プルーストに役割語?
役割語に関係ありそうです。
鹿島茂・吉川一義 (2013) 「〈対談〉プルーストの一〇〇年」『図書』767号、2-14頁
(p. 6-7より、引用開始)
吉川 二十代後半に博士論文を書くためにパリに三年半ほど滞在しましたが、プルーストの授業や講演会などで作中の会話が引用されるとフランス人が笑うんです。でも当時の僕には何が面白いのか全然分からなかった。
プルーストの登場人物の話し言葉は人物によって独特な口調が使い分けられている。漱石の『吾輩は猫である』も『坊っちゃん』も、当時の知識人のバカ話は内容を要約しても面白くないけれど、登場人物たちの話しぶりや口調に性格が表れていて面白い。それと同じで『失われた時を求めて』でも、主人公一家に使える女中のフランソワーズの間違いだらけのフランス語とか、貴族嫌いを標榜しつつ実はスノッブのルグランダンの美文調の話し言葉とか、元大使ノルポワのいまや失われたありし日の外交官言葉とか、ソルボンヌ教授ブリショのでたらめな歴史知識とか、そういう話し言葉をプルーストは面白おかしく書いているんです。でも外国人には、会話のそうした面白さは理解しにくい。
鹿島 日本語であってもそうした紋切り型のこっけいさを、紋切り型として味わう能力が徐々に欠けつつあるんですよ。僕らの上の世代、山田〓(ジャック)さんの『ボヴァリー夫人』の紋切り型はすさまじく上手い訳なんです。けれども、われわれにはその紋切り型の面白さを理解する力がなくなっている。我々の時代の紋切り型というものを探さなければいけないんだけど、それもすごく流れが激しいから難しい。
吉川 フローベールの時代もプルーストの時代も、どの社会階層の人かで話す言葉も違ったわけです。プルーストは文体模写が得意だったことでもわかりますが、話し言葉の違いについての感性が鋭くて……。
鹿島 すごいですね、あれは。
吉川 いまは亡き平岡篤頼さんが『プルースト全集』(筑摩書房)第一四巻に、当時ダイヤモンド偽造で世間を騒がせた「ルモワーヌ事件」を題材に、プルーストがバルザック、フローベール、ミシュレ,ゴンクールなどの文体を使い分けた文体模写を訳しておられますが、模倣された作家の文体を全部ちゃんと訳し分けておられて、みごとな翻訳です。
鹿島 日本でも、明治とか大正期にはそういう文体模写がけっこうあった、と河盛好蔵先生にうかがったことがあります。「かけうどんを食べる」というのを島崎藤村風や宇野浩二風に言ったりする文体模写が新聞のコラムに載っていたと聞きました。
(引用終わり)
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