという方のホームページに、次のお二人による「ホビット」翻訳を比べた分析が載せられています。
『ホビット ゆきてかえりし物語』ダグラス・A・アンダーソン注 山本史郎訳 原書房 第1刷 97.11.10 448, VI p 208mm × 158mm 2,300円 ISBN4-562-03023-2
原書房版『ホビット』について
http://hobbit.ddo.jp/tolkien/hara.html
この中で、「不自然な会話」「いなさんからの感想」という部分が役割語に深い関係を持っています。私の見方で言えば、「役割語に適切な配慮が払われていない翻訳は読みにくい」ということではないかと思います。
拙著の読者である横山隆さんから、以下のように、「メイルゲーム」についてご報告いただきました。
はじめまして。横山と申します。
先日『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』を拝読し、先生に御報告したい素材がありましたのでメールをお送りいたしました。
先生は「メイルゲーム」という遊びを御存知でしょうか。簡単に言うと、物語の登場人物を作って物語に参加するゲームです。媒体に手紙を使うので「メイルゲーム」と呼ばれます。
そのメイルゲームにおいて、自分が動かす登場人物を作成する際に、その登場人物の口調として「役割語」を設定していた事に気がつきました。これらはリストの中から選択する事になっており、
一人称なら
●僕
●私
●あたし
●俺
●おいら
等。
二人称なら
●君
●あなた
●おまえ
●汝
●貴殿
等。
口調なら
●普通の男性口調「~だ」「~ぞ」
●普通の女性口調「~よ」「~だわ」
●老人口調「~じゃ」「~じゃな」
●断定的な口調「~である」「~なのだ」
等。
といった中から選ぶ事になっています。
例として、『帝都双月魔術陣』という作品で私の動かした登場人物「高柳志乃(16歳・女医)」の場合は一人称:私
二人称:~様
口調:丁寧「~です」「~ます」
というふうに設定しました。
中味が流動的な小説という舞台であるために、各登場人物のキャラクターを明示する必要があるためではないか、と愚考いたします。
一種の、RPG (role playing game)のようにも見えますね。横山さんが上げていらっしゃる、メイルゲームについてのサイトをご紹介しておきます。
「これ役割語と関係ありますよね」
と言って、くださいました。
黒瀬珂瀾(著)竹(表紙・口絵イラスト)(2005)『カラン卿の短歌魔宮』(私家版)
黒瀬氏は新進気鋭の歌人で、オタク短歌を提唱し、毎月最終金曜日の読売新聞夕刊「POPカルチャー」面で「カラン卿の短歌魔宮」を連載されています。本書は、その連載をもとに、直言兄弟(石川汗太/福田淳)さんが編集、脚注を付し、竹さんがイラストを添えて製本されたもので、700円でコミケで販売されたそうです。
黒瀬珂瀾氏扮するカラン卿の話体と作品は次のようなものです。
誰だ、余の眠りを妨げる者は……ふむ、歌を侮る輩(やから)が月光の森のわが魔宮に迷い込んだな。余はオタク短歌の伝道師、カラン卿とでも名乗っておこう。お前か、『短歌は古くさい、ケッコウなご趣味』などと思っておるのは? 愚か者め! 短歌はつねに時代の最先端に切り込み、時代を映す鏡となってきた。オタク文化全盛の現代こそ、短歌は輝きを増すということに気付かぬとは……縛り首ものだ! まあよい、余の作を見せてやろう。
今日もまた渚カヲルが凍蝶の愛を語りにくる春である 歌集『黒耀宮』より
また、直言兄弟さんの脚注には、次のようにあります。
