日本の近代化とことばの性差
去年の12月9日に韓国外国語大学校(韓国・ソウル)で行われたフォーラムの報告書が出ました。私のシンポジウムでの発表要旨が掲載されています。
金水 敏 (2007.3.20)「日本の近代化とことばの性差」(シンポジウム発表の要旨)大阪大学大学院文学研究科東アジア国際フォーラムプロジェクト(編)『日韓国際学術交流フォーラム 方法としての越境―東アジアにおける〈近代〉と異文化接触』2006年度大阪大学大学院文学研究科共同研究報告書(研究代表者:出原隆俊・内藤 高)pp. 30-30, 大阪大学大学院文学研究科
下記に、全文を掲載します。
言語作品に現れる談話の描写は、現実の談話そのものではなく、その話し手の人物像について、送り手が受け手に伝えるメッセージとして造形される。それはむろんフィクションにおいて顕著であるが、ノンフィクションに類する作品でも、同じ事が起こりうる。このような、人物像と結びついた談話スタイルのヴァリエーションを「役割語」と呼ぶことにする(金水 敏『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』岩波書店、2003)。役割語は、現実の言語使用をもとに形成されることもあるが、かならず単純化・誇張を含み、かつ現実と無関係に作品から作品へと継承されていく声質を持つ一方で、現実の話し手にバイアスを与えたり、現実の影響を受けて変質するなど、現実社会とのインタラクションも絶えず発生する。
本発表では、このような役割語の観点から、前近代と近代の男女の言語差に着目し、それぞれの特徴を明らかにする。特にステレオタイプとしての近代の男女の言語差は、学校という近代的制度と深く関連していることを指摘し、その文化的・政治的意味について考察する。
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