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2013年8月23日 (金)

『国際マンガ研究 3 日韓漫画研究』

  • ジャクリーヌ・ベルント,山中千恵,任蕙貞[編](2013)『国際マンガ研究3 日韓漫画研究』,京都精華大学国際マンガ研究センター.
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[目次]
ジャクリーヌ・ベルント/序文―学術的漫画研究をめぐる日韓交流を志して
パク・ソクファン(朴錫煥)(訳・梁仁實)/序文―第3回国際学術会議「漫画の社会性―経済主義を越えて」―後記 漫画研究の多様性とその発展に期待して

第1部 韓国漫画の特性への接近
1 小田切博/北米コミックス市場から見た日本マンガと韓国マンファ
2 山中千恵/模倣海賊版から考える漫画表現形式の拡散―韓国純情漫画家の事例から

第2部 漫画と女性:少女・純情・ヤオイ
3 キム・ソウォン(金素媛)/純情漫画の原点としてのオム・ヒジャ―少女漫画特有の表現との関係から
4 ハン・サンジェン(韓尚整)(訳・朴珍媛)/純情漫画のいくつかの美学的地形図
5 倉持佳代子/少女マンガを支えた読者共同体のゆくえ―1990年代の『りぼん』から
6 キム・ヒョジン(金孝眞)/「他者」としてのヤオイ―1990年代における韓国同人文化の変容をめぐって
7 ジェシカ・バウエンス=杉本/社会批評との関係から見たグローバルな「腐女子」漫画文化―その可能性と限界

第3部 漫画の諸ジャンル
8 イム・ヘジョン(任蕙貞)/韓日の新聞劇画の比較論―「林巨正」と「忘八武士道」を例に
9 竹内美帆/線から捉えなおす「劇画」―さいとう・たかをを中心に
10 伊藤遊/「学習マンガ」キャラクター研究序説―教育・リアリティー
11 パク・スイン(朴秀寅)/韓国のウェブトゥーン

第4部 「芸術」の名において紙面の彼方へ
12 ハン・チャンワン(韓昌完)(訳・梁仁實)/デジタル社会における融合化が漫画というジャンルにもたらす代案の研究
13 チョ・ヒユン(趙姫允)(訳・山中千恵)/視覚芸術としての漫画からみた、韓国漫画展の争点と実践戦略
14 ジャクリーヌ・ベルント/「芸術」に挑戦するマンガ―井上雄彦「最後のマンガ展」を例に

パク・ジンヒ(朴珍姫)/竹内美帆/鈴木翠/日韓近代漫画年表

執筆者プロフィール

都市伝説が「コンテンツ」になるまで―「都市伝説」の一九八八~二〇一二―

  • 飯倉義之(2013)「都市伝説が「コンテンツ」になるまで―「都市伝説」の一九八八~二〇一二―」『口承文芸研究』(第36号),90-102,日本口承文芸学会.

Manga Comics Museums in Japan Cultural Sharing and Local Communities 日本のマンガミュージアム―あらたな文化共有と地域社会―

  • 谷川竜一 編(2013年1月)『Manga Comics Museums in Japan Cultural Sharing and Local Communities 日本のマンガミュージアム―あらたな文化共有と地域社会―』,CIAS Discussion Paper Series No.28,CIAS京都大学地域研究総合情報センター.

こちらのサイトのページなかほどでPDF版が公開されています。
Discussionpaper28

2013年8月18日 (日)

Yokohama Dialect 再考

小玉 敏子 (1999) Exercises in the Yokohama Dialect再考」(『英学史研究』Vol. 2000, No. 32 P 1-11)その他の先行文献、および横浜開港資料館実地調査によって得られた情報を整理しておく。

