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2007年4月28日 (土)

女性のことばの虚構と現実

佐々木一枝 (2007) 「女性のことばの虚構と現実」平成18年度秋田大学教育文化学部卒業研究(抜粋版)、日高水穂(編)『秋田大学言葉の調査』第3集、pp. 117-128, 秋田大学教育文化学部日本・アジア文化研究室.

結論部分を引用します。

5. まとめ
 本研究で検証できたことは、大きく二つにまとめることができる。一つ目は、昭和初期から現在にかけての小説に見られる女性登場人物のことば遣いが3つの時代を経て変化していること。そして二つ目は、現実の女性のことば遣いも変化しているということである。女性のことば遣いが変化していることは、よく指摘されていることであるが、本研究では、同じ時期の小説(虚構)と自然談話(現実)にずれがあることを示した。
 女性の言葉遣いについて鈴木 (1993) は、「女性は〈女性である〉というアイデンティティーを保つためには、自由に語形式を選択できず、円滑なコミュニケーションのために、社会的に期待される「女性語」の範囲の中で語形式を選択しなければならない」としている。「女性語」の範囲内にあることばは、女性が女性としてのアイデンティティーを保ちながら使えるもの、その範囲から逸脱したことばは、女性が使用すると否定的でマイナスのイメージが与えられるものである。現実の実際の女性の言葉遣いを考えると、必ずしも「女性語」の範囲内にある言葉のみを使用しているわけではないようだ。しかし、小説の中では、女性の言葉遣いはこの規範に忠実であると言える。性差が顕著であった頃の規範を小説では受け継ぎ、それが、ほとんどの女性登場人物の言葉遣いの下地となっている。
 本研究では、言葉遣いの丁寧さや女性語としての表現価値を、筆者の感じる語感に従って考察した。これを裏づける方法として、ことば遣いそれぞれについて、たとえば「丁寧さを感じるか」「女性らしいことば遣いだと感じるか」などの調査を行うことで、本研究のデータをより強固にすることもできたのではないかと考えている。(p. 126-127)

12人の優しい日本人

Pibd1003 日高水穂・伊藤美樹子 (2007) 「スピーチレベルシフトの表現効果―シナリオ「12人の優しい日本人」を題材に―」『秋田大学教育文化学部研究紀要』人文・社会科学第62集, pp. 1-12.

結論部分を引用します。

5. おわりに
 以上で見てきたように、「12人の優しい日本人」の登場人物は、それぞれのキャラクター設定に応じたスピーチレベルを選択し、ストーリー展開に応じてスピーチレベルを巧みに切り換えている。この作品で設定された場面は、丁寧体が基調となって現れることが期待される公的な話し合いの場面であることから、特に普通体への切り換えにおいて、特殊な表現効果が生じる事例が多く見られた。そこで見られた表現効果は、丁寧体と普通体という文末の述語形式の丁寧さだけでなく、自称詞、対称詞、上品な語とぞんざいな語の選択など、位相語全般の選択とも深く関わっている。そうしたスピーチレベルを決定するさまざまな言語形式を巧みに組み合わせることで、登場人物のキャラクターが、演出されるのである。
 このようなキャラクターを特徴づける言葉づかいは、金水 (2000, 2003) の提唱する「役割語」としての機能を持つものといえる。「役割語」とは、「ある特定の言葉づかい(語彙・語法・言い回し・イントネーション等)を聞くと特定の人物像(年齢、性別、職業、階層、時代、容姿・風貌、性格等)を思い浮かべることができるとき、あるいはある特定の人物像を提示されると、その人物がいかにも使用しそうな言葉づかいを思い浮かべることができるとき、その言葉づかいを「役割語」と呼ぶ」(金水 2003)と定義づけられるものである。本稿では、映画のシナリオという「虚構」の世界の登場人物の発話を分析することにより、スピーチレベルシフトという談話レベルの現象に、「役割語」的な機能を持つ表現が現れるkとを見た。(p. 11)

2007年4月23日 (月)

シンポジウム「表現の演技性」報告

こちらでご紹介したシンポジウムの報告を、パネリストのお一人の宇佐美毅さんがご自身のブログ上に発表されました。(ここです)

2007年4月16日 (月)

