2008年2月13日 (水)

ハマータウンの野郎ども

 「学校教育と労働が複雑に絡み合う結び目を解きほぐす、先駆的な文化批評の試み」(ちくま書房HPでの紹介文)であり、「日本の『ツッパリ』文化」との比較的考察という観点(表智之「マンガと現代思想」『差別と向き合うマンガたち』188頁など)から大変興味深いのですが、インタビューを再現した部分は翻訳の用例としても拾えそうです。「ヤンキー言葉」のほか「おじさん言葉」も続出です(IT)。

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ポール・ウィリス[Willis, Paul E.](著)
熊沢 誠、山田 潤(訳)
『ハマータウンの野郎ども』
[原書名:LEARNING TO LABOUR
ちくま学芸文庫、1996年
ISBN:4480082964

【目次】
序章 「落ちこぼれ」の文化
第1章 対抗文化の諸相
第2章 対抗文化の重層構造
第3章 教室から工場へ
第4章 洞察の光
第5章 制約の影
第6章 イデオロギーの役割
第7章 文化と再生産の理論のために
第8章 月曜の朝の憂鬱と希望

【本文より】

ウィル あの公園のことでもさ、ウェビィのおっちょこちょいにはまいったぜ。おれとエディでさ、うまくもぐり込んでたんだ。そしたら公園の番人がまわってきやがった、なにか見つけて走ってくみたいだったな。で、おれとエディは反対側に隠れて、二人とも猿みたいにしゃがみこんでたのさ。ところだウェビィのやつがぼんやり立ってやがんだ。番人が「おい、そこのおまえ、出て行かんか、公園から出ろ、おまえらは入っちゃいかんのだ」。そんなことを言っておれたちの近くを、おれとエディが坐り込んでたところを通り過ぎてさ、「おまえじゃない、ほかにもいるんだ、おまえはここにいたんだからな」なんて言うもんだからさウェビィのやつ、「ぼくじゃないですよ、そりゃ、あのう・・・・・・」ってなぐあいに、いまにもみんなベラベラしゃべっちまうようすなんだ、そうだったよな?(67頁)

教頭 生徒を叱りつけるときはね、連中にぐっと肩身の狭い思いをさせるというふうでなきゃだめなんです。(中略―引用者)、教師なり、教頭である私なりが、こんどのことではずいぶん困惑しているってことを連中にわからせるんですな。それで、なぜこんな困った事態になったかをこんこんと説いて聞かせて、まあ、それというのも自分たちが迷惑のもとになってるんだってことをわからせるんですわ。そこまで行きゃね、叱り方としては完璧ですね。「このばか野郎が」って怒鳴ってみたところで何もなりゃしません。反対に怒鳴り返されるのが落ちでね。(165頁)

校長 かりに五年生の生徒に処罰を与えねばならないとしますとね、そんなときは面倒なことを避けて、ただ生徒を私のこの席に坐らせるんですよ。そうすれば、まあたいがい自分でわかるようになります。そういう生徒たちにはよく言ってやるんですわ、「この件については私としてはどうすればいいんだろう、きみはもう五年生だからよくわかるはずだね。こんな場合どうすべきか。私の椅子に坐りたまえ、私がきみのつもりでそっちに立つから、さあ、この件の始末をどうするか私に言ってみなさい」(166-167頁)

2007年10月10日 (水)

ことばの歴史学

Photo_4 小林千草(1998)
『ことばの歴史学 源氏物語から若者ことばまで』
丸善ライブラリー
ISBN 4621052802

2006年8月14日 (月)

広東外語外貿大学

広東外語外貿大学・日本語科講師の池田貴子さんが、教室で役割語のクイズをしてみてくださり、その結果をご報告してくださいました。拙著の最初のところに出てくる、次のような選択問題です。

  • そうよ、あたしが知ってるわ( )
  • そうじゃ、わしが知っておる( )
  • そや、わてが知っとるでえ( )
  • そうじゃ、拙者が存じておる( )
  • そうですわよ、わたくしが存じておりますわ( )
  • そうだよ、ぼくが知ってるのさ( )
  • んだ、おら知ってるだ( )

お武家様、老博士、女の子、田舎者、男の子、お嬢様、関西人

上の話し方に当てはまる人格を、下のリストから選んで当てはめなさい、というものです。なお、拙著にはもう一つ「そうあるよ、わたしが知ってるあるよ」(ニセ中国人)というのがあるのですが、中国本土でこれを入れると、説明が難しいし、意図を誤解されるかもしれないということではずしたとのことです(事前に私が少しアドバイスしました)。

