共在性から見た「です・ます」の諸機能
宮地朝子・北村雅則・加藤淳・石川美紀子・加藤良徳・東弘子 (2007) 「共在性から見た「です・ます」の諸機能」『自然言語処理』14-3, 17-38, 言語処理学会.
要旨
「です・ます」は、丁寧語としての用法のみならず場面に応じてさまざまな感情・態度や役割の演出などの表示となる。これは「です・ます」が持つ「話手と聞手の心的距離の表示」という本質と、伝達場面における話手/聞手のあり方とその関係の変化によって生じるものと考えられる。本稿では「です・ます」をはじめ聞手を必須とする言語形式を、コンテクストとは独立して話手/聞手の〈共在〉の場を作り出す「共在マーカー」と位置づけ、コンテクストにおける聞手の条件による「共在性」と組み合わせることで伝達場面の構造をモデル化した。コミュニケーションのプロトタイプとしての〈共在〉の場では、「です・ます」の本質的な機能が働き心的距離「遠」の表示となる。これに対して〈非共在〉の場では、典型的には「です・ます」は出現しない。しかし、〈非共在〉の場合でも共在マーカーが使用されると話手のストラテジーとして擬似的な〈共在〉の場が作り出される。この場合、共在マーカーとしての役割が前面に出ることによって聞手が顕在化し、話手/聞手の関係が生じて「親・近」のニュアンスが生まれる。「です・ます」が表す「やさしい」「わかりやすい」「仲間意識」などの「親・近」の感情・態度は〈非共在〉を〈共在〉にする共在マーカーの役割によって、「卑下」「皮肉」といった「疎・遠」の感情・態度は〈共在〉での心的距離の操作による話手/聞手の関係変化によって説明できる。
キーワード:です・ます、共在性、共在マーカー、感情の表示
役割語との関係について触れられた箇所を抜き書きします。
また、「です・ます」が、特定のキャラクターと結びついた「役割語」として使われる場合も、話手と聞手の関係変化によると考えられる。「です・ます」を使うことで、普段の話手と聞手の関係とは異なる「遠」の関係の表示となり、話手は、自分とは違うキャラクターに変身する。
(25) (のび太が思わぬ品物を手に入れて悦に入る場面)
のび太:「これはたいへんなものですよ。」
(ドラえもん、7巻、小学館、(定延 2005d:128)
ある種の役割やキャラクターを表す場合、終助詞の類がその中心的な役割を果たす。役割やキャラクターを表しうる共在マーカーの使い分けが、話手の変身の演出、すなわち聞手との関係変化につながる。
以上のような〈共在〉での心的距離の遠近の操作は、小説等のセリフで効果的に利用され表現効果を発揮する。(26)は、小説の中の嫁-舅の口喧嘩の中での舅のセリフである。
(26)「……なんじゃい、二言めにはスジだの金だのといいくさって、ああ、どうせわしは得手勝手な爺いじゃ。親sないからこのかた遊びくらした道楽もんの、憎まれものの、邪魔っけな爺いじゃ。ようわかってるよそんなことは。お前はえらい、しっかり者です。立派な女子さんです。わしはバカじゃ。失言もし物忘れもする。この年だ。文句は年にいうてくれよ。……ふん、鬼みたいな顔で睨みくさって。わしは、お前みたいなこわい女とはよう暮らしません。この年になってピリピリチリチリ暮すなんて、わしはごめんじゃ。ああ、まっぴらです。わしを、Sへやってください」(山川方夫 1975, 海岸公園, 新潮文庫, p. 23)
「わし」「~じゃ」といった老人の役割語とともに「です・ます」と「非です・ます」が混在して現れるセリフによって、「老人」が「感情むき出し」でいじけてみせていることが見事に表されている。(pp. 33-34)
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