  1. Exercises in the Yokohama Dialectの初版本は、1873年に出版された(『ジャパン・ウィークリー・メイル』1873年11月22号書評による)。ただし、初版本の現存は確認されていない。この書評には著者名が書かれていないので、初版本は無記名であったらしい。しかし『ジャパン・ガゼット』(1879.11.1)の記事により、著者はホフマン・アトキンソンであると判断される。(小玉論文)
  2. 再版本は1874年に出版された。横浜開港資料館に1冊所蔵されている(現物を確認済み。コピー入手)。印刷所は"Japan Herald" Office. 再版本には(にも)著者名がない。また、Nankinized Nippon の項も含まれていない。
  3. (以下、小玉論文より引用)一方、『ジャパン・ディレクトリー』の1869年版から1874年版までにホフマン・アトキンソンは Smith, Baker & Co. に勤めていたことが記録されている。『ディレクトリー』が出版されるのは年の初めなので、おそらく1868年に来日し、1874年に離日したのであろう。また、1875年横浜で出版されたディキンズ Fredrick V. Dickins 訳の Chiushingura: or the Loyal League, a Japanese Romance に"Introduction" を書いており、本の扉に "with introduction by Hoffman Atkinson" と明記されている。このことからホフマン・アトキンソンはディキンズと交渉があり、日本の文化や社会に関する知識と理解を有する人物であったと推測できる。(p. 5)
  4. 1979年に、再版の改訂増補版が出版される。表紙に "revised and corrected at the special request of the author by the Bishop of Homoko" と印刷されている。印刷所は The Japan Gazette Office. 横浜開港資料館に1冊所蔵されている。現物確認済み。多数の刷があるらしく、Keiser (ed.) (1995) に所収の版と横浜開港資料館所蔵版の版とは明らかに刷が異なる。
  5. (以下、小玉論文より引用) この "the Bishop of Homoco" はウェンクステルン Fr. von Wenckstern の『第日本書史 弐』の索引に "a pseudonym of Mr. Cope, auctioneer in Yokohama" とある。F. A. Cope は『ディレクトリー』には1865年版から1885年版まで出ているが、掲載されていない年が途中数年間ある。最初の3年刊は Aspinall, Cornes and Co. に勤めているが、後に競売人、代理店、骨董品輸出などをしていたことが新聞広告や『ディレクトリー』に載っている。また、アマチュア・スポーツ・クラブや乗馬クラブのメンバーとしてクリケットの試合、ボート・レースなどに積極的に参加していたことが当時の新聞記事から想像できる。英字新聞の領事裁判の記事にも名前が出てくるので、トラブルを起こしたり、事件に巻き込まれることもあったといえるが、活動的な人物で、当時の横浜居留地では知名度は高かったと考えられる。(p. 5)
  6. (引き続き引用) 再版が出版された年にホフマン・アトキンソンは日本を去り、5年後の1879年に "the Bishop of Homoco" による改訂増補版が出版される。(中略)改訂増補版は再版の二人のほかに、Mr. Ng Choy, Attorney General of the Colony of Victoria, Hongkong に献呈している。(中略)約40項目を新たに追加したうえ、「横浜言葉」の表記を十数か所訂正し、英文和訳の練習問題を全部入れ替え、最後に "Nankinaized-Nippon"を加えて、本文が再版より5ページ多い17ページになる。(p. 7)
  7. (引き続き引用) 冊子の最後に付け加えられた "Nankinized-Nippon" は「学生時代の友人」Mr. Ng Choy に頼まれて書いたという。中国人は "r" の代わりに "l" と発音し、 "Walk-karrymasing" を "Walk-kallimasing" というと述べ、さらに "Wok-kallonai" と "Wok-kallimassing" という表現にはさまざまな意味合いがあることを説明している。(p. 8)
  8. (引き続き引用) Ng Choy (1824-1922)  前述の二人のほかに、改訂増補版は新たに Mr. Ng Choy にも献呈されている。 Ng Choy (伍叙)は伍廷芳 (Wu Ting-fang)の香港時代の別名。シンガポール生まれで、イギリス籍を取得したが、原籍は広東省新会県。清末民初の法律家、政治家、外交官。/3歳の時に家族と共に帰国し、幼年時代は伝統的な初等教育を受けたが、中等教育は香港政庁立の英文中学校である中央書院(後のクイーンズ・カレッジ)に進み、1860年同校を卒業した。卒業後、香港で法廷の通訳となり、また『中外新報』の編集、『循環日報』創立に参画した。/ 1874年法律を学ぶためにロンドンに渡り、1876年に弁護士の免許を得た。帰国後、香港で中国人として初めて弁護士を開業するかたわら、積極的に地域活動を行い、中国系住民の間で声望を高めた。1880年、中国人に好意的であったヘネシー総督は、一部の反対を押し切り、伍廷芳を立法評議会の民間議員に登用、伍は1882年までその地位にあった。(p. 8-9)

 以上の引用と現物調査から、〈アルヨことば〉の源泉とも言える "Nankinized-Nippon" を記録したのはホフマン・アトキンソンではなく、改訂増補版を作った Bishop of Homoco (本牧僧正)こと F. A. Cope であることが分かった。なお、作者(コープ)は、Mr. Ng Choy の要望で Nankinized-Nippon を付け加えたと書いているが(改訂増補版への序文)、主に香港で活躍した中国人の伍廷芳が、日本における中国人の使うピジンについて言及することは考えられず、おそらく当時の有名人の名を借りたこじつけであろうと推測される。

(参考文献)
Keiser, Stefan (ed.) (1995) The Western Rediscovery of the Japanese Language. Vol. 5. Curson Press Ltd, Richmond Surrey.

2013年8月14日 (水)

「中日理論言語学 国際フォーラム2013」発表資料

上海交通大学日本語学科の河崎みゆきさんから「中日理論言語学 国際フォーラム2013」発表資料(および関連資料)をお送りいただきましたので、掲載いたします。

中国のオネエ言葉

上海交通大学日本語学科の河崎みゆきさんから、中国のオネエ言葉に関する資料をお送り頂きましたので、掲載いたします。

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