クイズに挑んだのは、同大学2年生85人で、日本語『会話授業」最終クラスにおいて実施されたとのことです。

全問正解は19人(約22%)、2箇所だけ入れ間違えたのは30人(約35%)とのことです。このうち、「老博士」と「お武家様」を入れ間違えた人が12人とのことで、たしかに「拙者」を知っているかどうかにかかっている点で、この間違いは無理もないかなと思います。

あと、3~5問正解というのが42人、なぜか1問のみ不正解が1人、1問のみ正解2人、全問不正解2人となっています。

全体に、男女の違いに関しては誤りが少なく、あとは古い、新しい、丁寧、乱暴等の印象で答えた人が多いようです。

正解率の高い学生は、普段から優秀な学生さんが多いようですが、日本のドラマ、アニメ、テレビ、ゲーム等に親しんでいることが正答につながっているらしいとの見方もできるようです。また関西弁については、「関ジャニ∞」を通じて正解した人もいるそうです。

さらに詳しい分析を池田さんにお願いしていますので、そのうちご報告いただけるものと思います。

2006年7月22日 (土)

日本語の教室より(続)

2月24日に引用させていただいた、「た」さんのコメントに関連して、少し書いておきます。

一つの問題は

  • 日本語教育において、日本語の表現に現れる性差をどう教えるか

ということなのだろうと思います。初級の段階だと、「です・ます」体だけで性差があまり出ないので、さして問題はないのですが、中級に入ると、プライベートな対話が入ってくるし、終助詞も使うようになるので、いろいろ問題が起きてくると思います。代名詞の問題ももちろんあって、男性の場合は、「ぼく・おれ」問題が発生することになりますが(この記事参照)。

困るのは、

  • メディアに現れる表現と、現実の対話の間に、大きな乖離がある

ことです。即ち、「今日は雨だわ」「あら、すてきな指輪ね」それに「これ、いただいてもいいかしら」といった女性特有表現は、日常的にテレビやら読み物やらに現れているわけですが、現実にこういった話し方をする人は、少数派になりつつあるのですね。不正確な直感ですが、東京方言圏でも、40代と30代の間あたりに、大きな溝がありそうです。年配の人でも、いつも使うわけでなく、また人によってよく使う人、使わない人、さまざまです。

ですから、若い学生が「このティッシュ、使ってもいいかしら」というと、大変滑稽に聞こえる。ところが、受容のための知識としては、まだまだ必要だと思います。つまり「ダブル・スタンダード」状態になっているのです。

ソウルの大学で現役で日本語を教えていらっしゃる、40代の女性に聞いた話では、教材を作るときに「今日は雨だわ」的な表現を入れるか入れないかで、同僚の30代の教師ともめたそうです。その40代の先生は、「絶対入れるべき」と主張されたのですが、30代の教師に「『だわ』はやめてよ~」と強く抵抗されたのだとか。

性差を示す表現以外にも、場に合わせて適切なスタイルを使い分けるというのは、かなり微妙な感覚が必要で、教科書的に整理するというのは素人考えでは極めて難しいことに思われます。一昨年、ゼミ旅行に行ったとき、女子学生同士で雑談している中で、中国から来た留学生が

「さあ皆さん、お茶の時間にしましょう!」

と言ったら、そこにいた日本人学生たち全員が笑ってしまったそうです。この留学生は日本語が大変上手だし、この表現自体、文法的・意味的にパーフェクトなのですが、会話の雰囲気の中では、すごく浮いて聞こえてしまうのですね。関西方言コミュニティーであったというせいもあるのでしょうが。

もちろん、上の表現でも、それにふさわしい場が与えられれば不自然でなくなるでしょう。会話場面のカジュアルさ、フォーマルさをどのように見積もるか、またそのカジュアルな度合いによって、どのようなスタイルを使うか、ノン・ネイティブに教えるのはすごく難しい気がします。あるいは「どのスタイル」という風に分類すること自体が可能なのかどうか、私にはよく分かりません。

というわけで、結局、「た」さんのご質問には、まともに答えられないわけです。ごめんなさい。日本語教師の方、いっぱい悩んでね。

なお、「た」さんが指摘している「『役割語』の意図的な『習得』または『利用』」の問題については、後日書きます。

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