明治大正見聞史あります
生方敏郎『明治大正見聞史』(大正15年、春秋社→昭和53年、中公文庫)の「憲法発布と日清戦争」の章に、当時の風潮についての記述と<アリマスことば>の用例がありました。差別意識がはっきりと観察できます。(IT)
戦争が始まると間もなく、絵にも唄にも支那人に対する憎悪が反映して来た。私が学校で教えられた最初の日清戦争の唄は、
討てや膺(こら)せや清国を、清は皇国(みくに)の仇なるぞ、
東洋平和の仇なるぞ、討ちて正しき国とせよ。
というので、また、俗謡には滅茶メチャ節、「支那の李鴻章はよっぽどバカな奴ゥ」というのが大流行だった。同じ節で「日本の大鳥公使はよっぽど豪いもの」というのもあった。【略】
また、俗謡に踊りの振まで付けて流行したのは、
日清談判破壊せば、品川乗り出すあづま艦、つづいて八重山浪速(なにわ)かん、(中略)
西郷死するも彼がため、大久保殺すも彼奴がため、怨み重なるチャンチャン糞坊主
というのだ。(39頁)
俗謡では、さまざまに罵ったけれども、初めの中、内心では誰しも支那を恐れていたのだ。ところが皇軍の向かうところ敵なく、実に破竹の勢となったから、俗謡も絵も新聞雑誌も芝居も、支那人愚弄嘲笑の趣向で、人々を笑わせるものが多かった。(40頁)
また戦時中、芝居小屋では戦争の際物を演じて客を呼んだ。【略】。筋も何もない物で、ただ大勢の支那兵と少数の日本兵との戦いで、必ず支那兵が負け、あやまったり泣いたり、
「日本人たいへんたいへん強いあります」
というようなことを言って、終いは日本兵の註文に応じ様々の芸をしたり滑稽な唄を唄って、見物人を哄笑させる、それはそれは余裕綽々たる芝居であった。(41頁)
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