訓読語と博士語
発表者ご本人よりいただきました。
高山倫明(2007)
「訓読語と博士語」
九州大学大学院人文科学研究院(文学部)平成19年度社会連携セミナーⅠ
「言語と文芸―和漢古典の世界―」第2回2007.8.17(於福岡市文学館)【目次】
1 はじめに
2 漢文の訓読
2.1 漢文は過去の中国語
2.2 漢文を日本語として読み下す
2.3 訓読のための方策―ヲコト点から仮名へ―
2.3.1 ヲコト点
2.3.2 仮名
2.4 『論語』訓読の歴史
3 漢文訓読に特有の語法
4 『源氏物語』少女巻の博士
5 役割語
以下に、要旨を引用させていただきます。
固有の文字を持っていなかった日本語にとって、論語をはじめとする先進文化を伝える漢文の《翻訳》は、《書き言葉》という新たな日本語を創造する営みでもあった。片仮名や句読点といった文字・記号の多くが漢文訓読の世界で生まれ、また、型にはまった逐語訳が訓法として固定化するにつれ、話し言葉にはない、新たな語法がつぎつぎに出現する。
たとえば、キハム・ハタス・アフ・イタルという動詞からキハメテ・ハタシテ・アヘテ・イタッテといった副詞が新たに派生するのは、「極」「果」「敢」「至」の漢字の意味用法の媒介があってのことであるし、もともとホッス・ネガフ・オモフ・ムトスとのように文脈に応じて読み分けられていた「欲」の字の訓法がホッスに一本化されると、べつに日暮を待ち望んでいなくとも「日暮れむとほっす」と言うようになる。本来は場所を示す意味しかなかったトコロという語も、所謂・所望・所有のような、行為の対象を漠然と示す「所」字の用法にあわせて「~であるところの」「~するところの」といった抽象的な意味用法を獲得した(これが近代に至って西洋語の関係代名詞の翻訳後として定着することになる)。
ところで、源氏物語・少女巻に、大学の博士たちの言動が皮肉たっぷりに戯画化された箇所がある(本文と訳は小学館日本古典文学大系による)。「鳴り高し。鳴りやまむ。はなはだ非常(ひざう)なり。座を退(ひ)きて立ちたうびなん」
(騒々しい。静粛になされ。はなはだ無作法である。退席していただこう)ちょっと身につまされるものがあるが、それはさておき、彼らの言葉には漢文訓読語が散りばめられている。当時の博士たちはほんとうにこんな話し方を日常的にしていたのだろうか?
ドラマやアニメ等には普通に現れるけれども、「そうじゃ、わしが博士じゃ」のようなしゃべり方をしたり、「御茶の水博士!」「財前教授!」のように博士や教授を付けて呼び掛けられたりする人は現実には(たぶん)いない。こういった、特定の人物像をステレオタイプ化する言葉は「役割語」と総称され、博士らしさを演出するものは「博士語」と呼ばれている。
この講座では、近年盛んになってきた役割語研究の観点も交えながら、漢文訓読語の来歴や位相を一緒に考えてみたいと思う。
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