2009年7月26日 (日)

和歌とは何か

忘却散人ブログに、役割語について言及がありました。渡部泰明さんの『和歌とは何か』(岩波新書、2009年7月)、ぜひ読もうと思います。

2008年11月29日 (土)

泰葉さんの話体

最近、泰葉さんという歌手の言動が芸能ニュースを賑わせていました。テレビに登場する彼女の発話を聞いていると、ことさらに“男性的”とされるスタイルを用いているようです。例えば、

あいつは金髪豚野郎だ!

における言い切りの「だ」の使用とか、

やめろー、こんな顔、撮るなー!

における命令形、禁止形の使用などです。

この発話スタイルに対して、いろいろな論評がありえますが、今は現象のメモにとどめます。

2008年11月23日 (日)

ツンデレ論ひろがる

http://blog.goo.ne.jp/satopyyy/e/1de95c3263fc086b4cc7123e30e064fc

2008年11月 9日 (日)

ツンデレ関連情報

http://d.hatena.ne.jp/negen/20081108

http://www.daito.ac.jp/~jtogashi/t08a.html

http://d.hatena.ne.jp/kuzan/20081108

2008年3月22日 (土)

J川柳

日本語教育情報誌『J-Life』2008年4・5月号、アルク(無料)より。 

Photo 巻末(32頁)に「J川柳」というコーナーがあるのですが、その担当キャラクター(川柳のお師匠さん?)が〈老人語〉を使用しています。

読者のみなさん、元気かな。日本では卒業の季節なのじゃ。友達や先生との別れを寂しく思う人もいることじゃろう。でも、別れの後には、出会いがある。新しい旅立ちの気持ちを、川柳にして投稿するのじゃ!

投稿を待っておるぞ。応募はここからじゃ!

 中級以上の学習者なら、大意は問題なくつかめると思いますが、これが平常の教室や教科書で習っている言い方とはちょっと違う、ということには、どのぐらい気づかれるものなのでしょうか。
 「わし」は老人的、というふうに習っている人はけっこういるようですが、以前「~じゃ」を「~じゃん」として理解している人がいました(その場合、「ん」の聞き取りの問題も関わるようですが)。(SK、IT)

2008年2月13日 (水)

ハマータウンの野郎ども

 「学校教育と労働が複雑に絡み合う結び目を解きほぐす、先駆的な文化批評の試み」(ちくま書房HPでの紹介文)であり、「日本の『ツッパリ』文化」との比較的考察という観点(表智之「マンガと現代思想」『差別と向き合うマンガたち』188頁など)から大変興味深いのですが、インタビューを再現した部分は翻訳の用例としても拾えそうです。「ヤンキー言葉」のほか「おじさん言葉」も続出です(IT)。

Photo_3

ポール・ウィリス[Willis, Paul E.](著)
熊沢 誠、山田 潤(訳)
『ハマータウンの野郎ども』
[原書名:LEARNING TO LABOUR
ちくま学芸文庫、1996年
ISBN:4480082964

【目次】
序章 「落ちこぼれ」の文化
第1章 対抗文化の諸相
第2章 対抗文化の重層構造
第3章 教室から工場へ
第4章 洞察の光
第5章 制約の影
第6章 イデオロギーの役割
第7章 文化と再生産の理論のために
第8章 月曜の朝の憂鬱と希望

【本文より】

ウィル あの公園のことでもさ、ウェビィのおっちょこちょいにはまいったぜ。おれとエディでさ、うまくもぐり込んでたんだ。そしたら公園の番人がまわってきやがった、なにか見つけて走ってくみたいだったな。で、おれとエディは反対側に隠れて、二人とも猿みたいにしゃがみこんでたのさ。ところだウェビィのやつがぼんやり立ってやがんだ。番人が「おい、そこのおまえ、出て行かんか、公園から出ろ、おまえらは入っちゃいかんのだ」。そんなことを言っておれたちの近くを、おれとエディが坐り込んでたところを通り過ぎてさ、「おまえじゃない、ほかにもいるんだ、おまえはここにいたんだからな」なんて言うもんだからさウェビィのやつ、「ぼくじゃないですよ、そりゃ、あのう・・・・・・」ってなぐあいに、いまにもみんなベラベラしゃべっちまうようすなんだ、そうだったよな?(67頁)

