金水 敏(2012):「特別講演 映画・アニメに出てくる“なまった英語”―役割語の観点から―」
(本文)
次の例文をご覧いただきたい。
(1)
a. おお、そうじゃ、わしが知っておるんじゃ。
b. あら、そうよ、わたくしが知っておりますわ。
c. うん、そうだよ、ぼくが知ってるよ。
d. んだ、んだ、おら知ってるだ。
e. そやそや、わしが知ってまっせー。
f. うむ、さよう、せっしゃが存じておりまする。
これらは、論理的な意味としてはすべて同一でありながら、語彙、語法的な面で大きく異なっている。そしてその違いは、主として話し手の人物像(キャラクター)に対応している(それぞれどういう人物像か、お考え下さい)。
このように、特定の人物像と結びついた話し方のヴァリエーションを「役割語」と呼ぶ(金水2003『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』岩波書店)。日本語にはこのように役割語と結びついた語彙的指標が豊富に存在するが、英語ではどうか。例えば上の(1)a-fを英語で訳し分けようとしてもむずかしいであろう。では、英語には役割語はないのか。
ここで改めて、役割語の定義を示しておく。
ある特定の言葉遣い(語彙・語法・言い回し・イントネーション等)を聞くと特定の人物像(年齢、性別、職業、階層、時代、容姿・風貌、性格等)を思い浮かべることができるとき、あるいはある特定の人物像を提示されると、その人物がいかにも使用しそうな言葉遣いを思い浮かべることができるとき、その言葉遣いを「役割語」と呼ぶ(金水 2003,205頁)。
ここで言葉遣い(あるいは話し方 way of speaking)を語彙的な側面に限らず、音韻・音声も含めて広く見渡すならば、英語にも役割語と呼べるものが存在することは確かである。例えば山口治彦氏(山口 2007 「役割語の個別性と普遍性」 金水(編)『役割語研究の地平』くろしお出版)では、方言(例:「ハリー・ポッター」シリーズのハグリッド)、ピジン英語(例:中国系探偵チャーリー・チャン)、異様な人称の適用(例:「ハリー・ポッター」シリーズの屋敷妖精ドビー)、赤ちゃん語(例:「ルーニー・テューンズ」のトゥイーティー)の例を挙げている。逆に、英語には(1)aのような<老人語>は存在しないとも言っている。
本講演では、山口の挙げた例以外にも、いくつかの類型を挙げて、実例とともに検証したい。例えば(社会)方言の例としては、ロンドンの貧民層の言葉を挙げることができる。「マイ・フェア・レディ」では、ヒロイン・イライザの言葉の変化がまさしく彼女の階層の上昇を意味していた。
また、黒人英語も重要な役割語と言える。ディズニー・アニメ「ダンボ」に登場するカラスたちは、黒人なまりを話し、“ミンストレル・ショー”のような歌を披露する。黒人英語は「風と共に去りぬ」でも重要な役割を果たしている。さらに、今日のヒップホップ文化では、いゆる“ラップ”に多く黒人英語の影響が現れている。
外国人が話す英語の例としては、「ティファニーで朝食を」の日本人“ユニオシ”の例が興味深い。またディズニー・アニメの「アラジン」シリーズでは、ヒーロー、ヒロインがハリウッド英語を話すのに対し、街の無名の人々はアラブなまりのような英語を話す。
赤ちゃん言葉のなまりは世界普遍的で、日本語でも同様の現象が見受けられる。また、山口は丁寧な表現の例としてドビーの三人称による会話の例を挙げていたが、幼児語にも一、二人称の代わりに三人称を用いる例が見られ、セサミストリートの“エルモ”の例を挙げることができる。
これらの英語の表現には、キャラクターを印象づけようとする作者の意図とともに、“ちゃんとしゃべれない”人々に対する偏見も見て取れる。偏見はステレオタイプのすぐ近くにあるのであり、これは日本語でも同様である。
本公演では、さらに翻訳の問題にも触れ、日英と英日を対比した場合の非対称性について検討する。
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