■『黒耀宮』 カラン卿こと黒瀬珂瀾氏の第一歌集。ながらみ書房刊。残念ながら現在は絶版。ほとんど短歌に関心のなかった直言兄(石田)が、黒瀬氏を紹介した新聞記事中の引用歌〈違ふ世にあらば覇王となるはずの彼と僕とが観覧車にゐる〉の一首にビビッと来て、連載コラムをいきなり依頼した逸話は有名(?)。「初対面で、黒瀬氏のあまりのイケメンぶりと、ディープなおたく度との乖離にショックを受けた」と、直言兄は述懐する。直言兄が提案したカラン卿の「余」キャラクターについて、当初黒瀬氏はかなり難色を示していた。今ではすっかり第二の人格に。
カラン卿の話体は、老人語に近いですが、「じゃ」は使いませんね。デーモン木暮閣下に少し近いようです。
同じく、下記の本からの抜き書きです。これで終わりです。
直井明 (2003) 『海外ミステリ 誤訳の事情』原書房, ISBN:4-562036-65-6
ドイツ語圏のミステリ小説の中に「さてさて、刑事殿……」という訳文が出てきて、びっくりしたことは、先にふれたが、この小説は一九三六年に書かれたもので、一九九八年に初めて訳出されたとき、新聞の書評が「刑事の実証的捜査方法と石の精神分析的方法がぶつかり、ねじり合わされて、事件の謎はついに解明される。本書は謎解き探偵小説としての展開が、とびきりスリリング……」と激賞しているので、そんなに面白い本ならと読み始めたが、立ち往生してしまった。
会話の文体があまりにも異質なのだ。日頃、米英のミステリ小説ばかり読んでいるために、こちらの感覚が毒され、ずれているのかとも反省したが、この文体は尋常ではない。
警視監なる人物が「治療は奈辺にありましょうか?……〈分析〉ですと?」と難しい台詞を口にする。「さてさて、刑事殿、あなたがどなたかやっと思い出しました」と言うのもこの男で、彼は続けて「いつぞやあなたの身にはひどい不正が起こった。しかしあのときは多大な利益が関与していて、わたしにはああするよりほかなかった……手を打ちましょうや?」と言う。
「不正が起こった」「多大な利益が関与」というのは、消化不良のまま活字にしてしまった直訳のように聞こえる。もう少し会話らしい文章にできなかったのか。警視監が階級的には下位の刑事を刑事殿と呼び、丁寧な口調で話しかけているのは、過去に彼らの間にあったトラブルのせいなのだが、それにしても、もう少し、普通の会話にしてもよかったはずだ。
(中略)前に引用した“正統ハードボイルド大作”の訳者の場合と同じように、一九三六年に書かれた作品だから古い感じを出すべきだと思いこんだのではないか。(pp. 151-153)
同じく、下記の本からの抜き書きです。
直井明 (2003) 『海外ミステリ 誤訳の事情』原書房, ISBN:4-562036-65-6
“強烈なサスペンスが全篇に横溢する正統ハードボイルド大作”と帯に書かれた七百三十ページの厚い文庫本を読み、訳者の日本語に対する古典的感覚に驚いた。私よりかなり若い人なのに、妙に古くさい言葉を使っているのだ。「ご両人」という呼びかけが何度も出てくるし、意味は解るが、いまだかつて使ったことのない「緘黙をまもった」という表現も使われている。
「かつてのここは?」という質問が「この建物は昔は何だったのか」との意味だとは、即座には理解できなかった。(中略)「彼女は破顔一笑した」という訳文には唖然とした。「破顔一笑」したのは“富豪夫人”で、女性が破顔一笑してはいけないルールはどこにもないが、私に限らず、まわりの人たちに聞いても、これは男の笑い方で、女性の場合に「破顔一笑」を使うのは変だとの意見だった。
探偵が教授と来るまで出かける場面で、「このあたりの地理はまったく知らない、教授――指南役になってもらいます」
