ハマータウンの野郎ども
「学校教育と労働が複雑に絡み合う結び目を解きほぐす、先駆的な文化批評の試み」(ちくま書房HPでの紹介文)であり、「日本の『ツッパリ』文化」との比較的考察という観点(表智之「マンガと現代思想」『差別と向き合うマンガたち』188頁など)から大変興味深いのですが、インタビューを再現した部分は翻訳の用例としても拾えそうです。「ヤンキー言葉」のほか「おじさん言葉」も続出です(IT)。
ポール・ウィリス[Willis, Paul E.](著)
熊沢 誠、山田 潤(訳)
『ハマータウンの野郎ども』
[原書名:LEARNING TO LABOUR]
ちくま学芸文庫、1996年
ISBN:4480082964
【目次】
序章 「落ちこぼれ」の文化
第1章 対抗文化の諸相
第2章 対抗文化の重層構造
第3章 教室から工場へ
第4章 洞察の光
第5章 制約の影
第6章 イデオロギーの役割
第7章 文化と再生産の理論のために
第8章 月曜の朝の憂鬱と希望
【本文より】
ウィル あの公園のことでもさ、ウェビィのおっちょこちょいにはまいったぜ。おれとエディでさ、うまくもぐり込んでたんだ。そしたら公園の番人がまわってきやがった、なにか見つけて走ってくみたいだったな。で、おれとエディは反対側に隠れて、二人とも猿みたいにしゃがみこんでたのさ。ところだウェビィのやつがぼんやり立ってやがんだ。番人が「おい、そこのおまえ、出て行かんか、公園から出ろ、おまえらは入っちゃいかんのだ」。そんなことを言っておれたちの近くを、おれとエディが坐り込んでたところを通り過ぎてさ、「おまえじゃない、ほかにもいるんだ、おまえはここにいたんだからな」なんて言うもんだからさウェビィのやつ、「ぼくじゃないですよ、そりゃ、あのう・・・・・・」ってなぐあいに、いまにもみんなベラベラしゃべっちまうようすなんだ、そうだったよな?(67頁)
教頭 生徒を叱りつけるときはね、連中にぐっと肩身の狭い思いをさせるというふうでなきゃだめなんです。(中略―引用者)、教師なり、教頭である私なりが、こんどのことではずいぶん困惑しているってことを連中にわからせるんですな。それで、なぜこんな困った事態になったかをこんこんと説いて聞かせて、まあ、それというのも自分たちが迷惑のもとになってるんだってことをわからせるんですわ。そこまで行きゃね、叱り方としては完璧ですね。「このばか野郎が」って怒鳴ってみたところで何もなりゃしません。反対に怒鳴り返されるのが落ちでね。(165頁)
校長 かりに五年生の生徒に処罰を与えねばならないとしますとね、そんなときは面倒なことを避けて、ただ生徒を私のこの席に坐らせるんですよ。そうすれば、まあたいがい自分でわかるようになります。そういう生徒たちにはよく言ってやるんですわ、「この件については私としてはどうすればいいんだろう、きみはもう五年生だからよくわかるはずだね。こんな場合どうすべきか。私の椅子に坐りたまえ、私がきみのつもりでそっちに立つから、さあ、この件の始末をどうするか私に言ってみなさい」(166-167頁)
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