上海交通大学日本語学科の河崎みゆきさんから、中国のオネエ言葉に関する資料をお送り頂きましたので、掲載いたします。
Yahoo!トピックスでも話題になっていましたが、朝日新聞の連載企画「いじめと君」のシリーズに、春名風花さんという小学6年生のタレントの方が「いじめている君へ」という文章を寄稿されています。
この文章は、書き手が女性であるにもかかわらず一人称に「ぼく」が使用される、いわゆる「ボクっ娘」文体で書かれています。
Wikipediaの記述によりますと、春名さんは『少女革命ウテナ』や『ひぐらしのなく頃に』の影響をうけ、この一人称を使うようになったそうです。
この「ボクっ娘」に関しては、先日このブログでもご紹介しましたが、9月1日に開催される『第123回 関東日本語談話会』で研究発表が予定されています。
(大田垣)
国士舘大学の中村一夫先生より、下記2題を含む雑誌『国文学論輯』をお送りいただきました。2本とも、中村先生が担当された日本語学ゼミの内容をまとめたものです。役割語を介して、教育と研究が一体となりうることをお示しいただいた貴重な成果であると思います。
中村一夫ゼミ (2008.3.20) 「歌謡曲における歌詞の史的変遷」『国文学論輯』29:101-112, 国士舘大学国文学会
中村一夫ゼミ (2009.3.20) 「現代日本マンガにおける役割語―ステレオタイプを形成する表現をめぐって―」『国文学論輯』30:41-54, 国士舘大学国文学会
著者より、下記の2点をお送りいただきました。
高橋すみれ (2009.3.31) 「悪女の「役割―少女マンガ「ライフ」にみる少女の「女ことば」―」国際基督教大学ジェンダー研究センター編集委員会(編)『ジェンダー&セクシュアリティ』No. 04, pp. 17-36, 国際基督教大学ジェンダー研究センター.
高橋すみれ (2009.3) 「挑発する「女ことば」―少女マンガ「ライフ」にみる少女の二面性と言語使用―」『多元文化.』第9号, pp. 95-109, 名古屋大学国際原義文化研究科・国際多元文化専攻.
どちらも、マンガ「ライフ」(すえのぶけいこ作)の“愛海”の、一見過剰な「女ことば」と「少女ことば」の切り換えに注目し、キャラクターの“内面”よりはむしろ作者と読者の巨視的なコミュニケーション(山口 2007)の観点を重視した分析を行い、女ことばに新しい意味づけを行おうとしています。作品の丹念な読解に共感が持てました。
最近、泰葉さんという歌手の言動が芸能ニュースを賑わせていました。テレビに登場する彼女の発話を聞いていると、ことさらに“男性的”とされるスタイルを用いているようです。例えば、
あいつは金髪豚野郎だ!
における言い切りの「だ」の使用とか、
やめろー、こんな顔、撮るなー!
における命令形、禁止形の使用などです。
この発話スタイルに対して、いろいろな論評がありえますが、今は現象のメモにとどめます。
女性歌手が歌う場合、男性の立場に立つときも、ジェンダー中立的な立場で歌うときも、「ぼく」は用いるが、「おれ」はもちいない(演歌は除く)、という仮説を持っています。
すると、最近テレビから流れてくるCMで、中村あゆみの「翼の折れたエンジェル」が流れてきて、「もしおれがヒーローだったら……」という歌詞が聞こえてきました。
もとの歌詞は、これです。
つまり、これは女性の立場の歌で、「もしおれが……」は、ボーイフレンドの台詞を引用している訳ですね。主人公の自称詞は「あたし」です。
日高水穂氏より、『秋田大学ことばの調査』第4集(日高水穂(編)、秋田大学 教育文化学部 日本・アジア文化研究室)のご寄贈を賜りました。以下の、役割語に関する論文を含みます。
持田祐美子「談話における「かすらせ声」の特徴と機能」pp. 14-24.
佐々木浩太「「かくれた」ジェンダー観教育への適応と逸脱―ことばと人物イメージの性差・学部差に関する調査と分析―」(平成19年度卒業研究(抜粋版))pp. 70-89.
塩出大佑「「オネエことば」使用者のことばの使い分けと意識」(平成19年度卒業研究(抜粋版))pp. 90-102.
「学校教育と労働が複雑に絡み合う結び目を解きほぐす、先駆的な文化批評の試み」(ちくま書房HPでの紹介文)であり、「日本の『ツッパリ』文化」との比較的考察という観点(表智之「マンガと現代思想」『差別と向き合うマンガたち』188頁など)から大変興味深いのですが、インタビューを再現した部分は翻訳の用例としても拾えそうです。「ヤンキー言葉」のほか「おじさん言葉」も続出です(IT)。
ポール・ウィリス[Willis, Paul E.](著)
熊沢 誠、山田 潤(訳)
『ハマータウンの野郎ども』
[原書名:LEARNING TO LABOUR]
ちくま学芸文庫、1996年
ISBN:4480082964
【目次】
序章 「落ちこぼれ」の文化
第1章 対抗文化の諸相
第2章 対抗文化の重層構造
第3章 教室から工場へ
第4章 洞察の光
第5章 制約の影
第6章 イデオロギーの役割
第7章 文化と再生産の理論のために
第8章 月曜の朝の憂鬱と希望
【本文より】
ウィル あの公園のことでもさ、ウェビィのおっちょこちょいにはまいったぜ。おれとエディでさ、うまくもぐり込んでたんだ。そしたら公園の番人がまわってきやがった、なにか見つけて走ってくみたいだったな。で、おれとエディは反対側に隠れて、二人とも猿みたいにしゃがみこんでたのさ。ところだウェビィのやつがぼんやり立ってやがんだ。番人が「おい、そこのおまえ、出て行かんか、公園から出ろ、おまえらは入っちゃいかんのだ」。そんなことを言っておれたちの近くを、おれとエディが坐り込んでたところを通り過ぎてさ、「おまえじゃない、ほかにもいるんだ、おまえはここにいたんだからな」なんて言うもんだからさウェビィのやつ、「ぼくじゃないですよ、そりゃ、あのう・・・・・・」ってなぐあいに、いまにもみんなベラベラしゃべっちまうようすなんだ、そうだったよな?(67頁)
教頭 生徒を叱りつけるときはね、連中にぐっと肩身の狭い思いをさせるというふうでなきゃだめなんです。(中略―引用者)、教師なり、教頭である私なりが、こんどのことではずいぶん困惑しているってことを連中にわからせるんですな。それで、なぜこんな困った事態になったかをこんこんと説いて聞かせて、まあ、それというのも自分たちが迷惑のもとになってるんだってことをわからせるんですわ。そこまで行きゃね、叱り方としては完璧ですね。「このばか野郎が」って怒鳴ってみたところで何もなりゃしません。反対に怒鳴り返されるのが落ちでね。(165頁)
校長 かりに五年生の生徒に処罰を与えねばならないとしますとね、そんなときは面倒なことを避けて、ただ生徒を私のこの席に坐らせるんですよ。そうすれば、まあたいがい自分でわかるようになります。そういう生徒たちにはよく言ってやるんですわ、「この件については私としてはどうすればいいんだろう、きみはもう五年生だからよくわかるはずだね。こんな場合どうすべきか。私の椅子に坐りたまえ、私がきみのつもりでそっちに立つから、さあ、この件の始末をどうするか私に言ってみなさい」(166-167頁)
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 |
最近のコメント