基調講演2:役割・キャラクター・言語をめぐって
3月28日のシンポジウムの基調講演(金水)の概要です。
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基調講演2:役割・キャラクター・言語をめぐって
金水 敏
金水 (2003) 『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(岩波書店)の刊行をきっかけに、「役割語」の概念は、著者の期待を越えて多くの方々に受け入れられ、一つの研究の潮流を作りつつあるように見える。一方で、定延利之氏らのグループによる「発話キャラクタ」の研究が、金水 (2003) の枠組みの狭さ・限界を照射しつつあることも確かである。中村桃子氏のジェンダー言語学との対比においても、金水の研究に欠落した視点が明らかになった。また、大塚英志氏、東浩樹氏、伊藤剛氏らのポピュラーカルチャーにおけるキャラクター論の展開にも着目すべき点がある。
より具体的に言えば、金水 (2003) では、もっぱらフィクションに偏った分析がなされていたが、定延氏らによって日常の音声言語にも広く発話キャラクタの繰り出しという現象が見られることが指摘された。また、現実からフィクションへという一方向的な関係は中村桃子氏によって批判され、むしろフィクションが構築するイデオロギーが現実の発話行為に制約を与える点が強調された。さらに、金水 (2003) では「ステレオタイプ」との関連に力点を置き、発話者の類的な属性と話し方の関連が強調されたが、一般的には「キャラクター」の表現は類的な描き分けよりむしろ個体の描き分けによって動機づけられている点が見落とされていた。
本講演では、これらの問題点を止揚するために、「一般キャラクター言語論」という 視点を提案する。ここで「キャラクター」とは、"仮想現実"における人格的表現であるという認識に立つが故に、上記理論は「現実/仮想現実論」の一部をなす。現実とは元来、非分節的で混沌とした"実存"であり、我々が「現実」として認識し、表現しているものは、我々が分節化し、解釈した結果としての仮想現実に他ならない。キャラクターは、属性の集合(役割語はその属性の一部)として表現されたもので、現実を源泉としているか否かに関わらず仮想現実内の存在であり、それゆえに可搬性・流通性を持つ。キャラクターはその意味で、最初から(フィクション・非フィクションを 問わず)コミュニケーション・ツールである(cf. 文字としての"キャラクター"との共通点)。また、キャラクターという把握のもとでは、類なのか、個体なのかという区別はあまり意味を持たない。なぜなら、キャラクターは解釈可能な属性の集合であり、この点において類と個体は本質的な差異を失っているからである。
我々は現実を解釈するための、仮想現実構築の参照枠として、諸々のイデオロギー(宗教、ステレオタイプはその一部)、歴史、地勢図等を持たざるを得ない(我々の行動は、これらイデオロギー、歴史、地勢図等に基づいて構築された制度(たとえば "法")に規制されるが故に、仮想現実は現実に介入し、改変する力を持つが、しかしその介入・改変の結果に対する解釈は常に"ぶれ"、"揺らぎ"を含まざるを得ず、よって唯一的な仮想現実による現実把握の試みもまた多義性・矛盾を含まざるを得ない(cf. 裁判制度))。このようであるが故に、キャラクターもまたその起源において、イデオロギー、歴史、地勢図等から自由ではあり得ない。すなわち、すべてのキャラクターは"差別的"である(cf. "政治的な正しさ")。(以上)
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