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2020年3月 8日 (日)

カラヴァッジョ展の展示パネル

2019年から2020年にかけて、カラヴァッジョ展が次の3会場で行われたが、そこで興味深いパネル展示が行われた。

 

○札幌会場
2019年8月10日(土)〜10月14日(月・祝)
北海道立近代美術館

○名古屋会場
2019年10月26日(土)〜12月15日(日)
名古屋市美術館

○大阪会場
2019年12月26日(木)〜2020年2月16日(日)
あべのハルカス美術館

 

 そのパネル展示というのは、展示された絵の作者である画家が一人語りをしているという体で、作品の由来や製作の背景が説明されていたのである。特に、カラヴァッジョの作品については、「俺は〜だぜ」のようなマッチョな男性の発話スタイルが採用されており、添えられたヤマザキマリ氏のイラストと相まって、カラヴァッジョのキャラクターをとてもよく伝えていた。
 ちなみに、カラヴァッジョ以外の画家については、「私は〜だよ」のような話体であり、またたった一人いた女性画家については「私は〜だわ」といった女ことばが用いられていた。下記にその例を示す。

 

展示パネル文例(浅川真紀・あべのハルカス美術館 上席学芸員作成)

●カラヴァッジョ
《悲嘆に暮れるマグダラのマリア》1605-06年
教会の祭壇画を画くのは、画家にとって一気に有名になれるチャンスだ。自慢じゃないが、俺の祭壇画はローマで引っ張りだこだったんだぜ。人々の信仰の対象となる大事な絵だし、サイズも大きいから、いろいろと準備が必要だ。たとえば、聖母マリアの死を悲しむマグダラのマリアをどう描くかも、こんなふうに研究したよ。がっくりとうなだれて涙にくれるところだ。死んだ聖母マリアの姿もリアルすぎると教会からは言われたが、俺は本当の死、本当の悲しみを描きたかったんだ。(ヤマザキマリ氏のイラスト入り)

 

●カラヴァッジョをめぐる画家たち
ジュゼッペ・チェーザリ
通称カヴァリエーレ・ダルピーノ
20代前半の一時期、カラヴァッジョは私の工房で絵を描いていた。わずか8ヶ月ほどだったが、その才能には舌を巻かざるをえなかったよ。特に静物画を描くテクニックが素晴らしかったな。自慢じゃないが私は当時ローマを代表する画家で、私の描く華やかで優雅な絵には注文がひきもきらなかった。正直にいえばカラヴァッジョと私はあまり気が合うほうではなかったが、互いの才能を認め合っていたし、その後は良きライバルともいえる関係だった。

 

●カラヴァッジョをめぐる画家たち
アルテミジア・ジェンティレスキ
私が生きた時代、女性が画家になるのはとても珍しいことだったの。私はカラヴァッジョがローマに来て間もない頃に生まれたけれど、父と彼が友達だったことを、幼心にも覚えているわ。この絵は旧約聖書の一場面で、スザンナという女性が老人たちに誘惑され、それをきっぱりと断るところ。男社会と戦いながら絵を描くのには苦労したけれど、カラヴァッジョのチャレンジ精神には学ぶところがあって、自分の絵に取り入れたり、移り住んだ土地の画家達に紹介したりもしたわ。

 

 実は、このパネルを制作された浅川真紀氏が偶然、私の弟の知人であったことが分かり、直接連絡を取らせていただいて、上記のパネルの文章や、下に示す展示風景もお見せいただいた次第である。なおこのパネル展示はすべての会場で行われたが、あべのハルカス会場のものが一番充実していたそうだ。
浅川さんは、特にマンガに精通しているとか役割語の知識があったということではなかったそうだが、こういった話体を用いることで、まるで画家本人が乗り移ったかのような感覚を得て、筆が進んだと述べてくださった。
 美術展というハイカルチャーな世界に、役割語というポップカルチャーに近しい手法が取り込まれて展示を充実したものにしているという点が、大変興味深いことである。

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