「合点、心得た」教職歴五十年の教授が「合点、心得た」なんて言うだろうか。まるで捕物帳だ。“指南役になってもらいます」も「道案内をお願いします」程度でよかったと思う。
(中略)
この小説は一九三三年からの数年間を背景にしている。好意的な読者は、訳者が古い表現を使ったのは時代的な雰囲気を出すためだと解釈していると聞いたが、もし、そうであるとしても、「破顔一笑」や、「合点、心得た」が時代的雰囲気を作るのに役立っているとは思えない。効果としては、むしろマイナスである。この作品の原書は読んでいないが、同じ原作者のやはり一九三〇年代を舞台にした同じ主人公の登場する作品は読んだ。その印象では、わざわざ古めかしい表現とルビつきの漢字を入れて訳すべき文体であるとは見えなかった。(pp. 148-150)
同じく、下記の本からの抜き書きです。
直井明 (2003) 『海外ミステリ 誤訳の事情』原書房, ISBN:4-562036-65-6
自分で小説を書くのだったら、主人公が自分を「おれ」と言うか「私」「あたい」と言うか、その人物の生い立ちや環境によって自然に選んで使い分けるだろうが、翻訳小説の場合は、その人物の性格や生活背景を見きわめて、翻訳者が決めねばならない。手許にある本の会話から拾い出してみると、サム・スペードは「おれ」、ルー・アーチャーは「わたし」、ニール・ケアリーは「ぼく」となっていて、どれも順当な選択だ。サム・スペードが「ぼく」という場面は想像しにくいし、ケアリーが「おれ」と言うと彼の人柄も作品の雰囲気も変わってきそうだ。フィリップ・マーロウは、訳者によって、「私」「僕」「ぼく」「おれ」、ディヴ・ロビショーは「ぼく」と「わたし」に分かれている。
向井敏氏は著書『探偵日和』の“「おれ」か「私」か”と題する章で、田中小実昌氏と清水俊二氏がそれぞれ訳したチャンドラーの『高い窓』の文体を比較し、田中訳ではマーロウに「おれ」と言わせたので「威勢のよすぎるマーロウ」になっていると指摘する。清水訳では「私」だ。向井氏の引用例のなかから両者の違いが最も明確な箇所を孫引きさせていただこう。訪ねてきた男がマーロウを見て言う。Aが田中訳、Bが清水訳である。A 「すこし失望したな。きたない爪をした、ゴリラみたいな男だとおもったのに――」
B 「少々あてがはずれたよ。もっと指の爪がよごれた男だろうと思っていた」
マーロウがその訪問者を観察する。
A “椅子の背によりかかって、退屈した貴族みたいに笑いやがった”
B “退屈をもてあましている貴族のような微笑をうかべて、椅子の背にもたれた”これだけの比較でも、二人の訳者の持つマーロウ像の違いが歴然としている。向井氏によると、訪問者の“ゴリラみたいな男」というマーロウ批評は原作にないとのことで、明らかに田中訳は暴走している。原文にない言葉を自分の判断で入れてしまうのでは、翻訳ではなく、まるで自分で小説を書いているようなものだ。また、「おれ」という主語から出た流れとして、訪問者の笑いも“笑いやがった”と訳されていて、マーロウがやくざっぽく見えるが、この笑いは原文ではsmileとなっている由。smileは笑い声を伴った笑いではないし、歯をむき出しにしてにやりとする笑いでもないのだから、“笑いやがった”と訳したのでは、ほとんど誤訳に近いほど、語感が原文と離れてしまっている。(pp. 138-140)
同じく、下記の本からの抜き書きです。
直井明 (2003) 『海外ミステリ 誤訳の事情』原書房, ISBN:4-562036-65-6
老人ことばはやめてくれ
翻訳小説で気になるのは、老人のしゃべる言葉遣いだ。一九五九年に訳出された『大いなる眠り』では、スターンウッド将軍の言葉は「煙草のにおいはいいものじゃ」「はでな人生の退屈千万な残骸ですわい」「いやらしいものじゃ」「君のことを話してくだされ」「わしもそうじゃった」という口調で訳されている。ロス・トーマスの邦訳にも「あいつはわしを見捨てたわけじゃ」と語る老人が出てくる。
