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2007年10月10日 (水)

「わしは孔子じゃ」

Mさまにご教授いただきました。引用させていただきます。

 私が思わず吹き出してしまうのは、大川総裁に呼び出された人たちの霊がおかしな言葉を口にすることである。たとえば、孔子を呼び出すと、孔子は「わしは孔子じゃ」と言って現れる。孔子が日本語を話すのがおかしいというわけではない。なんせ霊なのだから、古代支那語を現代日本語に翻訳するぐらい、別に難しくはなかろう。私がおかしいと思うのは、孔子が自ら「孔子じゃ」と名乗ることである。
 孔子の「子」というのは敬称で、普通「先生」と訳す。「孔子」とは「孔先生」という意味である。我々は便宜的に「孔子先生」「孔子様」と言うけれど、孔子は自ら「わしは孔子じゃ」と名乗って出現することはありえない。
 現に『論語』の中では、孔子は自ら「丘(きゅう)」と名乗っている。姓が孔、名が丘だからだ。

(呉智英2004『言葉の常備薬』双葉社、pp.60-61)

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