教頭 生徒を叱りつけるときはね、連中にぐっと肩身の狭い思いをさせるというふうでなきゃだめなんです。(中略―引用者)、教師なり、教頭である私なりが、こんどのことではずいぶん困惑しているってことを連中にわからせるんですな。それで、なぜこんな困った事態になったかをこんこんと説いて聞かせて、まあ、それというのも自分たちが迷惑のもとになってるんだってことをわからせるんですわ。そこまで行きゃね、叱り方としては完璧ですね。「このばか野郎が」って怒鳴ってみたところで何もなりゃしません。反対に怒鳴り返されるのが落ちでね。(165頁)

校長 かりに五年生の生徒に処罰を与えねばならないとしますとね、そんなときは面倒なことを避けて、ただ生徒を私のこの席に坐らせるんですよ。そうすれば、まあたいがい自分でわかるようになります。そういう生徒たちにはよく言ってやるんですわ、「この件については私としてはどうすればいいんだろう、きみはもう五年生だからよくわかるはずだね。こんな場合どうすべきか。私の椅子に坐りたまえ、私がきみのつもりでそっちに立つから、さあ、この件の始末をどうするか私に言ってみなさい」(166-167頁)

2007年12月29日 (土)

月刊言語「日本語のスタイル」

月刊『言語』2008年1月号 (Vol. 37, No. 1)  ISSN: 0287-1696
 
特集名:  日本語のスタイル――その表現力と創造性 
 
定価:  980 円 (A5判・128頁) 

特集内容:
日本語には方言や若者言葉、敬語といった多様性が見られるが、一人の人が用いる日本語の中でも様々なスタイルが使い分けられ、特に自己表現やコミュニケーションなどの対人戦略において効果を発揮している。それぞれのスタイルは言語構造にどのように現われているのか、またその使い分けが担う機能とは何か。その実態に光を当て、明示的に分析することから、言語の本質に迫る新たな研究領野が拓かれる。 

主要目次:

スタイルの使い分けとコミュニケーション(渋谷勝己) pp. 18-25

一人の人が使い分けるさまざまな日本語のスタイルは、コミュニケーションや自己表現において大きな役割を果たしている。スタイルの形式と機能、その切り換えの実態を整理し、言語現象としての本質に迫る。

依頼と謝罪における働きかけのスタイル(熊谷智子) pp. 26-33

日本人はすぐ謝るとよく言われる。これは理論的には自分を不利な立場に置くが、実は一種の対人行動スタイルとして機能している。外国人との対照もふまえて、日本人のコミュニケーション特性を浮かび上がらせる。

新聞にみる話しことばの変遷(土屋礼子) pp. 34-39

明治期以降、新聞は知識人から庶民へと読者層を拡大していく努力の中で、記事に口語体を取り入れるようになった。マスメディアにおける言文一致の経緯をたどり、そこで試みられたさまざまな文体を紹介する。

ケータイ/ウェブの表現スタイル(松田美佐) pp. 40-45

ケータイ・メールやウェブでやり取りされている見慣れない日本語の実態とは? 入力方法の特性ややり取りの作法、受け手との関係性といった条件の下でカスタマイズされていく新しい表現スタイルの背景を探る。

関西若年層にみる東京語の使用(高木千恵) pp. 46-51

現代の若者の方言使用においては、二次元的なコード切り換えにとどまらず、より複雑な構造と繊細な機微に通じたスタイル切り換えが見られる。そのリアルな使用状況を捉えることから、方言研究の新たな可能性が見出せる。

コミュニケーション・文法とキャラクタの関わり(金田純平・澤田浩子・定延利之) pp. 52-59

話し手の心内に潜むキャラクタは、みなそれぞれの得意技を持っており、話し手はその得意技に応じて、発話キャラクタを発動する。コミュニケーションと文法の両面に顔をのぞかせるキャラクタたちの実態を観察する。

音声による人物像の表現と知覚(勅使河原三保子) pp. 60-65

我々の話し声の音声的特徴は聞き手に様々な印象を与えるが、その印象は必ずしも話し手の特徴と一致しない。話し手と印象の対応を扱った研究を通して、音声スタイルが日常生活やアニメ作品で果たす役割を考察する。

汗と涙のシンデレラ――サクセス・ストーリーの語り方(山口治彦) pp. 66-71

体験談のような「物語」にも、定型的な語り方のスタイルが存在する。その「型」は、どのように立ち現れ、どのような効果を上げるのか。成功物語を例に、語り手と聞き手が共同するスタイル生成の実態を探る。

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