老人の話し言葉が不当にも定型化されており、現実にはそんな口調でしゃべる老人はすでに絶滅している。事実、古希を過ぎた私の同期会でも、「君のことを話して下され」などという奴は一人もいない。年をとったらこんな風にしゃべらなきゃいけないという認識は全くないのに、若い人の方が老人の――何歳以上が老人かという微妙な問題もあるが――話し言葉はかくあるべしと思っている気配がある。六四年生まれの乱歩賞受賞作家までが「そうじゃよ」「みすぼらしい寺じゃったが」としゃべる老人を登場させているのだ。老人言葉を使う老人は絶滅しているのに、小説の中で生き残っていくのは困る。(pp. 121)
直井氏の感想はよく分かりますが、しかし老人言葉が江戸時代に起源を持つと知ったらどう思われるでしょうか。「小説の中で」しぶとく「生き残っていく」のが役割語の特徴なのでしょう。
同じく、下記の本からの抜き書きです。
直井明 (2003) 『海外ミステリ 誤訳の事情』原書房, ISBN:4-562036-65-6
あるアクション物からの引用だが、
A「そうかなあ……あんた、本気でそう思ってるの?」
B「ところで、何が言いたいの?」
A「あんた、昨夜、ベルファストの件で何を見ました? 情報、テレビ……」対話の中で質問に対して質問で答えるのは傲慢のあらわれであるとの警句があり、この会話もその形になっているが、それはさておき、AとBの性別、人物関係、職業、年格好などがこの会話から多少とも想像できますか?(解答はこの章の終わりを見てください)(pp. 116)
それで、「解答」部分を合わせて引用します。
ところで、116ページに引用した会話のAは英国の北アイルランド担当大臣、Bは“サー”の称号を持つテロ対策特別本部の本部長。もちろん二人とも男性である。この訳書に、首相がBに呼びかけるとき「サー・マルコム君」と言ったという箇所があるのにも驚いた。“サー”と“君”を同時に出すのは、どう見てもまずい。(pp. 121-122)
ここで紹介した、下記の書物を入手しました。役割語に関連する内容が豊富に含まれておりましたので、何回かに分けて引用しておきたいと思います。
直井明 (2003) 『海外ミステリ 誤訳の事情』原書房, ISBN:4-562036-65-6
日本語では男と女の言葉遣いの違いもある。“怒れるふたつの魂が神なき荒野を裂く”と帯に謳った作品に「いいかい、あたしは現場写真を見たんだよ。お巡りに見せられたんだ。死んだ包皮野郎は胸にタロット・カードをとめられてた……」とか「さっきあんたは何も言わなかったけど、実際のところ、どう思ってるんだ?」といった口調でしゃべるヒロインが登場する。数十ページ読んだところで、あれ、この登場人物、女じゃなかったけと思ったほど、男っぽい言葉遣いの訳で通しており、これでいいのかと疑問を感じた。
しかし、原作者が、回想部分を除いて、徹底して現在形で書いているのを、訳者も忠実に日本語で復元しているし、さらに、ヒロインの女らしからぬ言葉遣いが、ほかの女たちの言葉遣いとも、男たちの口調とも違っていて、独特の工夫を凝らしたものであるのを発見。この女ならこんな口調でしゃべるだろうと熟考の上での翻訳なのだと気がついた。これには文句をつけるどころか、むしろ、脱帽する。(pp. 115-116)
以下の論文を得たので、記録しておきます。
谷部弘子 (2006) 「「女性のことば・職場編」に見る終助詞「わ」の行方」『日本語教育』130号, pp. 60-69, 日本語教育学会.