日本の近代化とことばの性差

去年の12月9日に韓国外国語大学校(韓国・ソウル)で行われたフォーラムの報告書が出ました。私のシンポジウムでの発表要旨が掲載されています。

金水 敏 (2007.3.20)「日本の近代化とことばの性差」(シンポジウム発表の要旨)大阪大学大学院文学研究科東アジア国際フォーラムプロジェクト(編)『日韓国際学術交流フォーラム 方法としての越境―東アジアにおける〈近代〉と異文化接触』2006年度大阪大学大学院文学研究科共同研究報告書(研究代表者:出原隆俊・内藤 高)pp. 30-30, 大阪大学大学院文学研究科

下記に、全文を掲載します。

 言語作品に現れる談話の描写は、現実の談話そのものではなく、その話し手の人物像について、送り手が受け手に伝えるメッセージとして造形される。それはむろんフィクションにおいて顕著であるが、ノンフィクションに類する作品でも、同じ事が起こりうる。このような、人物像と結びついた談話スタイルのヴァリエーションを「役割語」と呼ぶことにする(金水 敏『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』岩波書店、2003)。役割語は、現実の言語使用をもとに形成されることもあるが、かならず単純化・誇張を含み、かつ現実と無関係に作品から作品へと継承されていく声質を持つ一方で、現実の話し手にバイアスを与えたり、現実の影響を受けて変質するなど、現実社会とのインタラクションも絶えず発生する。
 本発表では、このような役割語の観点から、前近代と近代の男女の言語差に着目し、それぞれの特徴を明らかにする。特にステレオタイプとしての近代の男女の言語差は、学校という近代的制度と深く関連していることを指摘し、その文化的・政治的意味について考察する。

忍者のことば

Gakiemonさんという方が、「いつから忍者は「ござるしゃべり」なのでござるか」(エキサイトニュース)というネットニュースの記事を見つけて下さいました。
http://www.excite.co.jp/News/bit/00091176224924.html

忍者の話し方について、「各地で忍者ショーや忍者教室を行う、伊賀流忍者集団・黒党(くろんど)頭領、伊賀流忍術復興保存会会長の黒井宏光さんにたずね」るという趣向で、「太田サトル」という人の署名記事になっています。要点をまとめると、以下のようになります。

  1. 忍者が「~でござる」という語尾を使うという記号的な理解は、『忍者ハットリくん』(1964年連載開始)に起源がある。
  2. 実際の忍者は、普段は伊賀弁、甲賀弁、土地の言葉をしゃべっていた。
  3. 各地に赴き潜入するときは、その土地の言葉をうまくしゃべれないといけない。
  4. 特に薩摩の言葉が大変だった、と伝書に記されている。

2は、さもありなんと思いますが、1は怪しいように思います。「忍者もの」は、江戸時代の歌舞伎作品(児雷也豪傑譚など)から、講談・立川文庫(猿飛佐助など)、近代の活弁、トーキー、テレビの時代劇等の系譜を調べるべきで、漫画だけでも『伊賀の影丸』など重要な先行作品があります。『忍者ハットリくん』はむしろ、その最末端に位置し、「~ござる」がキャラ語尾化しているために、目(耳?)につくのだろうと思います。

3、4については、O氏より次のようなご教示がありました。

諸星美智直『近世武家言葉の研究』には、「隠密と方言」の章がありますが、これには、沖森直三郎氏編『忍秘伝附家蔵忍術文献書目』(昭和46年1月沖森書店発行)
http://webcatplus-equal.nii.ac.jp/libportal/DocDetail?txt...
を引用して、「奪口術」の説明をしています。「国情偵察のため他国の方言を自由に使ふ術、即ち他人の口を奪ふと云ふ意味である。」

諸星氏は伊賀上野市の忍術資料館所蔵藤田文庫を調査されてていますが、「薩摩弁が難しい」という記述についての報告はありません。

なお、参考までに、童謡の中で忍者を扱ったものがありますので、記録しておきます。吉岡オサム作詞、小林亜星作曲「ぼくは忍者」で、これをわたしは20年ほどまえの「お母さんといっしょ」(NHKテレビ)で聞きました。正確な制作年はまだ確かめていません。

加えて、「忍者ハットリくん」のアニメソングの歌詞はこちらです。

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