ご結論の部分を引用しておきます。
以上、「女性のことば・職場編」という限られた資料の中で、終助詞「わ」の使用状況について見てきた。「わ」の使用率は全体として高くはなく、わずか91例を見たにすぎないが、相対的な傾向として以下の3点を見いだせた。
(1) デス・マス体に接続する「わ」は皆無であり、「くつろいだ場面」で、同年齢層あるいは下の年齢層の日頃接触量の多い親しい関係にある空いてに対する発話に多くあらわれる。
(2) 若年層の女性による「わ」の使用は40代、50代の女性に比べ、「ね」や「よ」を伴わない単独の形、引き延ばし音調を伴った形で現れることが多い。
(3) 若年層女性において、恋愛感情にまつわる話題などある解く手の場面に「わ」が現れやすい。
終助詞「わ」は、たしかに「衰退に向かっている」一方で、世代別の使用の傾向からみて、今後単純に消滅に向かうとはいえないようである。とくに若年層女性は規範的に女性が使うべき表現として「わ」を用いているというより、情意的な側面の伝達手段の一つとしてより積極的に選択使用しているのではないだろうか。
日本語のことばの男女差を規範的に示すのも若年層では男女差がなくなったと固定的にとらえるのも実態に即していない。日本語教育においては、安易に使用につなげるのではなく、学習者自らがふさわしい表現形式を選択できるようにさまざまなバリエーションの提示を心がけることが必要であろう。そのためには、今後さらにデータ数を増やし、言語使用の実相をさまざまな手法によって多面的に観察し、音声面の特性も含めて記述することが重要であると考える。(pp. 67-68)
詳しい分析が必要ですが、若年層の女性が「積極的に選択使用している」というのは、定延さんのいう発話キャラクターの繰り出しということかもしれません。
なお、本論文に引かれた文献のなかで、未見のものを抜き書きしておきます。
尾崎喜光 (1997) 「第2章 女性専用の文末形式の今」『女性のことば・職場編』ひつじ書房、 pp. 33-58.
現代日本語研究会(編) (1997) 『女性のことば・職場編』ひつじ書房.
現代日本語研究会(編) (2002) 『男性のことば・職場編』ひつじ書房.
広東外語外貿大学・日本語科講師の池田貴子さんが、教室で役割語のクイズをしてみてくださり、その結果をご報告してくださいました。拙著の最初のところに出てくる、次のような選択問題です。
お武家様、老博士、女の子、田舎者、男の子、お嬢様、関西人
上の話し方に当てはまる人格を、下のリストから選んで当てはめなさい、というものです。なお、拙著にはもう一つ「そうあるよ、わたしが知ってるあるよ」(ニセ中国人)というのがあるのですが、中国本土でこれを入れると、説明が難しいし、意図を誤解されるかもしれないということではずしたとのことです(事前に私が少しアドバイスしました)。
クイズに挑んだのは、同大学2年生85人で、日本語『会話授業」最終クラスにおいて実施されたとのことです。
全問正解は19人(約22%)、2箇所だけ入れ間違えたのは30人(約35%)とのことです。このうち、「老博士」と「お武家様」を入れ間違えた人が12人とのことで、たしかに「拙者」を知っているかどうかにかかっている点で、この間違いは無理もないかなと思います。
あと、3~5問正解というのが42人、なぜか1問のみ不正解が1人、1問のみ正解2人、全問不正解2人となっています。
全体に、男女の違いに関しては誤りが少なく、あとは古い、新しい、丁寧、乱暴等の印象で答えた人が多いようです。
正解率の高い学生は、普段から優秀な学生さんが多いようですが、日本のドラマ、アニメ、テレビ、ゲーム等に親しんでいることが正答につながっているらしいとの見方もできるようです。また関西弁については、「関ジャニ∞」を通じて正解した人もいるそうです。
さらに詳しい分析を池田さんにお願いしていますので、そのうちご報告いただけるものと思います。
読売新聞社会面に連載されている「新 日本語の現場」という連載記事に、拙著『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』が紹介されました。紙面では無記名ですが、松本美奈さんという記者がお書きになっているもので、電話取材をうけました。
8月1日付け「方言の戦い *60」で、早稲田大学ラグビー部で九州方言が話されているという話題を受け、8月2日「方言の戦い *61」および8月3日「方言の戦い *62」に、拙著の内容が要約・引用されています。
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